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キミが産まれるまでの50時間の物語

2018年、年の瀬。今年1年間を振り返り、何を書こうかと考えてみた。フリーランス1年目のこと、移住した北海道の暮らし、いろいろあるけど、やっぱり今年最大の出来事はキミが産まれたことだ。だから、特に誰かに役立つ記事ではないけれど、キミが産まれた時のことを思い出しながら、行く年来る年を過ごそうと思う。

※ この記事は、「書く」を学び合うコミュニティ『sentence』のアドベントカレンダーに参加しつつ書いています。参加しなかったら書いてないだろうなnote。。感謝🙏

Day1 AM9:00〜

本格的に陣痛が始まる。すぐに病院に電話して入院準備をして向かうことに。この時点で子宮口は3cm。10cmでお産開始なので、まだまだ。それでも前日には1cmだったものが開いていて、「いよいよなんだな…」という気持ちが湧いてくる。

タイミングよく、病院唯一のファミリールームに泊まれることに。お世話になった病院の他の部屋は、基本的に奥さん1人(+赤ちゃん)しか泊まれないようになっていた。これは今振り返っても、本当に運が良かった。個室だったらどうなっていたか、考えるだけでゾッとする。

さて、入院後は3時間おきにモニタールームで赤ちゃんの様子をチェック。世間では北京オリンピックの真っ最中で、藤井聡太さんが棋戦で優勝して6段になったころ。いいニュースがたくさん飛び込んでくる。

そのまま特に何事もなく、夜に。入院前日の夜にお産がグッと進んだから、今晩来るかな、なんてことを考える。ちなみに部屋の番号が翌日の日付と一致していることに気づく。「これは、、明日くるんじゃね?」とはしゃぐ夫婦。まだこの時は平和だった。

Day2 AM0:00〜

しかし、現実はそんなにうまく事は運ばない。深夜0時。激痛で奥さんが飛び起きる。この時点でめちゃくちゃ辛そう。腰をさすると痛みが和らぐようなので、ひたすらさする。さする。さする。

出産において、男は本当に無力だ。できることはほぼない。それでも個室しか空いてなくて、夜間で1人で入院で頼れる人いなかったら、もっと辛いだろうなと思う。世の中のプレパパさん。出産時はなるべく一緒に泊まれるところを探しましょう。

それでも痛みが続くので、一度分娩室へ。赤ちゃんの心拍や陣痛の強さがわかる機械で、お腹の状態を調べる。うーん、本陣痛は来ているっぽいが、まだみたい。。時々、赤ちゃんを起こすために音の鳴る機械をお腹に当ててみる。陣痛が長引くと、赤ちゃん寝ちゃうらしい。。なんだそれ、かわいいなと思いつつ、目の前で苦しんでいる奥さんを見ると、「早く出てこーい!」と思わざるをえない。

まだ産まれそうにないので、一旦部屋に戻る。この時AM4:30。奥さんにも勧められ、僕は1時間ほど寝ることに。今思うと、心のどこかで入院したらすぐに産まれるのかもと思っていたのかもしれない。全然そんなことはなかった。

Day2 AM6:00〜

奥さんも少し仮眠が取れたそう。よかったー!!陣痛間隔は3〜4分に。でもまだ、本格的にお産が進む気配はなさそう。。

少し寝れたといっても、ここ数日ほとんどまとまった睡眠は取れず、ずっと痛みと戦っている奥さん。僕なんかよりもメンタルが強くて、「やる!」って決めたらきちっとやるタイプなんだけど、さすがに限界そう。そんな昼下がり、

「帝王切開にできないかな…」

と泣き出す奥さん。「帝王切開よりも、できるだけ自分で産みたい」と言っていた彼女が、もう気力も体力も限界だから、帝王切開にしたいと話し始める。

今振り返っても、この瞬間は本当に辛かった。あんなに強い人が、ボロボロになっていく姿を見るのはただただ辛かった。この時点で陣痛が始まってから、30時間以上経ってる。一般的なお産より、長引いているらしい。

そんな話をしているうちに、再び検診の時間に。すると子宮口が5cmに!ようやく開いてきた!でも、体力的に限界ということで、点滴をすることに。

そして、少し運動した方がよいとのことで、一緒にスクワットをやってみる。やりながら、いろんな想いが込み上げてきて号泣する奥さん。奥さんもお腹の赤ちゃんも人生はじめての大仕事。ママとパパを選んで来てくれた。ママもパパも、キミに会えるのを待ってる。

Day2 PM6:00〜

「今晩限界まで頑張るから、家族で一致団結してみんなで一歩踏み出そう」

そんな奥さんの言葉から、最後の夜が始まった。決意が赤ちゃんに伝わったのか、じわりじわりとお腹の痛みが途絶えなくなってきたみたい。

夜9時、子宮口は7cmに!「お産もだいぶ進んでいます!」だって!テニスボールで子宮口を強く押す回数も増えてきた。朝3時には子宮口8cmに。10cmにならないと、いきみ始めることができないそう。あと、2cm!!

