「新自由主義とMMT」トーク原稿

コレは、とある集まりでMMTについて話すことにり、そのために作成した原稿です。

(まえおき)

【地方は何故衰退してきたのか?】

多くの人は、人口減少と東京一極集中、地域社会の高齢化、などによって地方が衰退してきたと考えているのではないでしょうか?又は地方の人々の努力が足りないから衰退したということなのでしょうか?

結論を先に言うと、それらの要素は確かにあったとしても、それは主たる要因ではなく、本当の主たる原因は、「地方を見捨てる経済政策を取ってきた」から、地方は衰退してきたのです。

具体的には、地方交付金の削減による地方自治体財政の逼迫、公共事業費の削減によるインフラの弱体化、など、地方への配分を徹底に削ってきたことによって、地方は衰退「させられて」きたのです。

地方への配分を削る名目として、国家財政の危機が喧伝されてきましたが、MMTを知ると、それは嘘であることがよくわかります。地方復活のためにはMMTについての理解が世の中に広まっていく必要があります。

【地方創生とはいったい何なのか?】

地方創生政策というと、地方のためになるような印象があるかもしれませんが、それは単なる「イメージ」でしかありません。実態は、地方への配分を削りに削っておいて、「地方は自力で、自己責任で頑張れよ」と言っているのが地方創生政策というものです。

東京一極集中、地域社会の高齢化、などは「原因」ではなく「現象」であり、政策の「結果」です。そして、その結果を生んだ政策こそ、新自由主義というものです。政策を変えれば、地方は復活します。

イメージだけの地方創生ではなく、現実に地方が復活する政策への転換が必要です。

今回は、地方衰退を招いた新自由主義とは何なのか、と、地方復活の鍵となるMMTについて、専門用語や数字を出来るだけ使わず、一般人的感覚で理解出来るように説明していきたいと思います。

(新自由主義)

【現在の日本が新自由主義になっていった経緯】

新自由主義とは、経済に対して国家の介入を出来るだけ無くして(小さな政府)、自由競争・自己責任の社会にしましょうという主義です。グローバル化も、国家の介入を出来るだけ無くすという方向ですので新自由主義です。

現在の新自由主義は80年代「インフレに困っていたアメリカ」で始まりました。新自由主義は「デフレになるような経済政策」ですから、ある意味選択肢としてはあり得そうです。しかし新自由主義は格差を拡大しますから、その後アメリカは格差社会になっていきました。

日本では70年代に「一億総中流」と呼ばれる状態が完成し、それは素晴らしい状態であったはずですが、その中で「自分の努力で勝ち組になったと思い込んでいる者」たちは、その状況に不満でした。

「自分の努力で勝ち組になったと思い込んでいる者」は、もっと自由競争・自己責任の社会にしたがるのです。というわけで、日本にも新自由主義が入り込んでくることになりました。

その後日本で行われた「改革」は、それまでの日本のやり方を否定して、アメリカのように自由競争・自己責任の社会にしていこう、というものでした。その結果、日本もしっかり格差社会になったのです。

【僕もあなたも新自由主義者?】

さて、あなたは新自由主義者ですか?と問われたとしたら、多くの人は、いや私は違うと答えるかもしれません。しかし、結果的に私たちは日本で行われてきた新自由主義的な改革に同意してきたのです。

例えば「郵政民営化」や「国鉄民営化」など、諸々の「民営化」は新自由主義的政策ですが、これらは国民から支持されて実現されました。反対する者は「既得権益者」とか「抵抗勢力」と言われて非難されました。

「緊縮財政」から繋がる「地方交付金削減」なども国家の役割を出来るだけ小さくして、自由競争・自己責任の社会にしていく新自由主義的な政策です。地方創生などという言葉は、国家がしっかり国土全体の面倒を見るという「責任」を放棄してしまって、地域の自己責任で頑張れよ、と言っている新自由主義的な政策です。

日本は民主主義社会ですから、民意によって新自由主義を主張する政権が支持・選択されて、改革が実行されてきたのです。格差を広げてきたのは私たち自身でもあるのです。「え?そんなつもりじゃなかったよ」と思う人は、うまく思い込まされてきた、もしくは、もっと言えば、うまく騙されてきた、と言えるのです。

じつは僕自身も知らず知らず「新自由主義的な発想」に毒されてきていました。MMTを知ってからというもの、僕がフェイスブックなどで主張している内容はかなり変質してきています。皆さんも、もしかしたら単なる思い込みで、知らず知らず「新自由主義的な発想」に毒されてきたかもと自らを疑ってみると良いと思います。主張を変えるのは悪いことではありません。

