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同じ単語で会話しているはずなのにすれ違うという記事

 暇空茜さんが東京都との裁判に勝利したらしいな。当たり前だ。あんな都の態度が許せるものか。
 それよりも暇空さんと町山智浩さんが対談したらしく暇空さんの相方である『なる(@nalltama)』さんが話をまとめていた。

『全体としては話が盛大にブレまくったので 「人助け」についてのみ抜粋・要約するとこんな感じになるのかな (かなり原文と違う。4時間の中に散りばめられた要素を記憶の中で拾い集めてる) 暇空「町山さんのいう人助けの定義はなんですか?」 町山「利害関係がない人を助けることです。通りすがりの人とか。」 暇空「宇崎ちゃんなどを燃やしてたシュナムルさんの嘘を暴いたのは?」 町山「利害関係があるから人助けではないです。」 暇空「風邪のあきまんに差し入れをいれたのは?」 町山「利害関係があるけど人助けです」 暇空「利害関係は関係ないということですね?」 町山「そうですね。でも堀口とは闘争なので違います。 」 暇空「学習院OBの訴訟費用全おごり、300万はいくと思うが、感謝されていて僕はこれを人助けだと思う、」 町山「利害関係があるから人助けではない、闘争です。堀口との関係がなかったらやらなかったでしょう?」 暇空「それはそうだ、300万は大金。しかし半分は見過ごせない気持ちから助けている。そもそも僕は、それが人助けとなるかを、助ける側ではなく助けられる側が決めることだと思っています。」 町山「そうですね。同意します。」 暇空「学習院OBは感謝してくれています。」 町山「そうですか」 暇空「では、どう思いますか?」 町山「あきまんへの差し入れは人助けです。学習院OBは人助けではありません、闘争です。」』

 意味不明である。もしかして『学習院OB』の『OB』を『オービットベース』とかの略だと思っていて人ではない判定だから人助けではないとかそういう考えをしていらっしゃいますかね町山さん。
 なるさん自身も述べている通り、これは原文とは大きく異なる。実際には町山さんの方が理路整然としている可能性があるので町山さんを批判するのはやめよう。
 今回はこれを例題として、単語名に拘泥する事への注意点を述べさせてもらう。
 話は変わるが沖縄の座り込み抗議は御存知だろうか。その時、論破王とかいう渾名を持っているひろゆきさんが以下の発言をした。

『ひろゆき氏が「座り込みの意味がたぶん理解されてないと思うんですけど」と抗議団体の責任者に切り出し、ダンプカーが通る時間に絞ったこの活動を「それは座り込みじゃなくて抗議行動です」と“訂正”。さらに、抗議団体メンバーが「24時間してないと座り込みと言わないという定義がどこにあるんですか」と迫ると、「辞書に書いてありますよ」と平然とした態度で返した。』

 流石に辞書に『24時間』なんて明記はされてないだろう。まあいいや。あくまでひろゆきんはそういう認識でしたで通す。
 それに対して5chのなんJ民はこう返した。

『116 それでも動く名無し 2022/10/05(水) 07:49:52.92
ひろゆきは「座り込む」という動詞とデモの「座り込み抗議運動(Sit-in movement)」の区別が付いて無いんや

日本語の動詞の意味だけで捉えて「座り込み」なんだからずっと座り込んでなきゃ駄目じゃんとアホな事をいうてる
アメリカのデモ運動Sit-in movemen(座ったり立ち塞がって営業妨害する抗議運動)が日本に伝わった時に日本語で「座り込み」と訳されただけという経緯を知らないんや

座り込みというのはSit-in movementというアメリカ発祥のデモの名称、それを日本語に訳して座り込み運動というデモの形態の名称やねん
動詞ちゃうんや

ひろゆきが言ってるのは「自動車って自動じゃ無いですよね?運転という作業をしてますよね?じゃあ自動って間違いじゃないですか?」とトヨタに言ってるのと同レベル』

 これじゃないかな町山さんももしかして。 
 つまり。

ひろゆきさん『24時間座り込みしてないと座り込みじゃなくて嘘ですよ。』
活動家『(日本語の『座り込み』に対応する英語の『Sit-in movement』には24時間座らなければいけないという定義は無いので)嘘じゃありません。』
暇空さん『学習院OBは人ですし感謝されたので助けた事になりますよね。じゃあ人助けですよね。』
町山さん『(日本語の『人助け』に対応する英語の『◯◯』には✕✕があってはならないという定義があるので)人助けではありません。』

 多分こう。町山さん渡米したり字幕監修したりしてるから英語に精通してて思考の何割かを英語で処理していてそれに引っ張られた可能性あり。
 問題は町山さんの脳内にあると思われる◯◯と✕✕が口に出ていないのですれ違ったままな事だよな。
 百歩譲って町山さんの言い分を受け入れて暇空さんが学習院OBに感謝された件を闘争だとしても、闘争には感謝される『良い闘争』と感謝されない『ただの闘争』の二つがあるという事になるだけだが。ただ単に人助けの定義が『良い闘争』にスライド移動するだけだよこれ。そんなに単語の厳密な定義にこだわる必要ありますかね。やってる事は変わらないんだから貼るラベルが変わるだけだろ。
 ともかくこのように、同じ単語を使って会話しているはずなのに互いの脳内にある単語の定義が異なる可能性というのは常に考慮しておいた方が良い。じゃないと延々すれ違いになって結論が出ない時間の浪費に成り果てる。
 例としてはちょっと違うが航空戦艦。航空というのは空を航行する、という意味なので航空戦艦は空を飛べる戦艦の事なんですね、と思った奴が『艦これ』というブラウザゲーム流行初期に居たっぽいけど当たり前だが飛べません。空母の機能と戦艦の機能を併せ持つ艦種の事だよ。
 日常的な会話でもある事だな。例えば『ありがとう』。これは元々『有る(存在する)』と『難い(しにくい)』が合わさって『有り難い(存在しにくい)』から転じて『こんなに希少な物(体験)を得られるなんて素晴らしい』という変化をした、というのは中学高校の古典の授業で皆習っただろう。だが、何か物を頂いてありがとうございますを言った時に『いや貴方が貰った物はごくごくありふれた市販の安物です。それは『有り難い(存在しにくい、希少である)』とは言い難いので『ありがとう』という感謝をするのはおかしいですよね。』と突っ込んだらそいつの頭はおかしいだろう。
 なるさんのまとめはなるさん自身が述べている通り原文とかなり違うのだから本当に町山さんに対する私の指摘が正しいか否かは不明である。ただ互いの単語への認識のすれ違いについて考える例題としては適切では、と思って今回取り上げさせてもらった。正直両者の言い分が正しいとか興味無いしな。
 さて、これだけだと記事が短いので町山さんについて少し述べよう。町山さんを知らない人も多いだろうから端的に説明すると『進撃の巨人を作った奴を作った結果進撃の巨人を作った奴に実写版進撃の巨人を作らされた奴』である。

 以上の動画はだいぶ誇張が入っているだろうが、面白いからまあ良いかよろしくな。

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