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SNS全盛のこの時代で無自覚な犯罪自慢をしない自信はどれ位あるのかという記事

【2024年3月28日】
 10時45分。
 神戸大学のバドミントンサークル「BADBOYS」。器物破損や窃盗行為をしたらしい、という話が流れてきた。
 明らかに『BADBOYS』というサークル名から自分達は悪い事やって名を挙げるぜ、という意識が見えている。違うかも知れないが。
 まあそんな奴等はどうでも良い。悪質性が高いので擁護の余地無し以上おしまい。
 そんな事より昔話しようぜ。
 名古屋大学のHUCKというサークルがだな。

 2007年の記事だ。どうせ誰も記事読まないだろうから私が概略を説明すると当時の名古屋大学のサークルが鳥取砂丘に巨大な『HUCK』という落描きをしたという話。浜辺に落描きなんて別にどうでも良いよね、と皆思うだろう。私も騒ぎにならなかったら『まあ、別に。』で流してたと思う。
 だが違法。
 上に貼った記事から引用するね。

『ところが、この場所は、山陰海岸国立公園の特別保護地区の一角。砂丘は国指定の天然記念物でもある。読売の報道を受けて、鳥取砂丘を管轄する環境省の浦富自然保護官事務所では、自然公園法に違反する可能性もあるとして調査を始めた。』

 という事。
 さて、もしこれを読んでいる他県民達が当時のHUCKの一員だったとしたら、この事態を回避できただろうか。『BADBOYS』は無かった事とする。あいつらただの犯罪者だからな。
 もし私が2008年当時のHUCKの一員だったら、多分それが違法だと気付かずに鳥取砂丘を他のメンバーと一緒に荒らしていただろう。だって砂丘だぞ。砂場だぞ。砂だぞ。
 まずさ、道端にゴミを捨てるのは駄目だろ。それは親から教わる。学校で教わる。ポイ捨て禁止の看板が立っている事もある。要するにそれが駄目な行為だという事を知る『機会』があるのだ。
 じゃあ砂丘の砂で遊ぶのは駄目だって一体どこで知るのだ。そんな『機会』私の人生でこの事件の報道以外に無かったぞ。
 『砂丘の砂で遊ぶのが駄目なんじゃなくて「天然記念物である鳥取砂丘の」砂で遊ぶのが駄目なんだぞ。』と言う奴も居るだろう。なおさら知る機会無いだろ。天然記念物なんて私の生息圏に一つも無いよ。
 人間っていうのは大体が今まで自分が興味無かった物は詳しく知ろうとしないものだ。他県民達だって親の仕事が何であるのか知ろうとしなかっただろう。知ったのはどうせ学校の宿題とかの調べ物だったり、あるいは親が普段から自分の仕事を子に伝えていたとかそういうレベルのはず。
 砂丘に対する興味関心なんて公園の砂場の上位版とか子供の頃に親に海に連れてもらって楽しかった位だろ。そしてその思い出の中で一度でも『ここの砂は天然記念物だからいじっちゃ駄目だよ。』なんて言われた事無いだろ。何、あるだと。すみません鳥取県民向けの記事じゃないんですよこれ故郷の砂漠に帰れ。
 子供の頃の認識のままで大人になるなと言いたいだろうけど、大人になったら自動的に大人の認識になる訳じゃないんですよ。何度も叱られたり教えられたりする事で大人になる訳で、要するに環境が大事。たまたま鳥取砂丘で大規模な砂遊びしてはいけませんという事を教わってなかっただけの話だぞこれ。それはそうとして法律違反なら罰せられるけどさ。
 この頃のインターネット上での自爆ならテラ豚丼も欠かせないだろう。

 流石にこれは鳥取砂丘の件とは異なりいくら何でも雇われの身分でこれは無いだろと思うだろう。私もそう思うのだが、しかし馬鹿な奴は馬鹿である。そしてその馬鹿をやらかして叱られて成長して馬鹿でなくなる。
 こいつはHUCKの事件同様に自分の犯行をインターネット上に公開してしまった。内部で叱られて減給や解雇されればそれが罰となり成長しただろうにこれではデジタルタトゥー化して10年以上が経過した現在でもこのように引用されてしまった。私によって。
 馬鹿をしてしまう奴が出るのは人間とはそういう物だと私は考える。だって元々霊長類だぞ。猿の近縁種だぞ。馬鹿じゃない方が不自然だ。だが高い学習能力を私達人間は有しているので適切に叱れば適切に成長するはずだ。だがインターネット上の不特定多数の口撃に晒されれば完全に狂ってしまうだろう。じゃあインターネットにアップロードするなよ、だろう。そうだその通り。
 だがそうではない。その意見は正論であるし頷きもするのだが。

