【第11回】籠(かご)に乗る人、担ぐ人!どっちを選ぶ?
「籠(かご)に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」という格言があります。
「世の中には階級・職業がさまざまあって、同じ人間でありながらその境遇に差のあることのたとえ。
また、そのさまざまの人が、うまく社会を構成していることのたとえ」として使われます。
「籠」を会社や組織として捉えることができる一方、社長や部長のような役職に置き換えることもできます。
中には「どの籠に乗るべきか、籠の種類はどれにしようか」などに思いを馳せながら、日々ハードワークをこなしている方もいるのはないでしょうか。
「今はとりあえず担いでいるだけだが、いずれは乗ってみせるぞ」と、チャンスをうかがっていることでしょう(この手は、昨今はめっきり減っているようですが……)。
人によっては、すでにそこから抜け出して「このままずっと担ぐだけでもいいかな」と達観しているかもしれません(このタイプは、意外と多くいるのかもしれません)。
中には担ぐふりをして、実際にはぶら下がるだけで「少しでも楽をしよう」と知恵を絞る輩もいるかもしれません(この類は、以前からそれなりに存在しました)。
籠に乗れるかどうかは、究極的には上司との相性に依存します。どんなに一生懸命に担いでも、担ぎ甲斐がなくなれば「担ぐふり」も理解できない分けではありません。
「担ぐだけ」や「担ぐふり」は、組織の中における生き方のひとつです。どれを選択するかは、各人の考え方次第です。
しかし、長い目で見ると、人には人それぞれ「自分に見合った落としどころ」が必ずあります。
例え会社での評価が低くても、例え昇進できなくても、その先に必ずどこか「落ち着く先」が存在します。
それは、社内や社外を問わず「そのまた草鞋(わらじ)を作る」何かにたどり着くことでもあります。
問題は、その「きっかけ」が、いつ、どこで、どのように訪れるのか、誰にも分からないということです。
日々の日常に流されていると、せっかくのチャンスが知らず知らずのうちに、「目の前を素通り」してしまいます。
でも、「自分にとっての草鞋とは何か?」を常日頃から意識さえしていれば、必ずや「気づく機会」に恵まれます。
その「気づき」こそが、後のキャリアに大きな影響を及ぼすことになるのです。
次回につづく
(本文は、弊著『なぜ職場では理不尽なことが起こるのか?』<幻冬舎ルネッサンス新書>より一部抜粋編集し、シリーズ化したものです)
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