昔から変わらない音楽の好み 〜「わらしべ長者」か「風吹いて桶屋」か?!個人的な偶然や数十年経って解けた謎とか〜

※3/7 <追記1>を「まとめ」の前に記載
※4/29<追記2>を「まとめ」の前に記載

昨年末から色々続いた偶然・ご縁が、自分の学生時代からずっと繋がっている音楽の趣味に関わる事だった為、まとめてnoteにしました。
偶然自体は個人的な出来事の数々なのですが、たぶんその後の角野隼斗氏の2024年ソロツアー"KEYS”鑑賞に関連していきそうな予感がしています。


2023年末

●12月1日
Xの相互フォロワーさんがレナード・バーンスタインの映画「マエストロ その音楽と愛と」のご紹介と、こぼれ話としてウッディ・アレンの映画「マンハッタン」でも演奏が使われていたというエピソードを投稿されました。


●12月16日
普段から映画は余り観ることもなく、特にバーンスタインが好きという事ではなかったのですが、ドルビーで上演している「マエストロ〜」を映画館に観に行きました。
なぜかこの時ばかりはどうしても観に行かなければ…という気持ちが強かったのです。
今となってみれば「バーンスタインの映画を観たら過去の謎が解けるかもしれない」という忘れていた記憶がそうさせた可能性すら考えられるのです。
すべての始まりが、ここにあったので。

とはいえ、この映画は伝記映画ではなく(どちらかというと奥様の視点が中心に映画が進んでいる)、私の謎は解けませんでした。
その時点では私が長年の謎を抱いていることすら忘れていたのですが、映画鑑賞とは異なる部分で少しがっかりした感覚が残っています。
そうは言っても、お蔵入りしてたバーンスタインの交響曲のアルバムをひっぱり出してきました。

映画のプロローグ&エピローグのバーンスタインに激似!

当時買ってはみたものの難解で1回しか聴かなかったのですが、なぜ買う事になったのかは思い出せないまま、夜はクリスチャン・ツィメルマン氏の所沢市民文化センター ミューズ アークホールのコンサートに出かけました。

<主題から外れるのでツィメルマン氏のコンサートについては別扱い>
角野隼斗氏がマリン・オルソップマエストラと「ショパン:ピアノ協奏曲1番」を演奏される際、予習として聴き比べた中で最も好きな演奏だったのがツィメルマン氏でした。
2階席でしたが、とにかく最初の音が目の前で鳴っている様に聴こえてきて驚きました。
小曽根真氏の時に感じたような、金属的なクリアな音とミュートピアノの様な温かく包まれる様な質感など、音の強弱以外の様々な質感が感じられるのは本当に驚きでした!

ショパン:夜想曲からの4曲
他会場でのクラシック通の方のご感想では「歌わない」と否定的に書かれていたそれは、私的にはだからこそ素晴らしい!と。
メロディ・音質・響きの抽象的な美しさが余計に際立っていると感じました。

ショパン:ピアノ協奏曲第2番
第1楽章から流れも早くドラマチックで、その後に拍手された方がいらっしゃった程。
その方を観て軽く笑ってらっしゃるし、会場もそれを和やかに受け止めていて素敵な雰囲気でした。
白眉は第4楽章!
ええ?!こんな曲だった?→たしかに音符的にはそうなのだろう‥みたいな、現代音楽的に聴こえてきて本当に素晴らしかった!
しかも、前章までの表現と分断がなく成立しているのです。。。
ここで休憩に入るので舞台から下がられたのですが、拍手が鳴り止まずにカーテンコールに。
ソロコンサートでもそういう事があるのだな…と驚きました。

ドビュッシー:版画
音源で聴いていた曲とは本当に別物という感じでした。
和音の組み合わせが演奏者によって全く違って聴こえてくるというか‥
特に第2曲「グラナダの夕べ」は陶酔しました。

シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲
ショパンのピアノ協奏曲第2番と対として演奏されているらしい事は事前情報で入手し、予習で聴いた時点でも、それを実感していました。
が、実は「変奏曲」という部分では今ひとつわかっておらず(聴いても実感がわかず)にいたのですが、オラフソン氏のゴルトベルグを聴いたからなのか「変奏曲」というのがとてもよく感じられました。
魂の込められた演奏というか、私はやはり能の影響が強いので「無私」的表現に惹かれるのですが、祈りや願いというような…それを実感しました。

楽章間では咳をされたり鼻をハンカチで抑えられたりと…体調が思わしくない様に感じられましたし、最後に立ち上がられた際に力尽きたかのようにフラつかれた様にも思ったのですが、本当に素晴らしい演奏に感動しました。
アンコールはありませんでしたが、もう…十分大満足でした!