 これによると

『支払方法の影響を媒介する変数の一つとして,支払の痛みが特定されてきた(Raghubir & Srivastava, 2008)。支払の痛みとは,製品の代金を支払う際に消費者が経験する心理的な痛みを指す(Zellermayer, 1996)。』
Soman(2003)は,支払の痛みは支払の実感度によって規定されると主張している。具体的には,支払の実感度が高いほど,消費者は支払の痛みを感じやすくなり,支出は減少する一方,支払の実感度が低いほど,消費者は支払の痛みを感じにくくなり,支出は増加するという関係であるという。』
『具体的に,現金決済の場合,消費者は,製品を購買するのと同時に,支払金額分の紙幣や硬貨を財布から取り出し,従業員に手渡す必要があるため,消費者が感じる支払の痛みは大きいと主張されている(Raghubir & Srivastava, 2008; Soman, 2003)。』
『次に,クレジットカード決済の場合,製品を購買する時点で,消費者はクレジットカードを財布から取り出し,従業員に手渡し,支払金額を確認して署名する。この時点では,物理的なお金は手元から失われず,支払が完了する時点までには一定の時間差が存在する。そのため,現金決済の場合と比べて,クレジットカード決済の場合のほうが,消費者が感じる支払の痛みは小さいと主張されている(Raghubir & Srivastava, 2008; Soman, 2003; Thomas et al., 2011)。』
『続いて,デビットカード決済の場合,製品の購買時点におけるプロセスはクレジットカード決済の場合と同様であるが,製品の代金は購買時点でカードと紐づいた銀行口座から支払金額が失われるという点でクレジットカード決済とは異なる。そのため,デビットカード決済の場合は,現金決済の場合と比べて消費者が感じる支払の痛みは小さいと考えられるものの,クレジットカード決済の場合と比べて支払の痛みは大きいと主張されている(Runnermark et al., 2015; Soman, 2003)。』
『そして,モバイル決済の場合,製品を購買する時点で,消費者は現金やカードを財布から取り出したり,署名したりする必要がなく,単にモバイル端末を取り出し,アプリを起動するだけである。この時点では,当然ながら物理的なお金が手元から失われることはないため,現金決済やクレジットカード決済の場合と比べて,モバイル決済の場合のほうが,消費者が感じる支払の痛みは小さいと主張されている(Falk et al., 2016)。』
『以上のように,既存研究では,支払の痛みは,現金,デビットカード,クレジットカード,モバイル決済の順に大きいということが示された。』

 要約すると支払いの手間と物理的な実感が大きければ大きい程支払いに対する抵抗感が強いという事だ。実際モバイル決済はチャージする時が凄い抵抗感があるがいざ使うとバーコード店員に見せるだけだから自分の金が失われた実感がまるで無いのが凄い。楽天ペイとか本当に無くなってるのかあれ。
 そして実感が無い、というのは何も支払いに限った話ではないと思う。
 まずこれを読んでいる他県民達が悪い事をしたとしよう。それをX等のSNSで呟いたとする。
『どうしよう。仕事で悪戯しちゃってバレるとまずいんだけど。』
 これだけなら問題無いだろう。だってこの呟きを見ている人なんて赤の他人である。少なからずそういう意識にはなるはず。
 では現実世界で赤の他人、それも大量の人間達の眼の前で、当然彼らが呟きをしっかり聞くという前提条件で同じく呟くとする。
 どっちに呟く事への抵抗感を覚えるだろうかそうだね後者だね異論は却下する。
 だって後者の場合は生身の人間が目の前に居るんだぞ。鬼のような形相で怒られるかも知れない。頭のおかしい奴が刃物振り回すかも知れない。通り魔ってそういうものだよ。最悪職場の上司が混ざっているかも知れない。そこまで不安だらけの想定しなくてもなんとなく『ここは自分の居るべき場所じゃないな。』とかの場違い感を覚えたらその瞬間に自分の発言権が剥奪された気がして何も言えなくなるだろ。あるいは単に話の流れに乗れないでけでもそうなる。
 一方SNSは顔も見えないしいくら激怒したとしても所詮は文字だ。あんまりしつこいようならミュートとブロックを駆使して聞こえの良い空間を作り出せるだろう。やり過ぎるとエコーチェンバー化するけどな。
 この段階ならば問題無い。流石にSNSに個人情報載せてたらチェックメイトだろうけど。
 だがそれにとどまらずテラ豚丼の投稿者は自分のやらかしの文章化だけでなく、犯行現場を撮影した動画を投稿してしまった。当時のネットスラングに精通していたようだから匿名掲示板、当時の2ちゃんねるに入り浸っていたのだろう、そこを経てニコニコ動画に来たと考えられる。つまり前段階で自分の身分を明かさない匿名SNSに居住しており、そこで慣れた後に自分の情報を次のSNSであるニコニコ動画で公開してしまったのだ。恐らく自分の安全圏である最初のSNSの感覚を第二SNSであるニコニコ動画でも引きずっていたからの悲劇だろう。多分本人は犯行現場の動画に個人情報が含まれているとは思っていなかったと思われる。
 もし彼、あるいは彼女の第一SNSと思われる2ちゃんねるが実名制かつ現実世界の集会だったとするならば。
『大丈夫大丈夫、皆そんなものだから。』
 というような傷の舐め合いでもなければ互いの顔が見える距離で自分が集団内で不利になるような情報は積極的に開示はしないはずだし、それ故にそういう行動は駄目な行動だという認識を強化出来たはずだ。
 一方2ちゃんねるは板にもよるが当時はまだ大衆化が進んでおらずアングラ感が強くて巫山戯て笑いを取る場という感じが強かった。本当に板によるから真面目な所だと真逆だっただろうけど。
 そういう訳でそういう環境で育った彼、あるいは彼女はそういう行動が笑いを取れる肯定される、推奨される行動だと学習し、そして次のSNSであるニコニコ動画でも同様の行動を取りそれがしくじりになってしまったのだ。
 いや普通に考えれば悪い行動だとわかるだろ、と他県民達は思うだろう。
 おおけえおおけえ。いくら言っても理解出来ない奴は居るからな。だが覚えておけ。私達は自分から法律を調べて現実の行為一つ一つを合法か否かを調べた訳ではないはずだ。周囲の友人や大人達、あるいは自分自身の行動とその結果を見てこれは許される、これは許されないと経験で学習してきたはずだ。じゃあをたまたま経験による学習をしなかった、あるいは間違った学習をした行動をしてしまったら、誰だってテラ豚丼の投稿者や鳥取砂丘で自爆したHUCKになるのだぞ。でも理解できない奴は理解できないんだろうな。
『だって私はそいつらじゃないから。』
 例え話を理解するにはそれなりの知能が必要。

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