【デフレがこの国を衰退させている。しかしデフレ大好きな人もいる。】

新自由主義は「デフレになるような経済政策」を行います。デフレとはどういう状態かと言うと、世の中に出回るお金が足りなくなってしまい「カネの価値が上がり、モノの価値が下がる状態」ということです。

カネの価値が上がりますから、既にお金持ちであれば、より得になるということです。デフレ大好きな人もいるのです。しかし、デフレの怖いところは、一部の金持ちは得になるけども、社会全体としては経済が縮小してしまい、国全体の経済力は低下してしまうところです。

デフレでモノの値段が安くなれば庶民は単純に喜んでしまい、新自由主義的な政策は庶民にも支持されてしまったりすることもあるのですが、しかし、経済全体は縮小して、人々は収入をどんどん得にくくなっていきますので、格差は広がる一方になり、マクロで見れば自分で自分たちの首を絞めていく結果になっていくのです。

「日本は成熟社会なのでもう高度経済成長は望めない」と思い込んでいませんか?しかし実態は、わざわざ新自由主義というデフレ化政策を20年間続けて、経済成長を「わざと」止めてきただけなのです、本当は。本来的にこれ以上経済成長出来ないということは全くなく、単なる思い込みにすぎません。

【あなたは勝ち組ですか?勝ち組じゃなければMMTを理解すべし。】

日本という国は、 わざわざ新自由主義というデフレ化政策を20年間続けてきました。MMTを理解すると、国全体にとってはその政策が間違ってきたということがよくわかります。新自由主義の政策では、一部の上級国民は得をしますが、格差が広がり、国全体の経済は衰退してしまうのです。この20年間で事実として日本は衰退してしまいました。

何故、間違ってきたのか?それは、現在の経済政策を支える経済理論「現在の主流派経済学」そのものが間違っていたからです。

現在の主流派経済学者たちは今でも自分たちが正しいと思っているかもしれませんが、現実に日本を20年間もデフレの泥沼に沈めてきた経済政策しか行ってこれなかったのです。主流派経済学者たちはリーマンショックも全く予想出来ませんでした。

現在勝ち組の者たちにとってはデフレのほうが居心地がいいので、間違ってるのはわかっていても、わざといまの経済政策を続けているのかもしれません。

しかし、日本全体では確実に経済が縮小に向かい、先進国の座から転げ落ちようとしています。つまり。主流派経済学者と勝ち組の人たちは、国を滅亡に向かわせながら、自分たちだけは甘い汁吸い続けようとしているのです。

あなたは勝ち組ですか?勝ち組じゃなければMMTを理解しましょう。もしあなたが勝ち組の人なら、ぜひ国全体のこと、そして国の将来のことを考えなおしていただければと思います。

(MMT)

【MMTというのは「政策論」ではなく「事実の説明」】

MMT=Modern Monetary Theory(モダンマネタリーセオリー)(現代貨幣理論)。

MMTというのは何かの政策について論じているものではなく、「お金」というものについて、本当はこういうものですよ、という「事実」を説明しているだけのものです。

MMTはいくつかの骨組みによって構成されています。まず、そのうちのひとつとして、「お金というのは、それ自体価値あるものではなく、一種の借用証書のようなものだ」というのがあります。(信用貨幣論・新表券主義)

この考え方の反対は「お金というのはそれ自体、金貨のように価値があるものだ」というものです。かつての金本位制時代はこの考え方でした。(商品貨幣論)

現代は信用貨幣、商品貨幣、どちらが流通しているかというと信用貨幣です(事実)。

貨幣はどこで生み出されるか?

貨幣は、政府が生み出したり、銀行が生み出したりします。どちらも「無から」生み出します。(内生的貨幣供給論)(事実)

貨幣を生み出す、というのはなにも現金紙幣を印刷するだけでなく、「預金口座に数字を書き込む」だけでも生み出され得るものです。(万年筆マネー)(事実)

そして、現代においては、現金紙幣よりも、万年筆マネーである預金口座の数字としての貨幣のほうがたくさん流通しています。

無から生み出されたお金はめぐりめぐって再び無に帰されます。銀行が生み出したお金は、借りた人が借金を返すことで無に帰されます。政府が生み出したお金は、国債が償還されたり、国民から徴税することによって無に帰されます。

