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2020年 54冊目『貧乏人の経済学』


とても興味深い本でした。
貧しい人に対して、どうすれば貧しさから脱出できるかという話です。
とても深い話で、貧乏な人だけではなく、人に対して何かする際の基本的な考え方が学べます。


違いは、貧乏な人の場合、よりきちんと対応しないと実現できないという事なのです。

貧乏な人を援助するには、2つの立場があります。

1つは、援助は基本的に無駄であり、有害であるという立場。
援助は、途上国の人々の自主性を奪い、ひどい言い方をするとクレクレ厨にしてしまう

基本は人々のやる気と自助努力と主体性に任せ、自由市場により発展に不可欠な部分だけ支援するべき。
貧困を援助で助けるなどは、上から目線の先進国傲慢だ。

1つはドーンと援助しないと貧困は解決しないという立場。
そんなこと言ったって、今まで自主性に任せていたら貧しいままだから困っているんでしょう。
貧乏な国に行けば、教育も病院も機械を買うお金どころかそれを売る商人も電気も情報も何もなり。
やる気あっても、環境を整えないと、個別の努力では何も変わらない。
まずは、環境を整えよう。その後が自助努力だ。

著者は、どちらの発想も一理あるが、一理しかないと言っています。

援助は白か黒か、なんでも自主性ではないが、何でもあげればよいわけではない。

援助には障害があり、それは人間が生得的に持つ弱さやちょっとした勘違い、過大な期待と現実のギャップにあるのです。

それを見つけて取り除いてあげれば、結構うまくいくし、開発援助はそんな地道な障害の解消が重要なのです。

つまり弁証法でアウフヘーベン的なアプローチってことですよね。

この著者は、これをお題目で書いているだけではなく、行動し実証しているのです。

しかも、それは行動経済学の最新の成果と実にうまくマッチしてもいるのです。

そこから導き出された知見は、かなり意外なものでした。

例えば
・飢えている人でもカロリー増よりもおいしいものやテレビの方を優先する
→仕事がなく時間を持て余し、その時間を楽しむために必要なのです。

・就学率が上がらないのは、学校が無いからではなく、親が行かせたがらないから
→就学が1年延びると数%ずつ収入が増えるという事実があるのですが、親は最初の数年はほぼ収入に関係なく、高学歴にならないと収入が増えないと考えているのです。つまり最初の短期の就学は投資対効果が悪いと考えているわけです。

・マイクロファイナンスは悪くないが、一般に言われるほどすごい話ではない。
→貧乏な人が抜け出すには、2つの壁がある。1つ目の手持ち資金が無い壁はマイクロファイナンスで超えられるが、次の規模を大きくする壁には、マイクロファイナンスの額は小さすぎ、金融機関から見ると少額すぎる。だから誰も貸してくれない。

・高利貸しは悪辣な業突く張りではない(ことが多い)
→そんなことをしていたら客がつかない。しかしこわもてでないと踏み倒される。

・途上国に多い作りかけの家は、実は貯蓄手段。
→人間は定期的に貯蓄できるほどできていない。私たちは銀行口座があり、年金を天引きされる。口座がない人は、毎月自分の意志で貯めないといけない。そんなことが個人でできる人は少ない

・女性の早婚は、女性にとってより良い選択肢の1つ
→大家族の女性は、家族内でも大事にされないことが多い。だからお金を持っている高齢者の妻になるというのは現状脱出方法の1つでもある。AIDSは高齢者に多いという情報を女子たちに提供すると、高齢者とのセックスが減り、避妊が増える。

・教え方を変えると識字率が大きく上がる
→本人に恥をかかせない方法で、習熟度別に授業を行うと、識字率が向上する。

・貧乏な人はきちんと複数の副業をしている
→1つがだめになっても大丈夫なように防衛している。ただし、その1つ1つの収益性は極めて低い。

・貧乏な人だとわかると、成績が下がる
→(貧乏だとわかる)名前や出身地を書くと、テストやゲームの成績が下がる。

・固定給になると成績が上がる
→額ではなく、安定的に未来があるとわかると業績が上がる。

面白くないですか?
とても示唆に富んでいますよね。

私たちにも当てはまるのですが、私たちは国の仕組みや自分が持っている月給や資産のおかげで守らているわけです。

ところが貧しい人は、それらが無いのです。だから少しの悪い変化でも大きなダメージを受けるわけです。

読んでいて思ったのは、右か左か白か黒かではなくて大半はグレーだという事ですね。

そのグレーの中身をきちんと見て対応することが重要だという事ですね。
少し抽象化し過ぎましたが、読み応えありました。

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