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2021年 17冊目『未完のファシズム 持たざる国 日本の運命』


いやいや面白い本でした。
松岡正剛塾で片山杜秀さんがいらっしゃるので課題本でした。
片山さんの本は3冊目ですが、学びの多い本でした。
組織は合理的に失敗するという本があります。
合理的ではない判断をして失敗するのではなく、それぞれ合理的な判断をして失敗するということを書いている本です。


この本は、切り口は違いますが、それぞれの立場で合理的な判断をしているのですが、それが結果的に第二次世界大戦の敗戦につながっているのが理解できる本です。

今後の日本を考えるのに読んでおくと良い本の1冊だと思いました。

内容です。
小川未明の「戦争」という本の中に徳富蘇峰の第一次世界大戦後の日本の状況を説明している言葉があります。
「日本国民の真誠なる国民的発奮と、努力とは、日露戦争(明治三十七八年役:1904,5年)までであった。
そこまでは日本人は国民一丸になって一生懸命にやった。しかしロシアにいちおう買って、明治維新来の国民的緊張が弛んでしまった。

その傾向は明治天皇の崩御によって助長された。
国民の偉大なる厳父が去ったことで、年季があけてもう遊び暮らしても構わないのだという感覚を国民が味わってしまった。
日本人が弛み切った最悪のタイミングで、第一次世界大戦。

それは日本人にとって「麻薬」を服用してしまった。
一言すれば成金気分。
日露戦争でできた巨大な外国債務(戦費の半分の10億円)がのしかかり、青息吐息で企業の倒産が相次いでいた。

第一次世界大戦の先行き不安が投資を冷やし産業界はますます低調になった。
しかし、戦争は短期で終わらず、ヨーロッパ各国は産業を軍需本位に転嫁させた。
それでも足りず、大戦年目から、ヨーロッパが日本から軍需品を輸入することになった。
当時の日本の工業生産高は、アメリカの1/36、ドイツの1/16、イギリスの1/14、フランス、ロシアの1/6、ベルギー。カナダの半分。
それが軍需品の輸出ができ、ヨーロッパからの輸入は無くなり、国内産業は競争が無いなかで大きく潤った。

世界をドイツ製品が席けんしていたのを日本が海外に輸出できるようになった。
第一次世界大戦は、軍隊だけではなく、兵器や生活品を作る工場、兵站など総力戦の戦いになっていた。

日本は、第一次世界大戦を経験せず、これを頭では理解しても、実際は分かっておらず大国の仲間入りをしていった。

鉄と鋼をたくさん作れる方が勝つ。
工場の広い方が勝つ。
人間も大勢いるほうが好ましい。
兵隊よりも銃後の労働者の質と量が決め手なのかもしれない。

戦争は軍隊だけがやるものではなくなった。
国家の生産力がすなわち軍隊の戦闘力。
西洋列強諸国は、軍人も政治家も経済人も科学者も民衆も身をもってこのことを知った。

しかし、日本は第一次世界大戦戦勝国とはいえ、主戦場から遠く離れた地にあって漁夫の利を得たに過ぎない。
戦争の革命、文明の革命を実感できなかった。
このことが大きな災いの種になるだろう。

20世紀に勝ち残るためには、各国の事情に合わせながら、国家の全力が最大効率で振り絞れる体制つくりをしなくてならない。

すべての国家がいわゆる総力戦体制、国見総動員体制を確立しなくてはならない。
→これ以外の選択肢はなかったかもしれない。

しかし、日本は大国の仲間入りをしたとしても「持たざる国」でした。
「持てる国」との戦いに備えて、日本はどう考えたのか。

タンネンベルグの戦いが影響を及ぼした
1914年に生起した、ドイツ帝国とロシア帝国間の最初期の戦い。
ロシア軍の兵力はドイツ軍の2倍以上であったが、ドイツ軍は、無線傍受、鉄道での高速移動などにより撃破に成功した。

日本軍はどう考えたのか
統帥綱領、戦闘要綱
ダンネンベルグの戦いに学べば、「持たざる国」が「持てる国」に勝てる!
兵隊や兵器や足りなくて当たり前だ。
それで戦うのが日本陸軍の基本だ。と完全に開き直った。
敵を包囲するためには何よりも側面攻撃!
政治を無視して軍の独断専行も辞さない。
時間的に速戦即決。
兵站の心配をする前に戦いを済ませる。
→もしも包囲殲滅による速戦即決に失敗した時の方策は無い!
殲滅精神は、相手の強さ弱さによって、容易に玉砕精神へと転倒してしまう。

統帥綱領や戦闘要綱を作った荒木貞夫や小畑敏四郎の想定外の用いられ方をされ、狂気の沙汰の経典と化した。

田中智学(国柱会設立者)
日本の文明は実質がない。
各国の文明を持ってきて、一種の日本化を経た上に、東西南北の各長所を握手させた。

日本はそれ自体では何者でもない。
個性ゼロの無内容の国。
単なる場所。
だから主体が無い。
主語がない。

だからだめなのではない。
おのれのない日本のみが古今東西の万物を無間に抱擁し融合させ、究極の地上天国、世界文明の最終完成態を作り上げることを可能とする。
→大同情の原理=本居宣長のもののあわれ