ここで重要なのは、徴税というのは、お金を無に帰すことであって、政府支出の財源にしているわけではないという「事実」です。「消費税は社会保障の財源に」などというのは全く間違えた表現です。

「無から」生み出せるというのは「理屈としては打ち出の小づち」のようなものですが、勿論、無暗やたらと貨幣を増やすとインフレになり、やりすぎるとハイパーインフレになります。(日本ではかつて銀行が貨幣を増やしすぎたのでバブルになりました。)

これで全てでは全然ありませんが、MMTとはこういった「事実」を組み上げて、「現代の貨幣はこうなってますよ」という理論のことでしかありません。

【MMTは何故「政策論」のように思われるのか?】

MMTは貨幣の事実を説明しただけのものですが、MMT的には「今デフレなのに、それをやったら更にデフレになって国民社会のために悪い影響を及ぼすとされるような政策」を政権が続けてしまっているために、MMTを理解した者や利用したい者たちがそれを批判して、政策論争のようになっているのです。

日本はここ20年というものずっとデフレでした。何故ずっとデフレなのか?それはデフレになるような経済政策をずっと続けてきたからです。(当たり前)
「デフレになるような経済政策」それが即ち「新自由主義」であった訳です。

【財政規律の線引きの位置。「赤字」という言葉のイメージ。】

新自由主義者は小さな政府を望みますから、緊縮財政大好きです。そして、緊縮政策を進める理由付けとして、財政悪化の危機をことさら煽ります。つまり「国の借金がこんなに増えて大変」と危機感を煽ります。

しかし「国の借金」というのは、皆さんがなんとなくイメージする借金というものとは全然違うものです。最初に「銀行と政府が無から貨幣を生み出す」という話をしました。政府は国債発行という形で無から貨幣を生み出しています(国債の仕組みは複雑なのでここでは説明省略)。

つまり、政府が国債をたくさん発行すると日本の社会に流通する貨幣の総量が増えます。むやみやたらと発行しすぎれば出回る貨幣が増えすぎてインフレになります。なので国債発行には加減が必要ですが、現在日本は長らくデフレ状態ですので、本来的にはまだ国債発行量は増やして良いはずです。

しかし財務省及び現政権(既存野党も)は「国の借金」を気にして、財政健全化を主張し、借金を減らそうとしています。

政府は国債発行という形で貨幣を生み出していると言いましたが、国債を減らして「国の借金」を減らすというのは「社会に出回る貨幣の総量を減らす」ということです。デフレなのに、世の中に出回るお金を減らすのですから、ますますデフレに拍車がかかるに決まっているのです。そして現に20年間デフレが続きました。

この理屈からいくと、世の中に出回るお金の適切な量というのは、適切な量の国債発行がされていて、財政的には少し赤字寄りの状態あたりだと考えられます。そして、財政規律の線引きというのは少し赤字寄りの部分で良いはずなのです。

多くの国民は「赤字」とか「借金」という言葉の負のイメージに踊らされて、「赤字は無いほうが良い」「借金は無いほうが良い」と思い込んでいるだけですが、赤字を無くし、借金を無くしていけば、世の中のお金がどんどん足りなくなり、デフレがひたすら悪化していくのです。

財政というのは、本来ある程度赤字の状態であるほうが、経済は成長します。現在の日本が、現状の財政赤字を抱えて経済成長していない、というのは、まだ赤字が足りないということなのです。

(マクロ経済政策)

【マクロ経済政策には2つあり、財政政策と金融政策がある】

世の中に出回る貨幣の量を増減して、経済がうまく回るようにする調整することを「マクロ経済政策」と言います。

財政政策は、政府支出の増減と徴税の増減によって行います。
金融政策は、政策金利の調節によって行います。

デフレのときは、世の中の貨幣量を増やさなければいけませんので、政府支出は増やす、減税する、金融緩和する、といった政策が必要です。

インフレのときは、世の中の貨幣量を減らさなければいけませんので、政府支出は減らす、増税する、金融引き締めを行う、といった政策が必要です。

さて、日本はこの20年間ずっとデフレでした。デフレだったのですから、政府支出を増やす、減税する、金融緩和する、といった政策が必要だったはずです。しかし、実際に行われてきたのは金融緩和の部分だけで、政府支出は減らされ、増税が行われてきました。

