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みつけた。


猪突猛進。自分だけを信じて進むちから。
まだまだ自分の根っこのほうにはあるとは思う。
でも、そんなふうにはもう進めないや…という場面を何度も経験するうちに、
はじめから諦めたり、取り組むことを避けたり、そっちを見ないようにしたりして、
自分の根っこをすやすやと寝かしつけてきた。

結婚して「妻として」の役目と真摯に向き合い精進することは、私にとって自分の根っこを覆い隠す土をかけ続けることと同じだった。と、わりと最近気がついた。
結婚してからずいぶんと長い間、私は自分を地中深くに埋め隠してきた。それが自分を守る唯一の方法だったのだとも思う。でも…
もういやだ!こんな扱いを私は今後一切受け入れない。そもそも受け入れる必要なんてなかったのだ。と、ようやくはっきりと自覚した。
遅すぎる気もした。でも今でよかった。

きっかけはこどもがお世話になっている学校の先生との出会いだった。
いろいろなものごとに対する考え方や姿勢が自分とすごく似ていた。結婚後、ずっとひとり孤独に歩んできたけれど、こんなふうに世界のどこかに自分のようなひとがいてくれたことがとてもうれしかった。
そう思えたのは私が私を置き去りにしてから、はじめてのことだった。
奥深くに眠らせてきた自分をみつけて、お日さまのなかに連れ出してもらえたように感じた。
きょうまで悩み考えながら選んできたひとつひとつのことが、まちがっていなかったと心の底から思えて、ここからは自分をもう一度信じて進んでいこう、と決めた。

私は自分と縁があった以上、関わることになったこどもたちには、ちいさくとも、なにか「よいもの」を手渡せるように、との思いで塾講師や家庭教師、親業に取り組んできた。
今の私がそうであったように、出会いには人ひとりの生き方を根本から変えるちからがある。
ほんのちいさなことでいい。
自分が関わったこどもたちが、なんかちょっといいものもらったな、と受け取ったものをポケットに忍ばせて歩んでいってくれるといいな、と思う。

今回読んだ本「学校のセンセイ」の主人公には、あまり気乗りしないままセンセイ業に携わりながらも、やはりその奥底には過去に封じた熱い想いと、関わることになったこどもたちになにか「よいもの」を手渡そうとする意思を感じた。
確かにあったはずの覆い隠してきた自分を、
ひととの出会いを通じてゆるやかに掘りおこしてゆく様子がとても優しくてあたたかかった。

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