【ムッとしたことありませんか?】自分と考えが違う人との会話

仕事をするなり、子供と関わっているなり、普通に生活している中で、自分と考えが違う人と意見を交わすことがあるかと思います。そんな時、自分の意見が合う人と会話するのより、会話すること自体に消費するエネルギーは多くかかる、ということは、いろんな方から同意頂けることかと思います。

私自身は、自分と考えが違う人と意見を交わすこと自体は嫌なこととは思っていません。意見が違う人と話をすると、今までなかった価値観が生まれたり、自分自身に新しい考え方をインストールするいい機会になるからです。自分の意見を他の人に伝えようと思った時、意見が違う人と話すことは往々にしてあることですし。


でも、意見を交換している時に「それは違う」と言われてしまうと、ムッとしてしまいます。ここでいう「違う」というのは、例えば、テストの答案に自分の考えを書いて、それに対して×印をもらうことをイメージしています。僕の考えが合ってる、合ってないって、どうして決めることができるのか…

「そういう考え方もあると思うけど、私はこう思う」とか、「そういう考え方もあると思うけど、こういう視点で見ると違う見え方になりますよ」と言って頂けると、なるほど、ぜひ聞かせてくれ、と思っちゃうんですが。


もし仮に自分の言ってることが「筋道が通らない」という意味の「それは違う」であれば、まだわかるんですが。「筋道が通っている」(と思っている)自分の意見に対して「それは違う」というのは、私はあまり理解できません。

そういう人がいるとき、私はちょっとムッとしたあとに、「ああ、あなたはそういう考えなんですね」と心の中でちょっと思って昇華して、あとは忘れるように努めています。

その人と話しても、新しいものは生まれなさそうだし、お互い話してても、お互いにストレスがかかるだけだったら、懸案事項だけさっさと片付けてしまいましょう、きれいさっぱり忘れてしまいましょう、と思ってしまいます。

帰り道や風呂の中やベッドの中でネチネチ考えていても、誰も得しませんし、おそらく自分と考えが合わない側の人も、なんとも思わずにグッスリと眠りについていると思います。


なんで私がこんなことを書いているかというと、まさにこういうことがあったからですね。世の中に、こんなツマラナイことでストレスを抱える人が少しでも少なくなりますように…

ストレスのない社会っていいですよね。この世の理想郷みたいで。こういう世界にならないかなーと思いながら。

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