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0524−364/わが息子も大人になってこの夜のことを思い出すのだろうか

息子が小学校に入学したのを機にわが家の朝の始まりは1時間早くなった。自分は6時にアラームをセットして起床すれば間に合うが、どうせ早起きするならば、早起き感を味わえるように、設定時刻を5時55分にしている。たったの5分早いだけで、「5時台に起きている」ということになり、「6時台に起きている」よりも随分と早起きの印象になる。「早起き」はなんだか「立派な大人」のイメージにつながる気がして。その起床時間になってからもう1ヶ月以上経ち、(前夜酒を飲んでいない限り)6時前に目が覚めるようになってきた。

今朝も6時前に目が覚め、そのまま仕事部屋に入り、今日締め切りのVTRチェックを始め、7時になった時点で登校する息子と家を出る。これも日課にしようと思い始めているのだが、息子と電車の乗り換えの駅まで行ったところで見送り、そのまま帰路を散歩に充てる。

散歩なら、わざわざ電車に乗ることなく家から近所を歩けばいいじゃないかという話もあるが、この方法には緩やかな強制力があるのだ。
1、息子の登校に合わせることで時間が決まる。
2、電車に乗って家から離れた駅まで行くのでとにかく帰るしかない。
時間にして約20分。散歩を習慣にする初期段階としては、適当な時間だ。この緩やかな強制力のせいか、これまで続いても1週間だった「散歩(という運動)」も約1ヶ月続いている。さて、いつまで続くのか。

日中、ルーティンとなっているテレビの諸々の仕事。今日はそこに割り込むように、新規の企画会議が3本。まだ実現するかどうかは未定だが、初動段階の「世界観づくり」「ルールづくり」が楽しくて仕方がない。その1つが、外資系の配信コンテンツの企画で、初めて入るその会社はセキュリティが厳重でいろいろと手続きが大変だった。個人個人に割り当てられたQRコードと身分証明証がないと入れない。

その後、レギュラーのリモート会議を済ませ、夜は今回が最終回となる「トーキョー和物アワー」というDJイベントへ。今夜はワンオペで息子の世話をしなければならない日と重なってしまったので、やむを得ず自転車の後ろに息子を載せ、さらにその膝の上にレコードバックを載せ、「重いよ〜!」と言われながら、下北沢はメンフィス兄弟へ急行。

到着して早々に自分のターンになり、ブースに息子を伴い、DJ開始。子連れDJ。レコードをかけている間、息子は音楽に合わせて「太鼓の達人」のように、父親のケツを叩いていた。

実は、自分にもこれに類した記憶がある。まだ小学校の低学年だったはずだから、今の息子と同じぐらいの歳。村の祭りで、獅子舞や天狗の踊り(何という名称なのか知らないが、数人の大人たちが天狗のコスチュームでフォーメーションダンスをしていた)に合わせて太鼓を叩いていたのが、今は亡き親父。一緒にいた自分は、その親父の後ろに回り、太鼓のリズムに合わせて親父のケツを叩いていたのだ。周りの大人たちにウケて嬉しかったことが今も記憶に残っている。お袋もよく「あんた、祭りの時はよく父ちゃんのケツを太鼓に合わせて叩いてたもんだよ」と言っていた。

2世代に渡って、音楽に合わせて父親のケツを叩く息子。わが息子も大人になってこの夜のことを思い出すのだろうか。

その後、他のDJの皆さんやお客さんたちから、誕生日のサプライズ。まったくもって予想していなかったので、ちょっと感動してしまった。息子と共にロウソクを吹き消し、大拍手。息子の記憶にこんな一場面が残るといいんだが。自分は歳をとっている父親なので、少しでも息子の思い出の中に残りたい、いつもそんな風に思ってしまうのだ。

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