僕はリーダーシップを持てない

研修講師として、若手向けのリーダーシップ研修に登壇することがある。
ところが本音を言うと、私はリーダーシップなんて持てるものではないと思っているし、リーダーシップを発揮する、なんて言葉を聞くと、どことなく嘘っぽい、薄っぺらいような印象さえ受ける。

だけど、リーダーシップが不要だと思っているわけではない。
むしろ、(仕事を含む)人生を豊かにするものはリーダーシップだ、とさえ思っている。

結論を先に言ってしまえば、私は「リーダーシップを持つ」ことはできなくて、ただ「リーダーとしてある」ことだけができる、と思っている。


「持つ」というと、それは物理的に手で持てる道具(ペン、PC、コーヒーメーカーなど)、もしくは「何々が使える」というスキルや資格(運転免許、Excelのスキルなど)をイメージする。

それらは、必要な時にだけ使われるものだ。ペンは、文字を書くときに使われ、用事が終わればペン立てか筆箱にしまわれる。運転免許は、車を運転するときには必要だが、そうでないときは持ち歩いていなくても特に困らない(身分を証明する際に便利ではある)。

では、リーダーシップを「持てる」としたら、必要に応じて使うものなのだろうか。

たとえば、管理職に就いたから、さあ、今日からリーダーシップを使うぞ、と、自分の中のどこかに保管していたリーダーシップを取り出してくるのだろうか。あるいは、仕事ではリーダーシップを使い、定時を過ぎたらそれをどこかにしまって、家庭に戻るのだろうか。


そうではなくて、リーダー(それは歴史上の人物でもあるし、身近な会社の上司でもある)は、常に「リーダーとしてある」ように思う。

もちろん、365日、24時間、誰かを力強く引っ張っている、ということではない。リーダーシップにはさまざまな表現があり、他の人をまとめたり、大きな声を出すことだけがリーダーシップではないからである。

自分や、組織や、社会のめざす方向を常に考え、周囲に想いを伝え、リーダーとして自己を磨く努力を怠らない、そのようにして日々「ある」のがリーダーではないかと思っている。



〈参考文献〉
エーリッヒ・フロム『生きるということ』紀伊国屋書店,1977

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