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僕が音楽を志した理由。#4 キース・ジャレットと渡辺貞夫と"シティポップ"

 高校生になって最初の夏休み、親友の家に泊まりに行った。そこで友人が凄いからとにかく聴けと、言われて聴いたのが、"キース・ジャレット"の"ケルンコンサート"というライブアルバムだった。

 全編ピアノオンリーの、アドリブ演奏のライブ録音。高一の僕には衝撃だった。

 今聴いても、全く新鮮に聴きいってしまうし、これほどの名演奏は他にはないと思っている。是非お薦めしたい。
 僕はこれまで、このアルバムを何人に勧めたかわからない。付き合った彼女にはテープに録ってプレゼントもした。レコードも持ってるし、CDもなぜか何回か買っている。

 そのぐらい今でも好きなアルバム、是非このnoteを読んだ方にも勧めたい。(二度言いました。)

Köln, January 24, 1975, Pt. I (Live)

 キース・ジャレットを僕に教えた友人は、"渡辺貞夫"の大ファンでもあった。当時"ORANGE EXPRESS"という曲が、CMソングにもなっていてヒットしていた。

ORANGE EXPRESS / Sadao Watanabe

 "ORANGE EXPRESS"の、ちょっと陽気なサンバの雰囲気は、当時の僕には、明るすぎて、どうもしっくりこなかったのだが、
 その後にリリースされた、"Fill up the Night"と"Rendezvous"という二枚のアルバムは、非常にオシャレに洗練された都会の雰囲気がして、思春期で背伸びしたかった僕は、愛聴するようになる。

Rendezvous/渡辺貞夫 1984

後々気づくのだが、このアルバムの参加ミュージシャンの多くは"Stuff"のメンバー、前回紹介した"サイモン&ガーファンクル"の"セントラルパークコンサート"とでは、"スティーブ・ガット"や、"リチャード・ティー"といったメンバーの共通点があるのだ。

 この辺りが、僕のジャズを聴きはじめる入り口なのだけれども、ジャズとは言っても、当時、主に聴いていたのは、"T-SQURE"や"CASIOPEA"といった、フュージョングループ。時代も、丁度そのブームの幕開けの頃だったと思う。

 フュージョンがブームだった頃と、僕の青春の体験とは、色々連動している、大学時代、"わたせせいぞう”の"ハートカクテル"というオシャレなマンガとアニメが一世風靡したのだが、その音楽は"松岡直也"だったり。

ハートカクテル vol.11 ノックをしなかったサンタクロース

 もう少し続けると、、、。

 "鈴木英人"さんという有名なイラストレーターの方が、やはりFM雑誌の表紙を書いたり、カセットテープのインデックスになっていたり、オシャレなカフェの壁に、イラストが大きく飾ってあったりと、アメリカの西海岸をイメージしたその世界観は、のちにバブルと呼ばれる世間のアイコンになっていた。

 僕も高校の放送部では、文化祭のDJブースの壁に、鈴木英人さんのイラストを、大きく模写したものを飾ったりしていた。(僕が描いた訳ではないが)

 当時、"片岡義男"さんの小説、"鈴木英人"さんのイラスト、"わたせせいぞう”さんのマンガ、そして所謂"シティポップ"と呼ばれる音楽は、今考えたら「虚構の極み」だったかもしれないが、そのありえないほどオシャレな世界に、憧れる若者は沢山いて、僕もお金も容姿も無いのに、そんな世界に行ってみたいとも漠然と考えていた。

 鈴木英人さんは、アルバムのジャケットも描いていた、"堀井勝美プロジェクト"もフュージョンサウンドで、今聴くと、めちゃめちゃ"シティポップ感"あるあるなのだ。

 Hot Corner/堀井勝美Project

 大学時代、友人と音楽を楽しむときは、こんな感じな曲を流していたと思う。ただ一方で「泥臭い音楽」にもはまっていたのだが、それを共感してくれる友達の方が少なかった。それは"#5"に続けたい。

 僕がその後、インストのゲーム音楽を作曲する様になるのも、"アウトラン"を作っていた"セガ"に入社するもの、実はこの頃の体験が出発点になっている。

  こんな駄文、正直「なんの為にもならない」と思うのだが、あくまで個人の音楽体験の記録として残していると考えてもらえたらいいかもしれない。

まだ、つづく

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