見出し画像

角野隼斗氏の表現性を本阿弥光悦との比較で考えてみる

※2/29「角野隼斗氏の表現性から本阿弥光悦との共通点を探る ●フラットな姿勢(コラボレーションと育成)」の冒頭に追記


3月10日まで開催されている「本阿弥光悦の大宇宙」展を観て、角野隼斗氏の表現性との共通点を感じnoteを書くことにしました。

昔から光悦が大好きだったので情報が出た時点から行く気満々だったのですが、開催前にFFさんが「本阿弥光悦の大宇宙」という展覧会名と「始めようか、天才観測」というコピーから、本阿弥光悦を角野隼斗氏に見立てたポストをされていたのを見て、鑑賞中からなんとなく比較する視点を持っていたのかもしれません。笑
途中で角野氏の演奏のような「書」が現れて…ものすごくビックリ!!
滞在時間4時間半という長丁場で楽しみました。

ただし、会場のキャプション解説がイマイチなのです・・・
この展覧会は刀剣や書には詳しい一方、担当学芸員の専門分野以外には触れない様にしているのか、俵屋宗達との関連や平家納経との関わりには情報不足を否めません。
それだけ本阿弥光悦の仕事(リンクWikipedia)は多岐に渡っているという事でもあるので、簡潔に全体を網羅している下記のページはおすすめです。
専門家の場合、確証がないとあえて言わない傾向があり、展覧会ではキーワードだけが書かれてる妙な解説も多かったのですが、愛好家の解説は変な(余計な)配慮が無いので分かり易いです。
個人的に「日本のダヴィンチ」というのは違うと思いますけど。笑


展覧会内容のまとめはこちらがわかりやすいです。




比較の前提として考える本阿弥光悦の歴史的位置付

私がショパンコンクールで角野隼斗氏の演奏を「能みたい」と感じて以来、その表現性からは日本文化的な方法論を見出すことが多いのですが、それはジャポニズムのような分かりやすい「様式」とは異なります。
表現性をグローバルな視点に置いた際に日本文化の特色として見出せる類のもので、そこはレヴィ=ストロースの原始的世界を構造的に観る思想に通有すると考えています。
(注:私がレヴィ=ストロースの論理を用いるのは日本文化に通じる「原始(野生)」的部分のみで、全体像ではありません)

その構造的な表現に興味を持ち始めた頃は「創造性は神に代わるオリジナリティ/シグネチャー」という考え方が主流でありつつも、「別の視点があるのでは…」という疑問が広がり始めた時期です。
以降はゆるやかに変化し、この10年ほどの間にレヴィ=ストロースが復権したプリミティブな思考が芸術の価値観の一つとして定着してきた気がします。
これから比較する本阿弥光悦の作品は約450年ほど前のものですが、上記の文脈で言うと「古い時代のものだからこそ現代に通じる」ともいえます。
ただし、表現的には同じ様な状態であっても変化の方向性は逆向きなのです。

日本では、新しく発生するオリジナリティよりも、継承・変化そのものを味わう文化として表現が発展してきた。

真似や引用など過去からのイメージを積極的に生かす表現性のなかで、近代への視点として「個人」が感じられる作品が出てきた(立役者が本阿弥光悦)。

戦後は特に西洋式の「オリジナリティ」を重視する創造性が芸術の価値として輸入され主流となる(柳宗悦など民藝運動が無名性に価値を置く活動を行なったがあくまでもカウンター文化)
※注:西洋の唯一性もルネッサンス以降の近代に発展したもので、中世以前は神の絶対性の方が人間の「個」よりも強く古代は日本に近いと言われる。

テクノロジーの発展で、ガレージカルチャーから直接世界に発信するマスメディアを通さずに世界にアクセスできる環境が整う。
「私」がソーシャルに直結できる環境が世界で成立し、素人の二次創作的な表現性(日本文化的な表現性に近しいもの)も大衆レベルで世界に定着していく。

グローバルな価値観からも、「創造」から「唯一性」が薄れてきた。
(個人に拠らない制作の価値はマルセル・デュシャン以降定着していたが、コンセプトやアイデアに「唯一性」の創造的価値を置いていたが、インスタレーションなど「場・機会」の作品化や、大衆参加型の「行為・プロセス」をアートとするなど、作品・作家の意味が多義的に変化)

未来:AIの出現によって個人の能力に現在のような価値がなくなる可能性が考えられ、古代〜中世的な「個人よりも絶対的な神の存在」に意味を置いていた中世に近くなる可能性すら考えられる。
※下記の図が割とわかりやすい

上記のポストのように、未来社会を退行とみるかは現時点では何ともいえませんが、構造モデルとしては絵柄4枚目の中世型に近くなるだろうことは多くの人が予想(危惧)しています。
(角野氏参加の「AIと創造性」でも創造性は近世からという話題と将来は中世に戻る?という冗談めいた話題が出ています)
すでに論理的理解より私的でナラティブな事象に共感するポストトゥルースの時代にあるので、未来は予想できないとはいえ集合知であるAIのブラックボックス化とその論理にアクセスできない大衆というモデル自体は現実味を帯びています。

AI時代の知性がブラックボックス化された場合、対抗可能なのは絵には描かれていない大衆間に広がる横のネットワークだけです。
現在は「誰もが知り得る知識」と「共感性によるネットワーク」のバランスがギリギリとれている状態だと思われますが、いずれはAI時代の到来でバランスが崩れるでしょう。
(AIによる人間の退化はここでは扱っていませんが、そこまで言及するアート関連の評論は出て来ています)
現代社会ではポストトゥルースをマイナス傾向として捉えがちですが、AI時代においては、個々のバラバラな価値観が部分的に共感性でつながる事で(知への理解が及ばななかったとしても)そのネットワーク全体からは合理性と客観性が導き出される可能性が残されている気がするのです(少々楽観論かもしれませんが)。

先日、角野氏のツアーのご感想で「ソーシャルミュージック」を自称されているジョン・バティステ氏を角野氏に近い存在として比較されていた方がいらっしゃいました。
偶然にも前日Penthouseのライブでもバティステ氏の「I need you / Jon batiste」カバーが披露され、レポートでは「私たちにとって、みんながものすごく必要な存在である、という思いをこの曲に込めて歌いたいと思います!」とも書かれていました。
この曲、歌詞には悲観的内容が解決するような事は一切書かれていないのに、音楽はとても明るく楽しいのです。
その音楽からは希望が感じられ、その希望を皆で共有できる歌!
バティステ氏のソーシャルミュージックの解釈をGeminiでチェックしてみると「共通の経験や感情を共有し、コミュニティを築くためのもの」「単なる音楽ジャンルではなく、人々とつながり、世界に変化をもたらすための力」でした。
音楽が社会的影響を与えたウッドストックやライブエイドは、一つの明確な答えに大衆の総意が集中することで「社会を変える」ものでした。
バティステ氏の場合は、顔が見える(と感じられる)相手への肯定的な共感が、個(私的感情)の単位のまま繋がり広がっていく関係性が感じられ、それが何かしら社会に影響を与えるだろうという希望になっています。
その部分がソーシャルネットワークに準えられたソーシャルミュージックと言われる所以なのでしょう。
以前にも書いていますが(この時はAI時代がこれほど急に差し迫ってくるとは思っていませんでしたが)、まさにレヴィ=ストロースの「正真な社会」「<顔>のみえる関係」の現代版という感じ。
上部のAIとの関係に戻すと…その個々の小さい繋がりが大きく広がるネットワークにこそ希望を感じます。

