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ぼくらは『うた』で『村』を創って、日本を、世界を、もっともっとワクワクさせたかった

2000年、20歳の頃に結成したバンド『あおぼし』
ぼくはこのバンドで、『村』をつくりたかった。
というより、自然と少しずつ、そうなっていったように思う。結成した場所が総合大学だったことも、きっと大きかった。それはつまり、各界のトップを担う可能性のある卵たちが、集まっている場所だったから。(と…思っていたし、思っている。)

ぼくらは、ド下手だったけど、いつだって自信に満ち溢れていた。
だから、ほんとにこんな楽しい世界があることを知ってほしいという想いだけで、お客さんを呼ぶことにも努力を惜しまなかった。覚えたてのインターネットというもので初めて自分達のバンド名を確認したのは「2チャンネル」というサイトに書き込まれていた「どこに行ってもあおぼしってチラシ貼ってあってウザい」という言葉だったw

結果、初ライブからずっと2〜3年くらいは、40〜80人くらい、普通にブッキングライブ(ライブハウス主催の一般的なイベント)で集客できていた。今から思えばこの数は、駈け出しアマチュアバンドにしたらなかなか驚異的だと思う。(東京に出て自分達がド下手だと認識したとたん客足が遠のいたww)

そんな中で

面白かったと思うのは、お客さんが、あおぼしと同じくらい、「あおぼしのお客さん」に会いに来ていたことだ。

ライブ後には必ずお客さんも呼んで打ち上げをやっていた。そこには魅力的な人がたっくさんいた。ある日ぼくらは気付いた。ぼくらには彼らを繋げることができるってことに。
『あおぼし』が発信する価値観に共鳴した、いろんな世界に属する人たちが、ぼくらを通して繋がっていってくれるのがすごく楽しかったし嬉しかった。そして、みんなでなんか、『どでかいこと』をやりたかった。だから、どんどん意識して繋げようとした。
それをやりたいなら、あいつがきっと力になってくれるよ!って。

俺らさえ売れたら、
みんなできっとすっげーことできるぞー!!って、そんなことばっか考えてた…んだけど…なぁ。。。

ご飯奢るから〜で声をかけたり、むしろ向こうからきてくれたり、そんなノリで、たくさんの人たちが力になってくれた、みんなが「可能性溢れる卵」だった時代。

あおぼしTシャツの習字ロゴを書いてくれた書道家の卵が、その後どうなったかは知らない。
YouTubeもなかったVHS時代にPVをつくってくれた、いつか映画を撮りたいと言ってた彼のその後を、知らない。
でも
このアルバムをレコーディングしてくれたエンジニアがその後、ミスチルとかレミオロメンとかのレコーディングエンジニアをしてるらしいとかいう噂をきいたよ!!
初代ドラマー「のり」がミスチルの大ファンで、DVD見てたらいきなり知ってる顔が出てきたからびっくりしたから調べたらクレジットに書いてあったって…。

その後、まだ彼と仕事をできてないのが残念でしょうがないww

これは、某大学の一学食堂上にある防音室で、駈け出しの彼とレコーディングをした、ぼくの人生初アルバム。

みんな、元気でやってますよーーーーーに。

アーティスト名:あおぼし
アルバム名:がむしゃら
曲名:線香花火

https://youtu.be/3oMSkxEscSw

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