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花束と花瓶
約3週間滞在した仙台を発った。
帰りは新幹線を使うことにした。
節約のため万年バスユーザーだった私にとって、新幹線とはなかなかの贅沢だ。
もはや何年ぶりの乗車かすら覚えていない。
駅弁とビールまで買って、すっかり浮かれ気分である。
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友人達と別れ、バックパッカー並のリュックと大量のお土産を携えそわそわしながら乗車した。
酔った。
アルコールではなく、乗り物酔いの方だ。
元来三半規管が弱いのだが、ここまでとは。
泣き寝入りである。
大荷物と飲みかけのぬるいビール片手にたたずむ姿は存外滑稽だっただろう。
久しぶりの新幹線は思いがけずほろ苦い思い出となったが、牛タン弁当を母と仲良く半分こ出来たのでよしとすることにした。
振り返れば、かなり濃密であっという間の3週間だった。
居候させてもらった恩人から、一緒に過ごせて本当に楽しかったと感謝を受けた。
一心に気持ちを伝えてくれたその人の目には涙があった。
その人の涙を見たことが無かったので、驚きと心配が同時に来た。
思い返しても感謝されるようなことも、ましてや泣かせてしまうことをした実感も無い。
私には最後までその涙の理由が分からなかった。
あとからメッセージが送られてきて、涙の理由を知った。
その人が書き連ねてくれた言葉が一つ一つが私には“もったいない”と思った。
ほどなくして、それは失礼なことなのではないかと思い始めた。
今の私は、自信が無いからと花束のようなまっすぐな気持ちをゴミ箱に捨ててしまっているのと同じだ。
せっかく貰った綺麗な花束は、素敵な花瓶に飾って愛でたい。
たとえ枯れても、貰った思い出が消えることはない。
「自信の無さ」で誰かに嫌な思いをさせてしまうのは良くない。
「自信が無い」と「謙遜」は別物だ。
「自信が無い」は、自分嫌いから生まれる、傷つかないための手段。自分嫌いなはずなのに自分を守りたいという、究極のジレンマである。
「謙遜」は、自分の言動や行動に自信を持った上で、あえて表に出さないこと。能ある鷹は爪を隠すとはよくいったものだ。
私はたいてい前者だ。
「私なんか」という免罪符で、コンプレックスから逃げてはいけない。
星野源さんの著書に、こんな言葉があることを思い出した。
数年前から、
人見知りだと思うことをやめた。
心の扉は、常に
鍵を開けておくようにした。
相手に「自分は人見知りだ」と伝えることで、コミュニケーションが苦手だという現実から目を逸らしていたのだという。
これを読み、私も無意識のうちに人に気を遣わせてしまっていたなと反省した。
いつだって嫌な部分は見たくない。逃げたい気持ちもずっとある。
すぐには自信が持てなくても、人からのまっすぐな気持ちは素直に受け取れるようでありたい。
それが私が今できる、精一杯の誠意だと思う。
人からの気持ちが花束なら、私の器は花瓶だ。
せっかくなら質素でも素敵だと思える花瓶がいい。
今日は綺麗な花を買って帰ろう。
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