とまあ…大雑把に自分がわかる範囲の実例を用いて乱暴に書いてしまいましたが、まとめると、文化・芸術のなかでは「集合としての匿名性」と「個としての唯一性」が西洋(世界)とが往来していて、それらの過渡期(中間域)に存在する表現として、本阿弥光悦と角野隼斗氏の類似性・近似性を感じているという事です。

匿名の人々の手で長い時間繋がれていた日本の表現が「個人・近代」に向かうきっかけ的存在、エポックメイカーが本阿弥光悦です。
その表現性はゼロから新たなものを作り出そうとする西洋的な創造とは異なり、前例を用いた構造的な引用に創造的価値が見出される表現技法を用いています。
一方で、それまで概念として日本に存在していなかったクリエイター個人の存在性(シグネチャー)を主張しました。
陶芸家ではないにも拘らず白楽茶碗「不二山(以下不二山)」は、その署名的価値から日本人作陶茶碗においては初・唯一の国宝に指定されています。
現代作品では作者の手によるものが当たり前になっている茶道具の銘(作品名)と箱書(作者の署名)ですが、もともとが見立てから始まった茶道具では使う側の茶人が銘を付け箱書(誰々の作とか銘をつけた人は誰々と書きそれを認定した茶人が証明する)するものでした。
「不二山」は銘をつけた箱書と娘の嫁入り道具として持たせた由の書付が現存し、後の所有者伝来を記した書付も全て残っていることから「自ら作品に箱書を記した初事例が証明されている」と国宝に指定されているのです。
もちろん、国宝指定は光悦茶碗の素晴らしさあってこそですが、当時「今焼」という新し焼き物(=楽焼)を利休とともに創出した長次郎作品ですら国宝はありません。
(現在国宝に指定されている日本の茶碗は二碗しかなく、一つは和様が確立された作者不明の志野焼「卯の花垣」と、この光悦「不二山」のみ)
光悦茶碗は楽焼二代目の常慶の時代、土を貰い焼成を依頼して作陶した茶碗で、言ってみれば「素人の手慰み」になるはずなのですが、作品のクオリティは常慶よりも優れているという見方もでき、日本の美術史・文化史に新たな一歩を示しました。
土のクオリティや焼成技術は常慶あってのものなので、専門家の技術を借りて制作を行う現代アート作家に近い制作工程と言えるかもしれません。

伝統工芸では名前を代々引き継くことが多いですが、名前は個人というよりも工房の当主・屋号的意味が強いと言えます。
焼物は絵付や登り窯のような多人数で行う工房制作が主体でしたが、侘茶の精神に合う茶碗を求めた利休とともに、これまでにない低温度で一碗ごとに焼成される新たな「今焼(楽焼)」が創り出された訳です。
私観ですが、日本的な「個」の成り立ちは、私的空間で行われる利休の侘茶の影響で、「私(概念)」が公の場に浸出してきたものではないかと考えているのです。
大名などによる公の茶会が書院の広間で催されるのに対し、利休の侘茶は北面のプライベート空間に設た草庵(「草」は真行草の草=私)で、禅の精神に依る「地位や肩書きにに縛られない平等性」を実現する場でした。
絵師の場合はこれまでも落款や署名がありましたが、公の仕事は基本的に工房作で、私的に制作された小品の落款が現在のサインと同等のものになるのではないでしょうか。
前述した「不二山」でも、娘の嫁入り道具=私物である事が、自らが箱書きを記すきっかけになった可能性として考えられますし、光悦は自身の書風を「私(わたくし)流」とも称していたそうです。
この「私=個」という人間存在としての署名が、西洋的な「唯一性の主張・自己顕示としてのアクション」とは印象を異にする部分であり、マスメディア(仮にでも公的媒体とするならば)を通さずプライベートな表現のまま「私=個」が直接世界に発信できる現状と近しく感じられる所なのです。
ただし、ここでも方向性は逆で…現代は無名の私人がそのまま有名になれる場であるのに、近世では社会的に役割を持つ人が肩書きや社会のしがらみから自由になれる私人になれた、ということだと思います。

光悦によって創造行為の帰属が匿名の職人達という集団から個人に独立したとも言えますが、かといって光悦が集団性を排除した訳ではなく(西洋のカウンター的転換とは異なる)、一気に現代アート並にプロデュースだけで作者として認められる次元にまで飛躍しました。
創作の独自性に価値を置く西洋的な感覚からすると時代を越えたかのようなジャンプになりますが、日本ではそもそも匿名の集団が制作者で、道具を取り合わせたり作らせたりする茶人がクリエイティビティを発揮する場であった事を考えれば、プロデュースに作者としての価値を置くことは飛躍ではなく過去からの地続きとも言えるでしょう。

そういう社会性を背景に生してまれた美意識であり作品だということを整理したに過ぎず、ここまでの内容は比較するための前提です。
私が好きなのは純粋に光悦作品の審美性です。

ちなみに、この茶碗とシグネチャーの解釈は展覧会では扱っていませんし、「不二山」も展示されていません。
「不二山」は絶対に貸し出さないので(国のデジタルアーカイヴにも載せていない)、長野県諏訪のサンリツ服部美術館に行かないと観られません。
どうしても実物が観たくて20年位前?に一度だけ行ったことがありますが、滲み出てくる品格・圧のようなものがすごくて、周囲の空気がキューッと緊張し、室温が低く感じられたことを覚えています。

ここからは俵屋宗達についても少し。
そもそも、一介の町絵師であった宗達が「法橋(ほっきょう=絵師として高位とされる僧侶の位)」に上り詰めたこと自体が通常ルートではあり得ず、光悦の存在抜きにしては語れないと言われます。
宗達は個人としての記録が余り残っておらず「謎の画家」と言われているのですが、特別謎めいた存在というよりも町衆の工房絵師が出自のため記録が残っていないだけではないでしょうか。
宗達が天才的絵師であったことは言うまでもありませんが、京都の町で扇に絵を描いていただけの職人が法橋になれたのは、刀剣鑑定で大名や幕府との関係が深かった光悦があってこそ。

宗達の公的な仕事としてもっとも早い時期のものとされているのは「平家納経」の修復という大事業(請負は広島城城主福島正則)への参加で、修復時に欠損していた見返し(経典巻物の始めの部分に描かれる絵)を宗達が補完したと言われています(「宗達しか描けない・宗達の特徴が現れた鹿」という理由で宗達画とされているだけなので、専門家だと言い切れないと考える方も…)。
その事自体は知っていたのですが、どのように光悦が関わっているのかは私の知識にはなく(上記のように専門家はあえて書かなかったりするのでネットが普及していない昔は全体像を把握するのが難しかった)、展覧会で平家納経修復時に納められたという「蔦蒔絵唐櫃」を見た時、一気に全てが繋がるアハ体験となりました!!!
解説では「蔦の絵=宗達」という連想で平家納経の修復と宗達の関連が書かれているものの、光悦の関わりがあったかどうかはやはり一切書かれていないのですが…光悦が平家納経の修復を職人ネットワークを使いコーディネートしたのだということはピンと来るのです!!!
なぜなら、平家納経の経典は法華経が中心がだからです。
光悦の法華宗は鎌倉時代の日蓮による法華経解釈を拠り所にしたものなので、厳密な意味づけは厳島神社の法華経と異なります。
ただ、平安期の法華経は鎌倉期に迫害を受けた法華宗の正当性を主張するものとなり得る訳で、法華宗徒なら喜んで関わったでしょう。
(※勝手な解釈ですが、鎌倉時代(源氏の世)に迫害された日蓮を「平家納経=法華経が隠されていたから弾圧された」との正当性するために、唐櫃の意匠に蔦を用いたのではないかと思っています。ちなみに、蔦がらみで宗達との関係性が解説に書かれていましたが、その作例も出ておらず…オイオイと言う感じ。伊勢物語テーマで平面性を見事に生かした「蔦の細道図屏風」を描いています)

