工場勤務の話

  普段ならフェイスブックに書くようなことなのですが、今現在、僕の中で情報のプライオリティが高く、記録として残しておいて後ほど取り出して考察しやすいようnoteに書いておこうと思います。わかりやくいうとメモ書きです。つまり僕以外の誰かが読む価値はない文章です。

  契約終了に伴い工場勤務は今日で上がりました。僕の勤めていた工場は若い人が多く、彼らと一緒に仕事をしたり遊んだりするのは青春の再履修みたいな感じで、多少いびつで凡庸性を欠いた僕の青春を補正、補完するものだったように思う。それはそれで楽しいものだったけど、例えると何かエヴァの旧劇場版のサードインパクト発動後のあの内省的な世界の感覚がとても強かった。

どこまでが自分でどこからが他人なのかわからない、曖昧で脆弱な世界。

  工場勤務はてっとり早いし完成された解釈が用意されているので、ある種の人間はこのような感覚に陥ると思う。僕の勤めていた工場はトヨタ系で、道を歩くにも仕事の手順にも一方通行が定められており、ミーティングでの発言や問題に対する考え方、イレギュラーへの対応策に至るまで考え方の総てにテンプレートが存在し、それはつまり異常事態の起こり得ない、完成された均一な世界のように僕には映った。それはトヨタにおける失敗と過失に対する総括の歴史であり、なんというか、転んでもタダでは起きないとか、ケガにも値札を付けるみたいな迫力を感じた。シニカルな物言いをしましたがこれはとても勉強になったし、商人とはかくあるべきであるとも思う。そのような環境に順応して働いている人たちの多くは、いい意味で凡庸で共感性の高い人たちがほとんどだった。然るべき立場にある人たちに関してはトヨタの与える解釈を完璧に内面化していて、字が上手な人ばかりだった。

  これは工場勤務あるあるなのですが、工場勤務してる人は大小様々な工場を転々としている人が多い。僕も辞めるにあたって、「次はどこの工場に行くんですか?」と三人ほどに聞かれた。世の中にはいろんな種類の仕事があるにも関わらず、工場勤務を前提としてこのような質問をすることに僕は違和感を覚えた。

  今この文章を書いていて思ったけど、トヨタのシステムというのは産業としても管理システムとしても革命だったんだと思う。前体制がなんだったかを僕は知らないけど、革命を起こしてトヨタは産業の王となり体制として君臨している。

  革命、素敵ですよね。トヨタを倒す方法はないだろうか。

  

  

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