僕なりに思うこと

MMT(現代貨幣理論)は、「みんなが豊かになれる可能性を切り拓くもの」と僕は認識しています。

(いや、「MMTはそういう政治的な意図を含むものではなく、単なる事実を述べてるだけ」というのもわかるのですが、僕はいまの格差社会をなんとかしたいと思ってます)

(又、「必ずみんなが豊かになれる魔法である」とまで言うつもりはありません)

さて、MMTを批判してる人たちは、「みんなで豊かになる」ではなく「頑張った者だけ豊かになろう」と言ってるように、僕には見えます。

その人たちは「怠けてる者は貧しくて当然」と考えてるように、僕には見えます。

コレはどちらが正しいのでしょうか?

これは歴史的な「自由競争主義」対「再配分主義」なのかもしれません。

そして現代は自由競争主義のほうが優勢に思えます。

自由競争主義が優勢になりすぎると何が問題か?

それは、格差が固定され、自由な競争と言いながらじつは最初から優劣がついてしまうことでしょう。

貧しい者が何故貧しいのか、それが「怠けたから」よりも「最初から不利だから」という割合が増えていくのが、問題なのだと思います。

再配分を強化しようと言う意見に対して必ず「そんなことをしたら怠け者がますます怠ける」というのは、よく言われることでしょう。

その意見は正しいのかもしれませんが、しかし上記したように、貧しい要因が「怠けたから」ではなく「最初から不利だから」のほうが多いなら、やはり再配分を強化しなければいけないのではないでしょうか?

再配分を強化するために問題となるのが、次は「財源問題」でしょう。

MMTを学ぶと、現在行われてる「財政支出をどこまでやって良いかの線引き方法が間違ってる」ということが理解出来ます。

MMTを批判する人はよく「そんな打ち出の小槌とか錬金術みたいなうまい話は無い」という言い方をします。

この批判は間違っていて、MMTと主流派経済学では単に「財政支出をどこまでやって良いかの線引き」の「位置が違う」だけなのです。

MMTは決して「線引きが必要ない」などと言ってるのではなく、「線引きの場所が違う」だけなのです。

MMTを批判したい人が自由競争主義者なのだとすると、何故そこまで線引きの場所を厳しくすべきと言うのでしょう。

その理由は「線引きを厳しくしておいたほうが勝ち組側に有利だから」です。

格差は固定されていたほうが、勝ち組で居続けることが容易くなるからです。

格差社会がますます酷くなったとき、ごく少数の勝ち組が大半の富を占有し、多数の負け組は苦しい生活を強いられます。

歴史的に見ると、それが酷くなればなっただけ、反動としての革命が凄惨なものになります。

そうなると社会全体は大きく傷つくでしょう。

幸にしてこの国は一応民主主義が保たれています。

いまの日本の状態がおかしいと思ったら、とりあえずぜひMMTがどんなものかから学んでみて欲しいな思います。

経済の話は難しいように感じるかもしれませんが、ある程度わかりやすいものがこれからどんどん出て来ると思います。

僕も、わかりやすい例え話など、考えていこうと思います。

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