平家納経の特別な意味づけは、それまで女性は成仏できないものとされていた中での「提婆達多品」で、「悪人成仏」と「女人成仏」を宣言していることです(とはいえ、この法華経でも女は一度男に転生してから成仏しなければならず、どこまでも男尊女卑)。
これは日蓮の現世主義・現世利益を肯定する「娑婆即寂光土」の価値観としても社会的弱者救済への姿勢に展開されていくものです。
(「提婆達多品」はその一方で天台宗の本覚思想へも流れたりするので、歴史的意味づけや解釈はとても複雑)

補足:冒頭に紹介したページに光悦が平家納経の修復全体をコーディネートした事が書かれていますが、展覧会を観た方が先なのでこのnoteでは順番が逆になっています。
公の記録に残っていないと展示説明には書けない(図録にも記載なし)という事例が余りにも多いと感じられた展覧会でした。
西洋美術史だと研究の元は海外なので「アトリビューション・帰属」の概念が定着しているのですが、日本美術史だと「0 or 1」にながちで、その弊害を感じます。

角野隼斗氏の表現性から本阿弥光悦との共通点を探る

私が展覧会を観に行ったのが2月11日で、17日からこのnoteを書き始めたのですが、18日の日曜美術館を観てうわあ〜!!!と驚いてしまいました。
お二方の共通項を感じて書き始めたものの、形容する言葉そのものがほとんど共通しているというか。。。笑

上記番組の内容を小文字で少々ご紹介します。

日曜美術館 本阿弥光悦「光悦愉楽の書」

●冒頭部
琳派の祖として知られる本阿弥光悦(1558-1637)。大胆な造形で、漆芸、陶芸などの分野に名品を残し、江戸時代のマルチアーティストとも称される。
その美意識の神髄を、光悦自身の手による「書」から読み解く。
宗達の躍動感あふれる絵と絶妙に響き合う、光悦の筆の魔術。
戦国から江戸へと移り変わる動乱の世に誕生した美の変革者です。
後にも先にも見当たらない唯一無二の造形。
すばらしい書の伝統がありずっと見てきたけれども 光悦のあんな書は前に絶対ない。
日本の美意識を変えていくってところが、光悦の偉大なところじゃないか。

●国宝「舟橋蒔絵硯箱」
和歌の知識も含めて言葉と視覚的な造形っていうものをある種、融合して作り出す。
本当に光悦の造形に関する自由さだと思います。発想の自由さ。
硯箱なので平らでいいんですが膨らましたかったんですかね?橋だから。
普通はらでんのように貝とかそういったものを装飾に使うんですね蒔絵の場合。それではなくて鉛というそれまでにない材料を使っちゃう。

●刀「金象嵌 銘〜光徳」
無機質な たがねに繊細な表情を読み取る。 利休の侘茶に通じる感性
光悦の審美眼は 家業を通して磨かれたといいます。

●黒楽茶碗 銘「時雨」
刀の世界に生きた光悦の美意識が詰め込まれているといいます。
面見ていただければ分かるかと思いますけどザラザラとした表面の感じ結構ひび割れてるんです。
そのひびももしかしたら意図的なのかもしれない。それが意図的に見えないんだと思うんです。作為が見えない。
実際には計算されてるんじゃないかとは思います。
だけどその計算されているということを感じさせない。
鉄鉱石を焼いて刀剣にするのと同じです。
キラキラしてるんですよ。ばらしいお茶碗って宇宙を作るじゃないですか。

●「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」
読む事はできないけれど何だかとっても美しい。
何だかとってもかっこいい。見る人の心にささる書。
ほんと文字も躍動している。
目から見た形で音楽のようなものも感じる。
リズムがありますね 文字の流れに。筆の動きに。
自分でね、ほんとにタクトを振るように美しさを感じるってことですね。
光悦というのは読ませるというよりかは見る意識っていうのが強いというふうに考えてるんですね。

●書状「ちゃわんや吉左衛門殿宛」
光悦の手、若い時のは結構それに近いのあるんですけど、後からの手紙って全く違って特に文字数の少ないやつ、バランス感覚がいいと思うんですよ。
ここの「四」っていう字だけちょっと右に飛び出てんですよ。
ここ空きすぎっていう感覚が瞬時に働いたんじゃないかと思うんですよ。
一筆一筆 無意識にも近い、即興でしたためられた書。無意識って思う。 

●「尊朝法親王筆詠草」尊朝親王
(光悦が青蓮院流の書家であったことから)
勉強はその型を書く。個性的ながなくなってくるんですよ恐らく。
それじゃあなんか飽き足らなかったっていうか…。
光悦ってそういう意味では非常に改革者っていうか…
伝統というと多くの場合ほとんど因習同じになっちゃってる。
      
●「古今和歌集断簡 本阿弥切」小野道風
光悦が手元に置き大切にしていたという書。平安時代に書かれたかなの古筆。
光悦も平安の仮名を見てそっくりまねはしないと思うんですけど
いいものが何なのかっていう、その本質を見ようとしたんじゃないですか。
だから型にハマった字では駄目だっていうところはすぐ感じると思います。

●「立正安国論」
信仰のため「立正安国論」を書き上げました。
法華宗の人たちの尊い聖典のようなものですけども美しさあるいは もしかしたら楽しさ、そういったものも感じられる。肩に力が入った状態には感じないですね。
本来、一言一句、間違わないで書くことも求められますし、そういう態度で臨むのが一般的だと。
楷書 行書 草書が交じってしまう書き方っていうのは、ちょっと考えられないですね。
ありのままの自分の身体的な状況も構わずに楽しく嬉しく書いてる。
心から楽しんでるという真摯さとか純粋さっていうのは信仰の観点からしても全く問題ない。


●時代性(価値観の変換期)
最初に考える二者の共通項は、やはりその時代性。
上記の番組では本阿弥光悦を「伝統を因習から解放する変革者・改革者」と言っていましたが、文化や芸術の基盤が大きく移行する過渡期にエポックメーカーとして顕れてきた所が角野氏との共通点です。
当時は絵画も粉本(手本)を学ぶことが中心で、書も筆跡を集めた手鑑を手本として学んだため、どうしてもコピーのコピー…と縮小再生産に至る訳です。
時代的変化が著しい時期に因習=古い様式が残っていれば、古い価値観を覆すような改革者が現れ大衆にも受け入れられるのは必然です。

日々を過ごしていると余り意識しないかもしれませんが、私たちは今、AIの出現で本当に大きな歴史の曲がり角に来ています。
私がこのnoteを書き始めた時に「こうなるかも‥」と書いたことが、2年ほどの間にすでに現実になりつつあるのです。
角野氏のその芸術性は、ゴッホの様に後で受け入れられるような表現ではなく、リアルタイムで大衆の支持を受ける「文化的側面」を持ったものです。
社会性を背負っている表現とでも言えば良いのでしょうか、私が角野氏の存在を広義な文化圏でのトップランナーだと解している理由でもあります。
それはやはり光悦も同じで、安土桃山から江戸に移り変わる時に芸術の変革者として出現した存在なのです。
そういう意味では、光悦も角野氏も時代が少しでも前だったらその表現が受け入れられていたか疑問かもしれません。

