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良い教師・悪い教師

良い教師像は何かという論題をよく聞き、皆自由に議論する。
本屋さんにも、「最高の子育て」という主題の本が並べられる。
僕はそれがずっと疑問でした。

なぜなら、「何がいいかどうかはわからない」からです。時代、生徒によって良いの価値基準が異なります。

スティーブ・ジョブズ育成教育を教師が躍起になるのもおかしい。

だから、こういう場合には反対概念で捉えると少しマシな議論になります。
つまり、(こういう教育はよくないという意味合いで)「悪い教師像とは何か?」です。

■反対概念を用いる

私は「悪い教師像」とは、今の時間軸のみで生徒に接してしまう教師だと考えます。今の時間軸とは、先生が話したことに対して「今理解しなさい、今成績をあげなさい」ということである。そして、生徒がそれを理解できなかったときに体罰や怒号を浴びせてしまう。

しかし、生徒それぞれに過去の経験は多様で、これから目指す進路も多様である。だからこそ、生徒の現在(つまり人生のほんの一部)に接している先生が生徒に「今、ここ」において先生の指導、授業の価値を生徒に理解させようとしすぎてはいけない。
学びのスイッチが入る瞬間は子どもそれぞれに違う。
事後的に生徒がその価値を理解する日が来るかもしれない。

だからといって、先生が「私にできることはない」と悲観的になる必要もない。(贈与的感覚で)事後的に価値を理解してくれたらいいなと願うしかないのである。
すなわち、「悪い教師像」とは現在時制で生徒に接してしまう教師である。そして、私は直感的に「良い教師像」をあまり決めるべきことではないと考える。

【体罰について】

ちなみに体罰についてももう少しだけ語らせてください。
私は教師の体罰というのは如何なる場合においても反対です。
というのも、体罰によって「本質を理解しないまま理解した気になる」からです。
遅刻してきた生徒に対して、殴る。宿題を忘れた生徒に対して殴る。
これは、なぜそれら(遅刻や宿題忘れ)がいけないことかを理解していません。
理解せずに、それをやったら「なぜか殴られる」という感覚を覚えます。
遅刻をしたら、他の生徒に迷惑がかかるとか、宿題を忘れると、思うように成績が上がらないとかは体罰をされた生徒にはわからない。
たとえそれを教師が伝えながら、体罰をしていたとしても、生徒には伝わらない。なぜなら、身体的な恐怖の感覚の方が鮮明に記憶に残る。

だから、体罰で覚えたことは先生がいないところでまたやってしまう。だって本質を理解していないから。

一度、言葉で生徒に説明しても、わからないこともあります。子どもが理解するまで気長に待つといつの日か、自然と子どももわかってくれるはずです。

【ビジネス的教師】

話を戻します。悪い教師とは何かの話をしていました。

そうすると、塾の先生というのは、学校の先生に比べて比較的現在時制のみになってしまいがちです。塾の先生方はビジネスの世界で生きているため、どうしても「今成績を上げる」ということに躍起になってしまうのです。

そして、生徒側も先生の価値を「今ここ」に求めてしまう。そうすると、「今価値が理解できないけど先生を信頼する」という感覚が奪われてしまう。
これは本当に危険な感覚です。
だって理解できない人の事をじっくり聞いて理解してようとしなくなるのだから。

(塾講師のアルバイトをしているため、以上の点に気をつけなければ....)

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