まもなく世界が日本を必要とするタイミングが来る!
統制派:持たざる国から持てる国になってから戦争をする

石原莞爾
1966年の世界最終戦争に日本が勝って、智学がいう 世界文明の最終完成態を作る
それまでに、アメリカの国力、産業力、科学力に匹敵する国に仕立てあげておかなければならない。
第一次世界大戦の総力戦は近代戦の最終形態ではない。
戦争の本体は数日か1日で終わる。
20世紀は科学の時代であり、決戦兵器を作り出し、これにより勝利する。

大日本帝国憲法
日本帝国は万世一系の天皇のしらすところなり(原案)
大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す(実際)
「うしはく」と「しらす」
日本ではもともと国津神が「うしはく」の政治を行っていた。
つまり力づくの政治をしていた。

天皇は「しらす」の政治。
知らすは、上に立つものが己を鏡として、下の者たちのありのままを映し出す。
そして知ったことを改めて下に知らす。
これが日本の政治。

上に立つものは鏡そのものである。
とにかくその時その時の妥協点を不断に見つけてゆく政治。
明治憲法の仕組みは、天皇が大権を保持し、しかも天皇の統治行為は「しらす」でなくてはならない。

下々は「分権」
論理上誰もリーダシップがとれない。
当時は「元老政治」でした。
彼らの寿命が尽きたら、憲法だけ残って後は知らないとなったのが大正から昭和。

東条英機は独裁したくても日本ではしようがないので困り果てた。
そこで兼職でなんとかしようと思った。
職域の仕切りが高くてうまくいかない。
特上独裁反対の声が上がる。
言論統制や思想統制くらいは法的にもやりやすかったので、反対派を黙らせることはできた。
しかし、協力政治や総力戦・総動員体制が完成したのがファシズム。
日本ファシズムは、未完のファシズム。
→これが本のタイトル!

世界中の政治のありようは6つの政治原理
闘争、支配、自治、同化、カルマ、帰きょう
6つの原理を説明する7つの指標
観念、構造、組織、異議を申し立てる運動、変えるような事態を起こす形、価値、参加条件
中国の戦いは勝てる戦いしかしない
日本の戦いは「真鋭」である。

真の戦いである。
真の戦いであれば1対千でも戦わなければならない
→物量に負ける戦争であっても「真鋭」である
→物量で負けるので、かさ上げしないといけない→精神力である。戦闘精神!!

1941年の死生観
生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ
人間の本質は「まこと」を求める「まごころ」にある。
個々人が死んでしまおうと、天皇が存在する限り生き続ける。
この物語を本当であるかのように受け入れてくれれば、命を惜しまぬ人がたくさん出てきて「持たざる国」が「持てる国」と少しは戦いやすくなるかもしれない。

→アッツ島玉砕(玉砕という言葉を生み出し、ある意味称賛)
日本は歩兵中心の戦いをしていたのですが、機械化をしなかったのか?
日中戦争で試したが、混成軍(いろいろなトラック、いろいろな軽戦車)で兵站、技能も不足しうまくいかなかった。

→役立たずという価値観が生まれ、日米戦争でも変わらなかった。
戦争の類型
1 速戦即決戦争 戦力に差がある。限定戦である。
→持たざる国の理想

2長期持久戦争 戦力に差が無い
-1 当初から長期を想定
-2 速戦即決を目指したが長期持久になる

3戦争建設並行型戦争
長期戦と類似だが、戦争の準備をして戦争に至る
日本は女性の力も使おうとした
→月経と生産性の調査を行っていた
月経前後で9割以上の人は4-5%平均で生産性が落ちる。
無理(長時間、過重労働)をすると月経が乱れる。
→これは長期で考えると女性の身体を悪くし、子供が産めなくなるので、拙い
月経を乱さないことが真のナショナリズムだ

日本ほど近代の総力戦に不向きな国はない。
総力戦に不可欠な工業資源が決定的に足りない。
人的資源も不十分。
明治憲法には総力戦を阻む構造が備わっていた。
政治力の集中を嫌う。
天皇大権を侵害するとして避けたがる。
中途半端に大きかった。

第一次世界大戦でも勝ち馬に乗れてしまった。
地理的場所も問題だった。
東亜の盟主を唱えないと、あるいはコワモテで行かないと自国の安全を保てない場所であった。

背伸びせずに身を潜めていることもできたかもしれないけれど、現実的な態度ではなかった。

大国と向き合うには背伸びは必要だった。

上手に背伸びすることも、無理な背伸びを止めることも、近代日本の政治機構にはできなかった。

この国のいったんの滅亡が我々に与える教訓は
背伸びは慎重に、一か八かはもうたくさん。
身の程をわきまえよう。
背伸びがうまくいった喜びよりも、転んだ時の痛さや悲しさを想像しよう。
そういう想像力がきちんと反映され行動に一貫する国家社会を作ろう。
ものの裏付け、数字の裏付けがないのに心で下駄をはかせるには限度がある。

そんな当たり前のことも改めてかみしめておこう。

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