今こそがクラシック音楽の価値観が変わる時期だと思われますが(アートや文化の世界的な情勢を含めて)、20年前はきざしがあったといえ、今のように専門家から大衆まで角野氏が支持される基盤はなかったでしょう。
菊池亮太氏「能登半島沖地震 復興支援チャリティ配信」にご出演の小原孝氏は、お若い頃のお話として「ピアニストは作曲やアレンジも好ましくないと偉い先生に怒られた」とおっしゃっていました。
次の項にも書いていますが、小原氏は「今の時代は良い」「今の時代だからできること」「時代が変わって色々なことができる」と、度々語られていて、こういう方々(清塚信也氏も)の大変な苦労があってこその「今」なのだと改めて思います。

一方、光悦がもし早く産まれていたら安土桃山時代の戦乱の最中になるので、自由な振る舞いは利休のような切腹に至っていたかもしれません。
後年の徳川家康からの鷹峯拝領は今では美談になっていますが、古田織部切腹に関わる追放だったという説があるほど、幕府・大名間のパワーバランスには厳しいものがあります。
また、政治危機を乗り越えられたとしても、江戸の平和な時代には老齢期になってしまい、今残っているような仕事を成し得ることはできなかったでしょう。

●メタ的な再構築(構造的な本歌取りや付け合い的にみるクリエイティビティ)

角野氏の編曲には特定の作曲スタイルや音楽ジャンル・様式を引用したものが数多くあります。
それを「新しい」と称する方々もいらっしゃるのですが、私個人としては「使い古された方法」でしかないと思っています。
配信で披露された小原孝氏1990年の曲は、猫を主人公にしたアルバムから「ジル君はピアニスト」という作品名で「猫ふんじゃった」をモーツァルト、ベートーベン、ショパンのスタイルをそれぞれ著名な曲の中で引用されており、方法論としては角野氏の用いている編曲スタイルと同じです。
ただし、決定的違いが存在します。
それは、小原氏の作品はどれほど美しく演奏・表現されたとしても、作曲としてはパロディとしての価値しか与えられない事です。
それは小原氏の作曲・編曲能力の問題にあるのではなく、「自己のクリエイティビティを隠す」パロディのような表現でなければ、当時のオリジナリティを尊ぶ芸術観では、許されなかったと考えられるからです。
時代によって創造性が影響をうけるというのはそういう事です。
また、小原氏の多様な様式のオリジナル曲へのジャンル分類されるのか疑問を持たれていたこともお話されていました。
ジャンルをシームレスに横断することも別に特別新しい訳ではありません。
ですが、逆にいえば「新しいこと=独自性」に芸術として特別な意味がある訳でもないのです。
現代とは、そういう多様なクリエイティビティに対し、それぞれ価値が認められる時代です。

では、構造的=本歌取りや付け合い的なクリエイティビティとは何か、ということです。
パロディというものは誰もがその組み合わせを理解できるものですが、新たに関係性を発見する「メタ的視点」の有無によって、同じ方法論でも創造性を見出せるかどうかで変わってきます。
受容者(群・集合)の中で「共有される」という前提の上で成立する創造性と言えば良いでしょうか。
誰もがわかる当たり前のものもダメで、誰にもわからない謎でもダメ。
その受容者群をどこに設定するかも含めて表現性と言えますが、そのバランスはとても難しいものだと言えます。

同じ媒体で引用が続いている和歌(連歌)は、連続する作品をつなげて眺める俯瞰的視点を鑑賞者が得ることで構造的表現としての創造性を発見することができます。
特にオマージュが強い場合は「本歌取り」と言え、そのリスペクト(関係性)の強さから、知識がない私たちでも関係性やつながりを実感し味わうことができます。
本歌取りも含めた付け合い的技法は、その流れ全体を俯瞰的にみるようなものです。
ただし、そもそも今私たちが考えるイメージ構造とは派生の順番が逆なのです。
連歌(形式としては長歌)である歌の上の句と下の句の要素を重ねながら繋がっていく技法が存在し、それを短くしたのが短歌です。
長歌は万葉時代からの歌の方法論ですし、鎌倉時代に連歌形式として発展したのは過去のイメージの蓄えが十分にできたからではないかと思うほどで、その「隠れているイメージ(面影)」を引き出す手法として発展したと言えるのかもしれません。
「かもしれません」というのは、私が実際に連歌や長歌を鑑賞できるほどの古典素養を持っていないからで、そういうものだろうという認識でこれを書いるに過ぎないのです…スミマセン。
枕詞も同様のイメージ機能を持つものだと考えられますが‥いずれにしても日本では古代からイメージの構造化を用いる表現とそれを俯瞰的に鑑賞するスタンスが定着していたといういう事です。

で、ようやく光悦と角野氏に通じる「構造的な再構築」の話になります。

光悦の国宝「舟橋蒔絵硯箱」は、舟や橋を描いた金蒔絵の上に後撰和歌集 源等の歌「東路の佐野の舟橋かけてのみ思い渡るを知る人ぞなき」から「舟橋」の字を排した歌が散らし書きで記され、鉛板でその舟が覆われています。
本来「舟橋」というのは、小舟を並べて橋のように用いた状態のことを指すので、舟の上にかかる橋ではない=鉛板の部分が「舟橋」ではありません。
硯箱としてのアブノーマルな膨らみは、膨らみのある造形自体が「掛ける・渡す」と「橋」のイメージを結びつけるものとなり、「掛ける・渡す」のイメージを「橋」というメタファーに象徴させrための造形です。
言葉通りに絵を描いても「ただ舟が並んでいる」という意味伝達にしかないため「橋」のイメージとして鉛の板を渡しているのです。
この鉛板は歌に示された船橋ではないからこそ、造形としてはより橋らしさが必要だったという事だと考えられるのです。
しかも、文字からは「船橋」を除いているという。。。。

歌意は下記のようになります。
(上の句)東国の佐野にある舟を並べた上を渡る舟橋という危ない橋をかけるように
(下の句)思いをかけてずっと恋し続けていますのに、それをあの人は知ってはくれない」

そもそも「相手への想いを掛ける・渡す」という言葉の比喩が「橋」なので、船橋を描くことよりも「掛ける・渡す」を伝達する造形が選ばれたということなのです。
しかも、この文字の位置が凄すぎる!(Wikipediaの和歌の文字説明
鉛の部分には上の句「東路の佐野の(舟橋)かけてのみ」という「想いを掛ける」部分が記され、下の句「思い渡るを知る人ぞ」は主に船や波の部分に書かれることで、「思いが渡る(波や船によって広がる)」というイメージを与え、最後の「なき」のみが一つだけ右下に離れて書かれていることで、
その想いは「なき=人は知らない」ということになるのです。
右下にポツンと離れた「なき」に集約・象徴させている訳です。
また、鉛の板は左右から繋がる「掛ける・渡す」という意味でもありながら、上下の関係性では、それが叶わない「一人・分離」させる境界としての意味を持ち、本来相反する意味を同時に成立させているのです。

このクリエイティビティに対し、「歌は過去の引用」とか「自分で蒔絵を作っていない」などと誰も言えませんし、逆に考えると、和歌という既に定着・存在するイメージ作品があるからこそ「舟橋」を抜いても成立する訳です。
無から生み出される一次的な創造では到達できない表現です。
しかも、そのようなイメージの奥行きを知らない人が見ても、散らし書きが作り出す空間は美しく、繊細な蒔絵と荒々しい鉛の質感対比に心を奪われるでしょう。知らない人も十分に楽しめる!
これはもう、完全に現代アートの領域。それこそが国宝たる所以です。

