髪は女の命だろうか。
髪は女性にとって大切なもの。
それを、二十歳の春に六割ほど失う経験をした。
私の命は失われたのだろうか。
大学2年生の春。
最近髪がよく抜けるなあ、なんて思っていたら。
大きなハゲができていた。
一人暮らしをしていたこともあって、指摘する人がいなかったから全然気が付かなかった。
実家にいた春休みにはなかったと思うので、ものの半月くらいで抜けてしまったらしい。
町医者にかかって、大きな病院への紹介状を貰って。
やれ採血だ検査だ塗り薬だ、なんてやっているうち、髪はみるみる間に抜け落ちていった。
それはもう、悲しくて悲しくて、わんわん泣いた。
20歳なんて一番楽しい今になぜ、治らないんじゃないか、とか色々なことがぐるぐると浮かんできて、その度に泣いた。
枕につく大量の抜け毛を見たくなくて、黒いタオルを枕に敷いて寝た。
普通に髪を洗うとすぐ抜けてしまうから、洗面器にお湯を張って、恐る恐るシャンプーした。
人に会うのが嫌で嫌で、外出するのは授業のときだけ。
ステロイドの飲み薬を飲みだしてしばらくすると、脱毛の進行が止まった。
しかし、当時の写真を見ると顔が真ん丸だ。
副作用がばっちりでていたらしい。
当時はなんとも思っていなかったから、髪を失うインパクトと比べたら大したことなかったのだと思う。
夏休みの間にウィッグを調達した。
髪がある、というだけで不思議と心が軽くなる。
そのウィッグにはまるっと一年間、3年生の夏までお世話になった。
今はすっかり生えそろっていて、なんともない普通の髪だ。
変わったことといえば、髪を飾るとかケアするとかの執着がなくなったこと。
髪に宿った女の命が、髪と一緒に抜け落ちてしまったのかもしれない。
カラーやパーマには全然興味がないし、いつも楽なショートヘアだ。
シャンプーも敏感肌用・無香料みたいな色気のないやつで固定されている。
見苦しくない程度に整えるスタイルで生活しているけれど、全然なんともない。
一度女の命を無くしたけれど、自分が女という意識は失っていない。
周りもちゃんと女扱いしてくれる。
脱毛症は再発しやすいらしいから、またいつか抜け始めるかもしれない。
もしそうなったとしても、あんまりダメージを受けない気がする。
結局は、女であるというアイデンティティを、自分のどこに求めるかだと思う。
それが髪だというのであれば、それを失ったとき、女の命も失う。
でも、女性は強い。
一度失ったとしても、きっとまた別のどこかに女の命が生まれる。
それはまた生えそろった髪であるかもしれないし、身体の部位や、お化粧や、ファッションへの情熱や、はたまた心のもちようそのものの中にも。
髪は女の命かもしれない。
髪を無くしても、女の命は失われない。
自分が女であるという意識を持ち続ける限り、
どこにでも女の命は宿り、私たちは女の命を失うことはないのだ。
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