ちなみに、アベノミクス3本の矢は当初「金融政策」「財政政策」「成長戦略」でしたが、そのうちの「成長戦略」は新自由主義的な構造改革のことで、むしろデフレ化政策でした。「財政政策」は有効であったはずでしたが、バラマキという批判にあい、すぐ萎んでしまいました。そして「金融政策」だけでは効果が無かったというのが現実の結果でした。

これでは20年間デフレが続くのは当たり前、むしろわざとデフレにしてきた、という感じです。その間、日本の経済成長はばったりと止まってしまい「最早先進国ではない」とまで言われるようになってしまいました。

【「地方創生」というのは新自由主義政策であり「政府の責務」の放棄。】

結論として、この20年間デフレを続け、格差を拡大し、経済成長をとめてしまった原因は「マクロ経済政策が間違っていた」という一言に尽きます。

とくに地方創生、地域活性化分野については、新自由主義政策によって地方交付金が削られ、その削られたパイの奪い合いを「地方創生」の名のもとに、我々は自己責任化を押し付けられ、「競争させられてきた」のです。

マクロ経済政策が間違っていて、壮大な逆流のなかを我々は努力させられていたのです。個別の努力はもちろん大事ですが、壮大な逆流をなんとかしないことには、我々は賽の河原の住人でしかなく、終わりのない戦いに疲れ果てていくしかないのです。

【マクロ経済政策こそ「国家の役割」であり「政務の責務」。】

マクロ経済政策というものは国家(政府)にしか出来ないものです。我々は今、この「国家の役割」というものを再認識する必要があります。

この20年間、国民はグローバリズムの名のもと、国家の役割を否定する新自由主義的思想を「思いこまされて」きました。

しかし、国家の役割というのは、いま我々が思っているよりも大事なのです。

現在マクロ経済政策の舵取りを牛耳っている上級国民たちは、その国家の役割を放棄して、新自由主義思想のもとで、この国の経済成長を止め、格差を拡大して貧困層を増やしてしまいました。上級国民たちは「政府の責務」を果たしていないのです。

国民が「国家の役割」を再認識し、マクロ経済政策を上級国民たちだけのためのものから、国民全体のためのものにする必要があります。

【「国家の役割」を再認識すべし。但し「復古的国家主義」ではなく。】

MMTを知ると、マクロ経済政策の重要性がよく理解出来ます。そして、それは「国家の役割」というものは重要である、ということの理解につながります。

日本人は「敗戦のトラウマ」が大きすぎてか、この「国家の役割」を否定したがる傾向があるように思えます。しかし、本来「国家の役割」というのは「弱者を守る」ということなのです。

国家の役割を否定し、グローバル化を進めれば、その先には弱肉強食の格差社会が待っています。そして現実に日本はその方向に向かってしまっています。

日本はこのままデフレ化政策である新自由主義を続け、経済的に衰退した先には、大国からの理不尽な扱いに抗えなく未来が待っていることでしょう。

繰り返しますが、日本はこの20年間、経済的に衰退し続けているのが事実なのです。それは、経済政策の間違いを認め、政策転換しなければならないという現実なのです。

ただし「国家の役割」を再認識するにあたり、「復古的国家主義」とも言うべき思想が入り込むことには注意が必要です。「敗戦トラウマ」が大きすぎる日本人は、あくまでも「科学的国家主義」もしくは、「仕組みとしての国家の役割」のように理解したほうが、広く支持されることになると思います。

(オマケとマトメ)

【(オマケ1)ほんとは国債なんて仕組みは要らない。】

近代的な国債という仕組みは金本位制時代に整備されたものです。金本位制による貨幣というのは、発行された貨幣は金といつでも交換しますよと国が保証する制度です。

ということは、国は持っている金よりも多くの貨幣を発行することが出来ません。経済規模が小さいうちは良かったのですが、経済成長して発行すべき貨幣の必要量が増えても、保有している金の量より多くを発行出来ません。そうすると、世の中に出回るお金が足りなくなって、慢性的なデフレ不況になりました。

金本位制のときは、現代のように「お金を無から生み出す」という発想がありませんでした。財政が苦しくなると、政府は国債を発行して、予算をカバーします。が、このときの「国の借金」は文字通り借金であったので、財政健全化に励まねばならず、増税や歳出削減などで、更にデフレ化する、という悪循環に満ちていました。

こういった状況が20世紀初頭についに決壊して、世界大戦に繋がった、と言っても過言ではないかもしれません。金本位制は無理だということで、世界各国は順次、現代と同じ管理通貨制度に以降します。ここで、商品貨幣論には終止符が打たれたはずでした。