補足:謎解きヒミツの至宝さん「驚きずくめの国宝 舟橋蒔絵硯箱」(3/2までNHK+で閲覧狩野)では、丸い形が祇園祭の「山」から来ているとか刀の反りだとか説明されていますが…何が遠因かではなく、作品としてその丸さの意味を考えることが重要だと考えるため、私の作品解釈とは大きく異なります。文字の配置についても説明がありましたが、鑑賞にどう影響を与えるのに対しての踏み込みが足りないというか。。。
日本の美術史で語る場合は歴史学の流れが強すぎて、芸術作品として観る視点が弱いと感じています。

角野氏の表現がこれほどの事を実現しているとは思いませんが(今ツアーをまだ鑑賞していないので私が知らない表現も多々あるでしょうが)、再現芸術としての演奏というだけではなく、演奏からは二次創作(オマージュ的作曲や編曲等)と同様のクリエイティビティは見受けられ、構成におけるメタ的な表現性を付加する意図は、去年の「Reimagine」からも十分感じられました。
もちろん光悦のように記号媒体を造形媒体に変換するようなことは行っていない(できない)のですが、数学の二進法を用いるなど媒体を転換する行為と似た構造的視点が感じられるます。
それは、楽器の用い方など演奏時の新たな表現性においても同一視点からではないだろうと感じられます。
(今ツアーパンフレットの解説について「名キュレーター」とファンの方が書かれていました投稿も見かけましたので、それを見ればその辺りのことが更にわかるかもしれません)

さらに、現代において最はも重要な芸術的意味合いが存在します。
バティステ氏のソーシャルミュージックが、横軸での「個々に重なりつつズレながら広がる繋がり」であるならば、この本歌取や付け合い的な手法は「時間軸という縦軸においても同型のネットワークをつなげている」事に他ならないのです。
歌詞か無い音楽でも、完全な抽象にはなりません。インストゥルメンタルにはバティステ氏のようなメッセージ性はありませんが、クラシック曲や名曲といわれる作品にはそれを受容してきた人々による解釈や歴史的な文脈が紐づけられています。
それが、歌詞やメッセージがある対象のように「時代を越えた(縦の)共感性」として繋がるのです。
もちろん、ソーシャル的な横の共感性もYouTubeやSNS(実際のコンサートでもそれを下敷きにした関係性)で実現されている訳ですから、縦と横が同時に繋がれるということになるのです!
これこそが、時代に選ばれたとすら感じられる角野氏の存在意義だと私は思っていますし、光悦の町衆ネットワークと古典への造形(本人の表現性)との関係性に近いと言えるでしょう。

●表象(シニフィアン)の分離と結合

ソシュールの記号学については度々書いていますが、記号を構造的に分解して理解する事はとても便利です。
Xポスト3つ目に記載した「立正安国論」「法華題目沙」「如説修行沙」の表現こそが、まさに文字という記号から意味内容(シニフィエ)からそれを指す表象(シニフィアン)を分離した表現です。

冒頭、楷書で書かれ、そのうち字画数が少ないような文字が単語単位で崩されてきます。
その比率が段々多くなり、またその中では草書が所々現れ‥最後は全て草書に移行、右から左の方を眺めると、筆による肥痩がグラデーションになって見えてきます。
また、数字だけに意識を向けると、そこだけが極端に太く見えリズミカルに配置された図のよう。
その躍動感がまさに音楽に感じられます。
これらは、日蓮の言葉という本来厳格であるべき「書」が持つ内容とは切り離された表象表現です。
「光悦 愉楽の書」でも光悦の書のことを「読ませるというより見せる意識が強い」と語られていた様に、テキストからその内容を理解するのではなく文字やその配置という表象(シニフィアン)によるイメージを直接感じられる文字なのですが、その質感をあえて意味から切り離しているのです。
(注:使われている文字も万葉仮名のような普通は用いない仮名扱いで漢字を用いていると書かれていたnote「俵屋宗達の絵は分かる……でも本阿弥光悦の書は読めない。そんな《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》を超解釈!」もありました。個別の和歌の意味と「鶴下絵〜」との対照で歌意味も書かれているのでお勧めです)

そもそも、日本の文字は中国から輸入したものであり、近代まで話し言葉と文字に書くことばが口語と文語として異なっていたことにも関係があると言われます。
現在のように文字を黙読し即時に意味を読み取る感覚は、厳密には明治の言文一致までなかったという説もあるほど。
言文一致の文字を読む場合、その記号が持つ表象は透明な存在として意味内容を中心に伝達されますが江戸時代までは漢文で表記され、見る=読むではなかったとも考えられ、表象・内容は現在よりも分離した記号として認識されていた可能性が考えられます。
漢字は象形文字なので、今の絵文字やピクトグラムのような中間位の伝達性だったかもしれません。(本当のことはわかりませんが)
現代人には想像できない感覚ですが、視覚でも遠近法的な認識はされていなかったと言われるほどなので、記号言語が別の感性で認識されていた可能性は否定できません。

通常、言語に対する表象性は「意味内容に合わせた質感表現」となる訳ですが、もともと分離状態が常態であるならば記号要素を分離して用いる表現としてのアイデアに至ることも難しくなかったのかもしれません(実際には難しかったはずですが…コロンブスの卵的に気づける人にとっては記号概念が確立されていなくても可能という意味)。
光悦の書は、意味内容が持つ質感と表象が持つ質感が分離されそれぞれ別の指向性・イメージを表出させているのです。
特に、この書から感じられる楽しさはなんとも表現しがたいほど。
光悦自身も楽しんで書いているということが、その文字に溢れています。
番組でも「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」の書を音楽に例えていましたが(それはもちろんの事ですが)、光悦の文字だけでも十分音楽が感じられてしまうのです!

このシニフィアンを分離した表現スタイルを角野氏の何に喩えるか…
ますは、その演奏の「楽しさ!」
これに関してはどなたも異論はないと思います。
どういう質感の音楽を演奏されていたとしても、その表現を行うこと自体を楽しまれていることが伝わってきます。
これは音楽の表現内容に対して構造が異なる楽しさが伝わってくるということで、まさに前述した光悦の書と同じ類のものです。

また、昨年の「Reimagine」で演奏されたバッハは、本来神に捧げる曲という文脈からリズムやグルーヴを取り出し、換喩的(類似的)にカプースチンと結びつけましました。
音そのものに意味内容を伴わない音楽の場合、表象だけの抽象表現と思われがちですが、実際にはタイトル・過去の解釈などの文脈がその音楽に結び付けられており、わたしたちはそれを含めて鑑賞します。
記号から表象を分離することは、表現を意味内容から解放することになるため、他の対象と結びつきやすくなるのです。
角野氏はバッハの意味内容を表表象(質感)として意図的に分離し、再構築をおこなったのです。
このことが「縦軸として部分的な重なりでズレていくネットワーク」になる訳で、歌詞のない音楽に多層のイメージを付与することにもなり、結果として、個人レベルのナラティブを成立させるのです。
なぜなら、一つのメッセージを押しつける訳でもなければ、完全な抽象でもなく、鑑賞者がすでに持っている(知っている)文脈の中でそのイメージを想起させる構造にあるからです。
それは、「自らの音楽にメッセージ性を持たせたくない」とおっしゃっていた角野氏の思考性とも関係があると言えるでしょう。
その音楽を受容者視点でそれぞれ受け止め、それぞれ個人のイメージを醸成する表現となり得るものだからです。
角野氏の「メッセージ性を強く出したくない」「自身の表現の追求」ということを考えれば、どちらも両立させる素材として、クラシックや名曲の再構築はご自身の感性に最もフィットする表現と言えるのかもしれません。