Day3 AM6:00〜

これまで15分程度だったモニタールームのチェックが、1時間ほどかかる。内診グリグリを実施したみたい。でも子宮口は変わらず8cm。次の検査で促進剤を打つか、人工破膜してお産を進めるか決めるかもとのこと。

この時点で、奥さんの痛み方が絶えず声を上げる状態に。もう丸2日以上、ほとんど寝ていない。体力も限界の中、無慈悲に痛みはひどくなっていく。そんな中、夜が明けていく。明けない夜はないというけれど、本当にそうなのかと疑いたくなってくる。

Day3 AM9:00〜

朝9時。検診の時間。診察室に夫は入れないので、部屋の前で奥さんを見送る。今思い返すと、これが出産直前に奥さんと会った最後の瞬間だった。

その後は看護士さんが適宜状況を教えてくれた。子宮口8cmから進まず、体力も限界なので促進剤を打って様子を見ることになったそう。どうでもいいけど、「促進剤」って言い方がなんかな。。「ママベイビー応援剤」的な言葉ないかな。

10時前に「9cmになった!」と奥さんからLINEが。余裕がない中、必死に送ってくれたみたい。返事は既読にはならなかった。いよいよラストスパート!助産師さんに奥さん用のドリンクを手渡す。当然ドリンクにはありったけの念を込める。そして、太陽がてっぺんに登るころ、待望のナースコールが鳴り響く。

「お産になります!」

この時ばかりは文字通り、無我夢中で分娩室へ向かった。手を除菌して、部屋に入る。コウノトリのドラマで見たような、大変だけどどこか平和そうな出産風景を思い返していた。でも、カーテンを開けて見えてきた分娩台は、想像していたものとはまるで別次元の世界だった。

両手両足を大層な紐(というより縄に近い感じ)で分娩台に縛り付けられ、鼻や手にはチューブが通される奥さん。そしてこれまで聞いたこともない、この世の声とは思えない奥さんのうなり声。先生や看護士さんが入り混じる、すさまじい熱気に包まれた分娩室。

正直何がなんだかまったくわからなかった。どうしていいかもわからなかった。例えて言うなら、まったくの無防備の状態で、いきなりラスボスに挑むような感覚。それでも、とにかく奥さんのもとに行き、声をかける。

「赤ちゃんの心拍下がってるから、吸引分娩しますね〜」

そんな説明に返事をする間もなく、目の前の出来事は進んでいく。

「誘発して一気に出すよ!会陰切開と吸引の準備!圧上げて!はい!」






「ふんぎゃあーーー!!」





こうして、入院してから約50時間を経て産まれたのがキミだった。感動して泣くのかなとか、どんな言葉が出てくるのかなと思っていたけど、最初の印象は「ヘソの緒ふとっっ!」だった。先生も言ってたけど、本当に極太だった(写真がないのが悔やまれる)。しっかりママと繋がってたんだね。


あとがき

あれから約10ヶ月。キミは身長が20cm以上も伸びて、体重も10kg超え。一人で立てるようになり、最近は「ママ」って言えるようになった。自己主張も日に日に激しくなり、微笑ましい限りだ。まるでこんな壮絶な出産体験なんてなかったかのように、毎日遊んで、寝て、食べて、生きている。それがどれだけ幸せなことなのか、出産のことを振り返ると毎回痛感させられる。

ちなみに後から聞いた話。最後の出産の時は、赤ちゃんの心拍が急に下がっちゃって、結構やばかったみたい。奥さんの体力も限界だったから、誘発剤を入れて、会陰切開をしつつ、吸引分娩でお産をサポートして産むことになったそう。妊娠してからつわりもかなりひどい方だったけど、最後まで本当に大変なお産だった。僕は何をしたわけではないけれど。

いつかキミが大きくなったら、出産の時のこと、話してあげたいな。そんなことを思いながら、2018年、僕の人生にとって一番大きな出来事の振り返りを締めくくりたいと思います。みなさまよいお年を。ちゃんちゃん。

病院に飾ってあった「安産の守り神」。お後がよろしいようで。

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▼sentenceのアドベントカレンダーはまだまだ続くのでお楽しみに!

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