音響にもこだわるツィメルマン氏も評価されている素晴らしい響きの謎ですが…
ステージの後ろには音の反射がダイレクトな石が使われていて、左右壁は乱反射&吸収される凹凸パネルになっている所も要因の一つかもしれません。
全部の音が吸収されたるとオペラシティの様に全体的には響かず上に音が上がってしまいます。
サントリーホールのように1階〜2階途中までの壁が石だと壁面近くはディレイ・音ズレを感じるので、私的には2階なら3階の方が好きな位。
いずれにしても、これまで聴いたことのあるクラシック用コンサートホールの中では最も好きな音響です。

ツアー楽曲解説

すると休憩中に見たプログラムから、前述の難解なバーンスタインのアルバムをなぜ購入したのかがわかったのです!
パンフレットにバーンスタインとツィメルマン氏との関係が書かれ(そもそもこの二人が親しいという偶然に驚きを隠せませんが)、生誕100年に交響曲No.2「不安の時代」を世界で演奏されたと書かれていました。

所沢市民文化センター ミューズ アークホール クリスチャン・ツィメルマン氏のコンサート
プログラムより

ああああ〜〜!!!思い出しました。
職場のラジオで流れてきたオーケストラの曲がメッチャ好みだったのですが、聴き取れたのが「バーンスタイン」「2番」という言葉だけだったのです。
クラシックの表記セオリーもしらないので、タイトルの「Symphony」の間にある「Kadish」や「DYBBUK SUITE」が何を指しているのかもわからず、最後についていた「No.2」が交響曲に属する数だと思いCDを間違えて買ったのです。笑
買ってすぐに曲が違うことはわかったものの、どうして間違えたのかもわからず自分の聞き間違いを疑っていたほどです(私がそのラジオを聴いてから実際のCD購入までは1年以上の時間がかかっていたことも大きい)。
以前のnoteにも少し書いていますが、音楽を聴く趣味がなかった所「スティーブ・ライヒ:18人の音楽家のための音楽」を聴きたいが為に初めてCDラジオを購入し、このCDも購入した訳です。
CDの謎が判明したことに興奮し、まだ曲は聴いていないのにXにポストしてしまったほど私が聴きたかった曲は絶対「交響曲第2番」である事を確信していました。
なぜなら、上記の短い文章からはツィンメルマン氏が特別にこの曲を愛していることが伝わってきましたし、ツィメルマン氏の演奏は自分の生理的な部分でにピッタリくる感じがするので、氏が好きな曲は私も絶対に好き!という自信?があったからです。笑

●12月17日
午前中「マエストロ〜」の映画をご紹介下さった相互フォロワーさんから、なんと映画のエンドロールの最後が私が間違えて買ったアルバム「交響曲第3番 カディッシュ」である事を教えて頂いて、またまたビックリ!!!!
「カディッシュ」の意味が「聖なるものを意味したユダヤ教の祈りの歌」という事なので、映画のエンドロール最後の曲としてふさわしかったのだと思います。
が、オリジナルは語りも入っていましたし、改めて聴いてもやはりよくわかりませんでした。苦笑
エンドロールで使用された部分は本当に美しい!

●12月19日
ようやくSpotifyでツィメルマン氏演奏の「レナード・バーンスタイン:交響曲第2番(以下交響曲第2番) 」を聴き始めました。
すると、「第1 部・2 7つの時代」などは「トーマス・アデス:ピアノと管弦楽のための協奏曲(以下ピアノ協奏曲) 第2楽章」に感じたような、何とも言えない響きと広がりが感じられたのです。
しかも、「第2部・2 仮面舞踏会」の方ではガーシュウィンの曲のオマージュだとも感じられるのです。
ガーシュウィンの何の曲だったかしら…と、この時点では具体的にはあげられず少しモヤモヤしましたが、明らかに影響があっただろう事は「交響曲第2番」アルバムのブックレットからもわかります。

「バーンスタイン:交響曲第2番」クリスチャン・ツィメルマン アルバムブックレットより

アデス氏とバーンスタインの2曲をいったり来たりしながら聴いていると、クラシックの現代音楽的なものではこのあたりの響きの質感・イメージこそ自分が最も好きな音楽なのだと自覚しました。
25年以上前から自分の好みは変わらずにずっと繋がっていたのです。
「バーンスタイン:交響曲第2番」がラジオで1度聴いただけで忘れられなかったことももちろん頷けますし、「アデス:ピアノ協奏曲」を鑑賞した時に感じた他の音楽からは得られない特別な印象にも合点がいくのです。
今まで再会できなかった曲に再び出合うきっかけを映画「マエストロ〜」とツィメルマン氏のコンサートから頂くことができ、心から感謝します。