更に具体例をあげると…別の曲の似ているようなメロディをつなげたり、オマージュとして新な作品を造られたり、カデンツァに同作曲家の別の曲を紛れ込ませたり、アンコールには記念日にちなむ曲を演奏など…
前述した方法論とは一見異なるようにお思われるものでも、対象へのアプローチに別次元の要素を構造的に結びつけていると手法としては、ほぼ同類と言えます。
ただし、それらは特別に新しいものではありません。
そもそも変奏曲というのが主題の類似性・同型性・対称性から発展させる様式ですから、西洋においても古い時代からある手法で、角野氏に特別な新しさがあるのかといえば…「無い」としか言えません。
角野氏の表現の新しさは、古い時代のスタイルや方法論を現代の創造性として「認知させる所」にあるからで、音楽にそのものはベーシックなのです。
では「認知させる所」とは何かといえば、ファンの皆様が「エンタメ性」と呼ばれるような、素人でも分かりやすく専門家やコアなファンも唸らせるような絶妙な(超絶的な)表現バランスと言えるでしょう。
それは光悦の作品も同じです。
唯一生にこだわりすぎると、そのバランスが大きく崩れ専門家しかわからないものだったり、素人に媚びたような表現になったりするのす。
それらが一切なく、表現者が自ら純粋に楽しい・美しいと感じられる表現でありつつ(難しいことをやりたくなるという専門家の欲も含め)、誰もが楽しめる表現を追求した結果としてメタ的な「新しさ」が発生するのです。
しかも、「誰もが楽しめる」は同時に同じ事を楽しむという意味ではなく、個人個人がそれぞれ自分なりの「楽しみを見つけられる」という意味であり、「縦軸や横軸のそれぞれ部分的に重なりズレながら繋がる」という表現そのものです。
昔の人と同じ方法論でありながらも、現代の芸術表現としてはメタ的な意味で新しさを持つことは、伝統(=ここでは文脈という意味)を担う継承者としての革新性と芸術的価値を同時に実現るのです。
これはジャンルの問題ではないので、クラシックでもジャズでも民族音楽でも大衆音楽でも関係ありません。

ちなみに、展覧会名に用いられている「宇宙」ですが、その多岐に渡る創造性を指すこととともに、8K映像のコーナーで「舟橋蒔絵硯箱」の鉛部分を拡大投影していた「ザラザラ光るテクスチャー」が宇宙に見えた所からも来ている様です。
「光悦 愉楽の書」では黒楽の光悦茶碗を拡大することで、やはりキラキラ光っている様子を放送しています。
どちらも表面の表層的質感を分離し「宇宙」に見立てているというわけで、これもシニフィアンの分離になる訳です。

●構築性と即興性のバランス/抽象性と具象性のバランス

「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」では、宗達の鶴が一度紙面の外に飛び出していく(画面が閑散とするところ)で掠れた文字にし、鶴が戻ってくるところに「今来むと」の一節を配置しています。
宗達の下絵を文字を追加するコラボレーションですが、通常の参画のような「参=文字は意味」「画=絵はイメージ」というジャンルによる決まった役割分担はありません。
光悦の文字も絵と同等の表象でありイメージとしての質感を持つものとして全体がデザインされています。

三角の配置の心地よいリズムも宗達の下絵と呼応することで単調さを避けるべく、絵の疎密や余白に合わせて筆の肥痩や疎密をコントロールしています。
その一方で、欄外というか行間というか、小さくゴニョゴニョ書かれている箇所も出てきます(前述した「俵屋宗達の絵は分かる……」を見ると分かり易い)。
構築的に宗達の絵に合わせてデザイン構成を考えた部分とは異なり、小さくゴニョゴニョ書かれている部分は構成的に事前に考えていたとは思えないのですよね。。。
かと言って書き忘れや失敗ではなく、、、
鶴が画中で疎密になっているのに呼応している印象からは、「即興的に小さい文字で草書的に流れる文字を書きたくなっちゃった!(笑)」ではないかと思うのです。
書状「ちゃわんや吉左衛門殿宛」についても、「四」の文字をあえて外して書くということを即興的に瞬時に行った事が番組で紹介されていました。
下絵の意味や構図に合わせた緻密な構成と、瞬間的に「こうしたい!」と感じて実行する即興性の妙は…まさに角野氏の真骨頂だと思います。
この構築性と即興性のバランス感覚は、現時点でも文句なく光悦レベルに達しているのではないでしょうか。うん、今断言しても大丈夫!笑

記号的なシニフィエとシニフィアンは分離しますが、ジャンルによる分離をしない表現性も光悦と角野氏は近いと言えるでしょうね。
今だにジャンル云々で賛否がある事自体が受容者の価値観が古いという印象しかありません。
ジャンルを超えることを賛辞しても、ジャンルを横断する偉大な音楽家が登場時に否定された事例と比較することも、すべては西洋の古い時代の価値観=唯一性に縛られた価値観でしかなく、そんなことは気にせずに変移自体を自由に楽しめば良いだけだと思います。

もう一つの特出すべきバランスは、抽象性と具象性の問題です。
以前、ブランクーシの抽象性を例に茶道具のことを引用して書いたことがあるのですが、まさに光悦茶碗はその通り。
自身が銘をつけたものはよりイメージが想起されるものが多く、まさに「抽象と具象の中間」的イメージを感じます(中間領域好きには堪りません!!!)。
インストゥルメンタルそは純粋な抽象になってしまうので、同様のイメージ構造を成立させる場合は具象イメージを付加させることになる訳ですが、角野氏の場合はそのバランスが絶妙なのです。。。
「水の戯れ」のような写実表現ではなく、かと言ってミニマルミュージックのような無機質さに至らず。。。
「かすみ草」は、小な花がのチラチラした表現ではないですし風に揺れている風でもないのに「あああ、これはかすみ草だ!」と感じられます。
たぶん…ですが、質感の豊かな表現にタイトルが付くことで具象性を鑑賞者が補足するようなイメージ構造だと思っています。
茶道具がまさに茶会での取り合わせでイメージを更に追加するような感じでしょうか。
つまり、曲は具象イメージとしては不完全な状態(=抽象度が高い状態)でありながら、タイトルが付くことでイメージが完成される類、だからこそイメージが「想起」されるのです。
「船橋蒔絵硯箱」の鉛の部分や、ブランクーシの「空間の鳥」のような、それ単体では抽象表現であっても、「(具象的記号・名称を)言われたら納得できる」ものとして造形することで、それらに付随する=観る側が紐付けするあらゆるイメージを表現できてしまうのです。
これもまた、前述の表象の問題に関連しています。
不完全というのは「不足」であり、パズルの凸凹のように不足があるからイメージが繋がり広がっていくことに他なりませんから、一部が重なり一部がズレる…そうやって繋がっていくものです。

●フラットな姿勢(コラボレーションと育成)

<2/29 追記>
角野氏のコラボレーションにおける素晴らしさが余りにも「当然のこと」だった為、書き忘れてしまいました。。。
このnote全体が、同様の理由で角野氏の表現事例は細かく書けていませんが、コラボレーションにおいては角野氏の事例を完全に書き忘れてしまった為追記します。
角野氏のコラボレーションの素晴らしさは、YouTubeで公開されている他のピアニストの方々のような対等的なものだけでなく、光悦と宗達のように「歌と伴奏ピアノ」「ピアノソロとオーケストラ」という様な、ある種レイヤー的といえるものがあり、特出すべきなのはその時の表現性です。
京都音楽博覧会2023でのくるり岸田繁氏との「JUBILEE」は、コラボレーションとしては衝撃のレベルでした。
詳しくは以前のnoteに書いていますが、歌はピアノの伴奏として引き気味にし間奏時にピアノが前に出てくる‥という様な類のものでないのです。
歌とピアノが本当に一つになった特別な質感としか言いようがありませんでした。
その「特別さ」というのが何か、ということなのでが、音楽的にはレイヤーとして上下/主従の関係性になる所、謙遜もなく傲慢でもなく、互いに敬意をもったフラットな関係において純粋に素晴らしい音楽表現を志すことでしか至れない表現性に達しているのだと思います。
それがまさに、光悦と宗達の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」並のコラボレーションだと感じられたのです。