しかし、国債という制度はいまだ残り、政府がお金を無から生み出すという「事実」ではなく、税収を財源にして予算を組むという、金本位制時代の古めかしい感覚で、いまだ多くの人が理解してしまっています。

ズバリ言ってしまうと、国はお金を無から生み出せるのですから「借りる」必要などないのです。問題になるのは、お金を発行しすぎでインフレになりすぎることですから、それを防止する仕組みを整備すれば大丈夫なはずです。

【(オマケ2)主流派経済学の人は何故そんなにハイパーインフレを恐れるのか。】

政府と中央銀行を分離せず、国債制度をやめてしまって、お金を借りるのではなく、無から生み出し、徴税によって無に帰せば良い、とMMT論者は考えます。この、政府と中央銀行を分離しないという考え方を「統合政府」と言います。

一方、MMTを批判したい主流派経済学の人たちは「そんなことをしたら民主主義が暴走して、歯止めがかからなくなり、ハイパーインフレになる」と主張します。

20年間も見事にデフレ漬けにしておいて、ハイパーインフレになる民主主義の暴走を心配するのも滑稽なのですが、主流派経済学の人たちがハイパーインフレを怖れすぎるのには、理由があるのです。

主流派経済学の人たちというのは「一万円には一万円分の価値がある」という商品貨幣論的な感覚をいまだに引きづっています。金本位制の時代は、一万円札はいつでも一万円分の金との交換が保証されていました。

しかし現代は、管理通貨制度になり、一万円の価値は、金では保証されません。そこで主流派経済学の人たちもMMTの考え方にシフトチェンジすれば良かったのですが、そうはならず、一万円の価値は「共同幻想」ということにしてしまったのです。

共同幻想でしかないから、主流派経済学の人たちは政府の信用力というものをやたら気にします。そして財政規律にうるさくなり、ルーズな財政運営になったら、国の信用が失われて、お金が紙くずになってしまうと怖れるのです。

MMTでは貨幣の価値は租税貨幣論という考え方で、価値は担保されると考えています。日本での納税は日本の貨幣でしか出来ません。ということは、日本の社会にいて、日本で納税するものは必ず、日本の通貨である円を必要とすることになります。

この、納税という最終需要があることで、一万円札には一万円の価値が担保されると考えるのです。決して共同幻想なんかではありません。MMTを理解すれば、そんなに簡単にハイパーインフレになどならないとわかります。しかし、主流派経済学の人たちは、じつは「お金とは何か」という根本的なことを理解してないから、すぐ制御不能になるんじゃないかと心配するのです。

【本当に怖れるべきは、経済的に衰退して先進国の座から転げ落ちること。】

現在、日本はまだ経済大国です。MMTを理解すれば、ハイパーインフレも、財政破綻も現状では怖れる必要はありません。

しかし、いまの新自由主義政策を続け、20年間のデフレを30年40年と続けたらどうなるか、日本は経済大国の座から転げ落ち、貧しい衰退国となってしまうでしょう。

そうなってしまうと、他の大国から経済支配を受けるようになり、MMTの論理は通用しなくなります。我々が真に怖れるべきはそこなのです。

現状ではまだ日本は、ギリシャやベネズエラやアルゼンチンのようにはなりません。しかし、いまの新自由主義政策を続けてしまうと、同じ運命になってしまうかもしれません。

国民の多くがMMTを理解し、マクロ経済政策を転換する必要があります。

【(マトメ)MMTとは何か、そして今必要なこと。】

理論の構造や、数字、専門用語などを出来るだけ使わずに説明を試みましたので、コレを聞いてもすぐに「MMTとは何か」を答えられないかもしれません。

とくに今回は、日本を苦しめている新自由主義というものに対する考察から紐解いたので、本来的な意味でのMMTの説明にはなっていないかもしれません。

興味を持った方は、ぜひともMMTの理論そのものの勉強をしてみてください。今回の説明では繋がらなかった話が、おそらく繋がってくるんじゃないかと思います。

今回として無理やりまとめると、MMTとは、「政府が財政支出によって無から貨幣を生み、徴税によって貨幣を消滅させる(財源にするのではない)、そしてじつは国債という借金は不要」という感じです。

いま国民に必要なことは、マクロ経済政策という「国家の役割」はすごく大事なものであり、尚且つ、国家(政府)にしか出来ないこと(いくら地方(地域)が努力しても無理ゲー)。そして、本来の国家の役割というものは弱者を守るということ、などを、しっかり再認識することです。

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