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瓦礫の記憶

1995年1月、阪神淡路大震災が起きた。
学生だった私は神戸にいた。当時は、学校のある大阪と神戸を往復していた。電車が動かないので、代替手段のバスを乗り継ぐ。窓から見える景色は、倒壊した建物にブルーシートがかけられ、瓦礫の山がたくさん残されていた。火事の跡もあちらこちらにあった。かつて親しんだ景色は、どこにも残っていない。

1995年は、ボランティア元年とも呼ばれた。未曾有の大災害に、全国から多くの人や物が集まった。その好意に、被災者がどれほど救われただろう。
以来、各地で大小の自然災害が起きた。北海道、熊本、長崎、広島、岡山、三重等々。東日本大震災は、世界規模のニュースになった。

阪神地域は、復興したと言われている。街はきれいに整えられ、新しいビルや住宅も建った。元通りの生活に戻ったように見える。しかし、震災で亡くなった方の命は戻らない。被災者の恐怖や、生き延びてしまったという後悔も消えることはない。

各地の被災地にも、癒えない記憶が残っているはずである。インフラが復興しても、他の地域から忘れられようとも。
今日もどこかで、被災の記憶に涙し、祈っている人がいるだろうということを、私は忘れないでいたい。

2019年1月17日5時46分、24回目の祈りが、阪神地域で捧げられる。

週刊キャプロア出版31号「ギラギラしたい時代劇」に掲載)

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