冒頭にリンクした展覧会内容の記事に、展示室出口の壁面ある写真が掲載されています。
光悦を評する一文として「一生涯へつらい候事至て嫌ひの人」とあります。
これだけではへつらう事が嫌いというところだけがフィーチャーされてしまいますが、社会的弱者の救済理念「娑婆即寂光土」の結果、肩書きや身分に対してへつらうこともなければ軽視・蔑視することも無いという「フラットな姿勢」というのが本来の光悦像だと思われます。
このフラットな姿勢は言うまでもなく、角野氏から常に感じられるものです。

小さな扇子絵を描いていた町絵師の宗達を平家納経修復に登用しただけでなく、宗達の絵の上に書かれた光悦の文字からは、宗達の描いた作品への敬意が感じられます。
「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」では、描かれたシーンにふさわしい和歌が選ばれ、その絵にふさわしい書体と配置で構成されています。
その文字からは、絵を支配するような尊大さも感じなければ、絵に遠慮するような弱さも感じません。
超一級の素晴らしいコラボレーションですが、絵の後で文字を書いたのは光悦なのですから、対等の関係性を成立させたのは光悦です。

「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」はコラボレーションとしてある種の到達点とも言える作品ですが、若い時期の二人関係においては、きっと光悦が育成的役割を担っていたはずです。
が、作品制作においては指導や指示という類ではなく対等であったのではないか…と想像ができるのです。
それは、私が常々小曽根真氏のお若い方々への姿勢を目の当たりにしているからかもしれません。
FROM OZONE TILL DAWNや角野氏への関わりなど、小曽根氏ご自身も若い方の感性に触れることを楽しまれ、またご自身の表現に貪欲に取り入れられていることが伝わってきます(特に最近のTrinfinityの音楽性には正直驚きました!)
角野氏の場合、ほんの数年前までは若輩としてへつらわなければならなかっただろう立場でしたがそれを感じる事がありませんでしたし、近年さらに若い方々へは、共演を大切な育成活動の場と位置付けられている様です(ツアーの合間にのだめクラシックコンサート」のシークレットゲストとして学生さん方の「のだめユースオーケストラ」にラプソディ・イン・ブルーのソリストとして参加されるなど)。

また、かてぃんピアノの「アップライトプロジェクト」は、本人が直接関わるという事にこだわらず、ピアノ愛好家の裾野を広げる活動になっています。
個人名を冠にしたシステム、当人の関わり方と運営からはアートプロジェクトと全く同じと言えるでしょう(シグネチャーの問題との関わりがありますが、アーティスト自身が直接何かを成す必要性から解放され、プロジェクトに多くの人々が関わり変化していく事がアートの概念になる)。
ただ、ご本人がそれを自覚されておらず、コンセプトに外れるようなファンサービスをされたこともあり、個人的には残念な気持ちになったことがありました。
が、逆にいえば芸術概念とは関わりが無いところからこのアイデアが生まれて来たという証でもあり、(レヴィ=ストロースの)ブリコラージュ的なアイデアを実感する出来事でもありました。

環境や自身の置かれた状況に対するスタンスを考えてみても、全ての出来事に対してフラットに感じられる部分があります。
光悦の洛中追放説を書いたように、鷹峯は追い剥ぎが出没する辺境の地で、徳川家康からの有難い拝領とはいえなかったはずなのです。
けれど、もしその追放がなかったら光悦茶碗も多岐にわたるさまざまな仕事も生まれていなかったかもしれません。
角野氏もショパンコンクールの最終予選に落選されましたが、その後は「落選したからこそ!」と思えるほど多岐にわたるご活動が続きます。
もし入選されていたら、ご自身の意向は別にしてクラシック界を中心となる活動に縛られてしまったかもしれませんから。。。
もちろん、実際には光悦も角野氏も精神的には辛い状況にあったとは思いますが、「逆境を逆手にとる」という思考・姿勢を貫く際には、ご自身に置かれた状況に対してもフラットな姿勢というものが生きている気がします。
「どんな状況であってもその事をその環境を生かす」というスタンスです。
それはまた、賞賛され恵まれた日本に安住せずNYに行かれる決断をされた事にも通じるのかもしれません。

つい最近、Xではアコースティックピアノか電子ピアノかの問題が持ち上がっていたようですが(私は詳しくチェックしていませんでしたが)、カシオのPriviaのページで角野氏がバランスについて語られていました。
グランドピアノに対して電子ピアノとして卑下する訳でもなく、かと言ってなんでも持ち上げるような広告臭さもなく、まさに最適なバランスでのタイアップ。
それぞれの環境に適した鍵盤楽器という意味で、Billboardのホセ・ジェイムズ氏とのライブではまさかのグランドピアノでした。
また、この「ライフスタイルピアノ」って、たしかコロナ禍では「部屋活ピアノ」と言われていましたよね。
「プライベート」「私的空間」に合うというコンセプトは、ここに書いてきた「私」を重視した表現性とも見事にハマってしまうことに驚いてしまいますが…コロナ禍による自粛生活が、プライベート空間や私的行為を大切にする価値観につながった可能性はあると思います。
そして、もしかしたら利休の侘茶が表の世界に影響を与えた様に、ゆくゆくは何かしらの文化的影響を与える事になるかもしれません。
時代というものは、きっとそういうものだからです。

ただ一つだけ、不思議なことがあります。
光悦の場合はそれらの背景に宗教理念があるのですが、角野氏のヒューマニズムの背景には何があるのでしょう。。。
知性が必要条件である事は言えるでしょうが、部分的には(精神的な意味では)影的なものを感じる時もあります。
それが表現の深みにつながっていると思われるので…まあ、天才の謎ということで。笑
もしくは、光悦のように何百年も後になって「○○がその思想の背景にある」と言われていたりして‥笑

後書き的なまとめ(「KEYS」との関連性)

創造の価値が「過去事例の再構築=メタ的な創造性」に広がりつつある現代と、古から続いた「唯一性に縛られないクリエイティビティ」が、その過渡期にある今(中間域)、角野隼斗氏と本阿光悦との表現が私の中で類似性をもって感じられました。

このような日本的手法を用いた表現は現代アートの領域では珍しいことではありませんが、当然ながら芸術教育における美学や芸術論の概念を下敷きに行われている訳です。
一方角野氏場合、「音楽理論の体系的な学び」や芸術理論を感じさせず、ブリコラージュとして「自らの演奏と自身の思索による結果としてその表現に至っただろう」と感じられるところこそが、極めてユニークなのです。
ですが、その音楽理論あえて学ばずにいるスタンス自体がある意味現代においては戦略的でもあるというか…
別分野のアカデミズムに一度身を置かれたからこそ、体系的音楽教育(特に日本の)から距離を置いているような印象すら受けます。
やれる自信と覚悟がなければ実行できないことを考えれば…良い意味で天才を自認しているとしか言いようがないのですけれど、その位の気概がなければ難しい事だと思います。全てに対して「へつらわない」です。

複数分野に身を置かれたことでご自身の表現に対する外側からの視点があるということは、明確な光悦との共通点です。
また、琳派は狩野派や土佐派のような流派ではなく、没後「私淑と再発見」によって繋がれた「リスペクトの系譜」なので、ガーシュウィンやガーシュウィンに対する角野氏のスタンスとも共通していると言えるでしょう。

