京ことば「いけず」【伝統文化】

みなさん、こんにちは。
日刊【書くメシU30's】マガジン木曜担当のなかっちです。

https://note.mu/motossk/m/m82f4204be047

今週のテーマは、【伝統文化】。
今回私ものすごくこのテーマ関係あるなって妙に親近感を感じました。
それは、単純に私が京都出身だから。

ということで、今回は京都のある方言の文化に関して、
お伝えして行きますね。

◆京都人は嫌われ者なのかな?

京都は、古き良き街並みや、神社仏閣など有名な歴史的建造物、
舞妓さん文化などがあり、世界中から多くの人が集まる観光の街です。

しかし、テレビやネットを見てみると、
京都の街並みや神社、食べ物は、比較的良い感想でコメントしてありますが、京都に住んでる、京都人に対するイメージは、あまり良くないのです。「腹黒い」、「本音と建前がある」などなど。

個人的には、腹黒い人や、裏表がある人なんて、京都人にかかわらず、
一定層存在してるのに、なぜこういう風に言われているのかなって、
ずっと疑問に感じてました。

そこで、今回私なりに考えた結果、
京都人の「いけず文化」という独特な文化が
ある一種の原因じゃないのかなって感じました。

◆いけずってなんだ?

まず皆さんは、「いけず」という言葉の意味をご存知ですか?
京都の方言で、「意地悪」という意味です。

語源「池之端の芋茎(ずいき)」
芋茎とは里芋の葉茎で、初夏から夏にかけて収穫される野菜。
「いけず」は「いけのはたのずいき」が縮まったもので、
江戸期に大阪の洒落言葉として、使用されていた。
池之端の芋茎は池の養分や水分を独占してしまい、他の植物には与えないということから、「いけず」が「意地悪」という意味を持つようになっています。(語源は、調べたら面白かったので載せています。)

京都人のいう「いけず」は、思いっきり意地悪を言う感じではなくて、
感覚としては、チクリとくるような意地悪をいう感じです。
また、相手に対して愛情を込めて、「いけず」という言葉を
使ってる場合が多いです。なので、冗談でいうこともありますね。
(稀に、本当に嫌で言うこともありますが)

意地悪とだけ聞くと印象悪いですが、あえてこの言葉の文化を
コミュニケーションの一部として、京都人はずっと大切にしてきたのです。

win-winの関係性
大昔京都は、戦が沢山繰り返されており、戦のたびに、
いろんな神社とか資料とか燃えちゃって、現存してないものも多いので、
京都人は、同じことは繰り返さないように、古い伝統や、文化は絶対
守らなきゃみたいな責任感がどこかしらあります。

古いものを大切にする気持ちは、人間関係でも同じで、
ITを駆使して、便利なシステム導入してる新参者の会社よりも、
少し不便でも、お爺ちゃんの代から繋がりがある会社を選ぶことが多いです。

昔からの繋がりを大切にするので、コミュニティが閉鎖的になり、
噂話もわりとすぐ広まることもありますね(笑)

古いものを大切に守っていくためには、責任感を持ち続け、
一人一人が自立していく必要がありますが、これは誰しも
そう簡単にはできないことだと。

そのため、お互いがお互いを、いい意味でライバル視してるような気がしてます。「いけず」でピリッといい刺激を与えて、
win-winの関係性になれてるような。

また、時には、嫌とか意地悪な言葉を言いたいけど、
閉鎖的なコミュニティのため、角が立つとめんどくさい。

そのため、あえて「いけず」で本音を隠し、
やんわりとした奥ゆかしさを相手に伝えるのです。

だから、「いけず」という言葉で、
京都人はコミュニケーションをずっととり続けている。
独特な使い方をするけど、京都人が暮らしていくために
大昔より現在まで続いてる、京ことばの伝統文化ではないかな〜と。

今度京都に行った際には、神社を巡るのも楽しいけど、
耳を澄まして京都人の会話を聞いてみてください。
もしかしたら、今までのイメージとは違う京都の魅力を、
あなたは感じることができるかもしれませんよ。

本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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