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「ノイエ・ハイマート」池澤夏樹


NEUE HEIMAT(新しい故郷)というこの二律背反するドイツ語のタイトル。まさに今、出るべくして出た一冊……

《(どうして西洋の言葉では「受難」と「情熱」が  passion という同じ単語で表されるのだろう? 明治期の日本の誰がそれを二つの意味に訳し分けたのだろう? キリストの生涯に関わりがあるらしいけれど、私は今それを知らない。)
(と書いた翌日、私はラテン語起源のこの言葉  passio の語源が「受ける」という意味であることを知った。受ける。では、与えるのは神か? 受けるのは一方では苦難であり、もう一方では突然の熱狂なのか?)》(10-11頁)


《アル・ジャジーラはカタールを拠点とする衛星テレビ局で、欧米各社とは別にアラブ圏ぜんたいをそれなりに中立の視点から報道している。それゆえ信頼性は高い。》(18頁)


《なぜ国を出たのかと聞いた。
 彼らの場合は単純明快だった。
 徴兵されて兵士になり昨日までの友人を撃つか、あるいは反政府派と見なされて兵士に拷問されて殺されるか、未来にこの二つしか選択肢がない。それが明白だから伯父は無理をしても脱出の費用を用意してくれた。
 国というものはまずもってそこに住む人々それぞれの生活を保障する枠組みであると私は思った。それが壊れてしまって、政府が国民を大量に虐殺し、都市を破壊して廃墟にする。アサド政権のもとでシリアはもう国の体裁を成していないが、それでも国際政治の力学はこの国家体制をつぶさない。》(152頁)


《「思うんだが、ノイエ・ハイマートって、それ自体が矛盾ではないのかな。新しい故郷って」
「もちろんそうよ。それはわかっている。故郷というのは先祖代々で古いはずのもの。長い歴史があるはずのもの。それが新しいというのはおかしいわ。でもね、それを承知で新しい故郷を作らなければならない場合もある。そういう事態が迫ってくることがある。そういう人たちに手を貸すという義務も生じる」》(163頁)


《僕が生まれた国では僕が属する民族は八パーセントしかいなかった。 だからどうやっても社会のある一線から先へ出られない。
 誰にでもできて誰もやりたくないような仕事しか貰えない。その敷居を越えることは最初から封じられている。二級の国民であることを僕たちは幼い時に教え込まれた。うかつに頭角を現すと上から叩かれる。僕はそれを小学校で学んだ。
(中略)
 軍に入れば学校以上の差別が待っている。暴力も今ここで甘受しているようなものではないだろう。いちばん危険な地域に送り込まれ、いちばん危険な任務を負わされ、事態によっては自国民を殺せと命じられ、それは民族Kであるかもしれない。昇進などはじめからあり得ない。いつになっても最下等の一兵卒という人生。》(166-167頁)


《ドイツは難民が自分たちだけで固まって閉鎖社会を作ることを警戒しています。トルコから呼び入れたトルコ人の場合はそういうことになりました。フランスに行ったチュニジアやモロッコの人たちも同じ。一定の地域に集まって住んでそこをスラムにしてしまう。それ以前に一般社会が彼らを差別する。就職しようと思っても家の住所だけで門前払いされる。若い失業者が増え、治安が悪くなり、時には暴動が起こる。
 そうならないように難民をドイツ社会の一員として受け入れる制度が作られました。でも一世代で成果が上がるかどうかは疑問だという人もいます。
 反対意見もいろいろあるようです。
 税金がもったいないとか、追い返せばいいのだとか、反イスラムの空気とか、ナショナリズムとか。地域的に右よりの党が票を集めている場所もあるという話も聞きました。》(177頁)


《これは短篇と詩、ならびに引用などからなる雑多な構成の一冊である。引用は、他の作家・詩人からのもの、ぼく自身の過去の作およびその仕立て直し、等々、形式はさまざまである。》(229頁)


《散文の間に詩を置くことの先例としてぼくの頭にあったのはマイケル・オンダーチェの『ビリ ー・ザ・キッド全仕事』だった。詩と短い文章と数点の古い写真からなるこの本の構成をいつか自作に応用してみたいとずっと思ってきた。しかしオンダーチェの本が実在した人物という中心を持つのに対して『ノイエ・ハイマート』はもっとずっと拡散的なものになった。西部劇の若い英雄の代わりにこちらにあるのは難民という主題である。それをできるかぎり異なる種類の文章 の束として提示する。》(230頁)


《圧倒的な武力を持つ集団が他の集団のメンバーを大量に殺す。
 殺される側に抵抗の手段がなければただ逃げるしかない。
 こうして難民が生まれる。
 この本に記した多くの地名の先にウクライナとガザが加わったと嘆きながら、人の為す悪の陳腐さに溜め息が出る。そんなことをしている場合ではないだろうに、そんなことしかしない人々。しかし彼らは我らの一部である。人類はプーチンとネタニヤフを含む。いつだって殺される側・追われる側に対して殺し・追う側がいるのだ。》(232頁)


《難民という言葉を聞いても、日本人は遠い世界の話と思います。この言葉自体が refugee の訳語として戦後になって作られた言葉ではないでしょうか。
 しかし、第二次大戦末期の満洲からの引揚者、さっさと逃げてしまった関東軍を怨みながら、ソ連の軍隊に追われ、撃たれ、奪われ、犯されながら、必死で内地を目指した日本人は正に難民でした。
 そんなに遠い世界の話ではないのです。》(236頁)

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