このnoteでは造形芸術の本阿弥光悦と音楽の角野隼斗氏という分野が異なる二者の比較を行った訳ですが、私にとってはこれほど「そっくり!」と思う事はありませんでした。
その二者の表現性の共通点として「ジャンルは問わない」と書いた様に、私も造形芸術と音楽というジャンルの違いを無視しています。
そして、構造的に表象を分離して他のものとをつなげた様に、この二者の表現性と方法論から共通項を見出してつなげてみました。
ただし、ジャンルが異なるということはその表現に対する語彙も異なるので、その共通性が上手く伝えられているかどうかはわかりません。
また、どれだけその表現性が近いと思ったとしても「だから角野隼斗はすごい!」という結論には帰結する訳にはいきません。
表現の類似性とクオリティとは対象次元が異なるからです。
私はファンですから、当然「すごい!天才!」と思ってしまいますが、その芸術表現の価値やエポックメイカーとしての存在性を実際に評価できるのは、少なくとも20年は必要です。
後々どう評価されるのかを楽しみに待つ意味も込めて、このnoteを書きました。

さらには、ここに書いた構造的な表現性は今回のソロツアーの構成に大いに関わっているだろうとも考えています。
去年の「Reimagine」が再構築は同一次元上で成立するものだとすると、今年の「KEYS」は本歌取りや付け合いのような構造をさらに二重化する試みが感じられます。
「イタリアンコンチェルト」「トルコ行進曲」「ボレロ」はオリジナル曲の時点でもコンチェルト/トルコ様式/(民族音楽としての)スペイン舞踊のという部分では再構築と言えるのです。
それをさらにオリジナルとは異なる楽器(チェンバロとピアノの違い/オーケストラではなくピアノのみ)やスタイルで披露すれば、再構成を2段階経ているといえます。
「Reimagine」は、亭主が取り合わせた茶道具の妙を趣向として楽しむものだったとすると、「KEYS」は酒井抱一の重文「夏秋草図屏風」を鑑賞したことから、宗達の国宝「風神雷神図屏風」→尾形光琳の重文「風神雷神図」→その裏に描かれていた「夏秋草図屏風」という、イメージの変遷も含めて鑑賞するようなものではないでしょうか。
個別の作品を鑑賞するということと同時に、テーマである「雨乞い」と「表彰の継承(変遷)」をメタ的に味わえうのと似た様な鑑賞機会となります。
「変遷されてきたイメージ」は、抱一の作品からは観えませんが、「夏秋草」のモチーフが鍵となって「風神雷神」というイメージが開かれる、という解釈も言える訳で、それが今回の角野氏の「KEYS」というプログラムに感じられる二重の再構築です。(こじつけ?笑)
もちろん、個別の作品・演奏をただ味わう・楽しむだけでも良いのです。それだけで個々の表現は十分のクオリティを持っている上、それも想定の上でプログラムがなされている訳ですから。
ただ、そのイメージの変遷全てを味わうことで、さらに鑑賞が豊かに広がるように構築されており、そういう表現手法・その表現のありよう自体が和歌や能など日本の古典表現になっている、という事なのです。
もちろんそれらの鑑賞はハードルが高くなるのですけれど、、、

昨年行われた杉本博司氏の昨年の展覧会「本歌取り 東下り」展は、自作の作品と他作の作品の展示が区別なく展示されていたのが非常に興味深い展示でした。
インスタレーションとしての「取り合わせ」自体が作品として同等に扱われているのですが、そもそも「本歌取り」とタイトルにあるように、取り合わせた作品自体が本歌取りの手法を用いているので、やはり二重的構成なのです。
(特に秀逸だったのが、ジョン・ケージのドローウィングを「十牛図」として再編集した作品を、杉本氏が展示したインスタレーション
ちなみに、杉本氏については前回のnoteでも6月に演奏されるブライス・デスナー氏作曲「2台のピアノのための協奏曲」に関する所で引用しているのですが、日本的な構造技法を用いて現代の表現を追求しているという所に、やはり角野氏との共通点を見出しています。
もちろん杉本氏が能や茶の湯に傾倒していることは言うまでもありませんが、角野氏はそれが無いままにブリコラージュ的に感じられるのが本当に不思議。。。笑

こういういう本歌取りや付け合い的なイメージの再構成は、世界共通語になれる程の日本発の芸術概念だと私は勝手に思っています。
そもそも厳島神社の神市杵島姫命は平家納経の法華経「提婆達多品」の龍女と混同され弁財天が導きだされ習合され、さらには華厳宗祖師絵伝の龍女とも混同されて能「春日龍神」ではどっちの龍女かわからない…みたいな事が普通に起きているのが日本文化です。
本当はどの解釈が正しいかは不問で、「イメージの一部が重なりズレながら別のものとして展開する」または「別のイメージとくっついて新たなものとして展開する」という成り行きを味わう表現性です。
西洋文化の場合、正しいとされる一つの解釈(その時点での真実)を受容することが多いため、新しい解釈や概念が出現した時点では前例を否定するしかないですし、新しい解釈自体が否定される場合もあるでしょう。
ですが、継承による変化=展開自体を味わうのならば、いずれも否定する必要がありません。
その自由な(バラバラな価値観をつなぐ)共感性こそが、これからの時代には最も大切なことになるのではないかと思っているのです。
角野氏は、それらを概念ではなく自身の表現としてブリコラージュ的に具現化しているところが…もう大天才!(ファンとしての叫び 笑)

とはいえ、実はまだ私は角野氏の「KEYS」は観ていなません。
だからこそ実物の表現に惑わされずに(と書くと語弊がありますがコンサートのリアルな音楽的質感に影響を受けずに)、その構成について書くことができるとも言えます。
角野氏は前述のように、構築的に作られたプログラムであっても即興的な成行き型の表現を生かすので、実際にはコンセプトとその表現は完全一致せず一部遊離する、というところまでがセットだからです。
付け合い的に「イメージが一部重なって展開する」という意味では、机上でのコンセプトと現実の表現が一部重なりながらズレる、という事であり矛盾がありません。
この部分は光悦と同レベルに達している!と言い切れるので(笑)、それこそが角野氏の一番の魅力とも言えるでしょう。

また、それらのことは作為か無作為かわからない質感表現にも通じてきます。
角野氏自身も「ちいき新聞インタビュー」で「体が音そのものになってピアノと一体化し、自然と動く指や体に、ただ乗っかって演奏していると感じる時があります。」と語られています。
まさに無作為なのでしょうが、この状態に至るまでの練習には普通のピアニストとは異なる構築的創意工夫が存在していることを物語っているエピソードだと私は感じました。

「KEYS 」の構成についてはも先に書いた「具象か抽象か」だけではなく「有機質と無機質」という観点でももう少し細かく予備的考察しているのですが、演奏の質感問題になりますので、実際のコンサートを観た後の感想に記載する予定です。

おまけ

以前、角野氏のことを「翁面」にそっくり、と投稿したことがあるのですが(サークル使用時だったのでその時のものを引用)、本阿弥光悦坐像(展覧会サイト「ハイライト」ページ掲載)にも似ていて、会場で一人笑ってしまいました!笑

昨晩から何だかわからないまま既視感が凄く…今朝判明!頬の皺や鼻までも翁面そのまま(能面とは違い口も開く!)翁面は能が成立する以前からのもので御神体として世を寿ぎます。意味も通じる?個人的には 角野隼斗翁面説を推したい。



※鬼籍に入った歴史的人物は敬称略

■追記も含めたnoteの更新記録はこちらからご確認ください

(2024年1月に名前を変えました)