●12月21日
12/1「マエストロ〜」の映画の絡みで相互フォロワーさんがウディ・アレンの名前をあげていらっしゃいましたが、私がガーシュウィンを知ったのは学生時代に観たアレンの映画「カイロの紫の薔薇」に出てきた「ブロードウェイのバークレー夫妻」のフレッド・アステアからだったのです。
背伸びをして観たので正直ストーリーはよく覚えていないのですが、劇中映画として出てくるフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースのダンスが素晴らしく、当時全盛だったレンタルビデオでアステア関連のミュージカルを色々観ました。
晩年のアステアとオードリー・ヘップバーンとの「パリの恋人」からの「パリ」つながりで、同時代の傑作ミュージカルとして名高い「巴里のアメリカ人」を観た気がします。
そして、この映画でのオスカー・レヴァントのピアノにやられたのです!!!笑
「ブロードウェイのバークレー夫妻」でもレヴァントは観ていたのですが、普通に役者としてだったのでまさかピアノがこんなに弾けるなんて!!という感じだったかと思います(実際にはアステアもピアノがめっちゃうまい!)。
その流れで他のジーン・ケリーの傑作ミュージカル映画も観たのですが、名作「雨に唄えば」も最後まで観ることができず、唯一観ることができたのは結局「巴里のアメリカ人」だけでした(その理由は以前のnoteに記載済)。

そう、音楽を聴く手段を持たなかった私が初めてCDラジオを購入した際、最初に聴きたいと思って買った作品はバーンスタインのCDとオスカー・レヴァントのガーシュウィンの曲だったのです。
この日にそれを思い出し、相互フォロワーさんとやりとりさせていただきました。
レヴァントの「in F」が入っている私が買ったアルバムは、ジャケットやタイトルが変わりながらもずっとリリースされている様で、なんと、角野氏がNYのガーシュウィンが住んでいたアパートで女性から頂いたというあのLPレコード「Levant Plays Gershwin」に収録されているものと、音源・内容が全く同じなのです。
私が買ったものは下記のジャケット・タイトルで、SONY classicalレーベルなのですが、CDはなぜかmade in Austriaでした。笑

角野氏が2022年のツアーファイナルで「in F」を演奏された際の感想でも、私はレヴァントの演奏を基準としてクラシック寄りか大衆寄りかで比較しています。
話は少しもどりますが、2023年11月(私は観られなかった)インスタライブに関する皆様からの情報で、角野氏がこのレコードをNYのガーシュウィンが住んでいたアパート住人の方から頂いたということを知ったのですが、それを知った時の時の興奮たるや。。。
(Tweetを追いかけているうち、角野氏が頂いたLPジャケットとSpotifyで事前に内容が同じ事を確認していたアルバムに対して「中身が同じ」という様なポストをして下さった方がいらっしゃった)
好みが狭いため長年レヴァントのガーシュウィンしか聴けなかった私にとって、角野氏のガーシュウィンがどれほどの衝撃だったのかというのは以前に度々書いていますが、とにかく私にとって特別な二人が繋がったということは本当に感慨深い出来事でした。

●12月24日
NYのスタジオからかてぃんチャンネルのクリスマスYouTubeライブが行われました。
背景にはあのガーシュウィン&レヴァントのアルバムが飾られています。
すると…なんとなんと!私が「交響曲第2番」でガーシュウィンのオマージュだと感じられたその部分が聴こえてきてビックリ!!!!
コメントを見ると「パリのアメリカ人(交響曲)」でした。
言われてみたら確かにそうそう!!!笑
しかも、何の偶然なのかわからないのですが…直前に演奏された曲「This Chirstmas」をリクエストされたのが最初に「マエストロ〜」を紹介して下さった方によるものなのです。
そのメロディが「「パリのアメリカ人」と似ているので、きっと繋がったのでしょうね。なんというご縁でしょうか。。。

14:25 This Chirstmas by Donny Hathaway
16:01 パリのアメリカ人 / An American in Paris by Gershwin

「パリのアメリカ人 (指揮: バーンスタイン)」(7分半頃〜)

「交響曲第2番(演奏:ツィメルマン」(1分頃)

この3曲の比較を24日当日にXで投稿していたのですが、「パリのアメリカ人」をバーンスタイン指揮で選んだのは、単なる私の個人的な想いでしかなく、実際には関係は無いと思い込んでいたのです。

実はソロコンサートで「パリのアメリカ人」が選曲された事を知り「巴里のアメリカ人」DVD(新古品)を購入していたのですが、この時はまだ観てはいませんでした。
これだけ色々とご縁が重なるのですから、この日にDVDを観なくてどうする!と思い、夜は映画鑑賞。
終盤に出てくるニューイヤーズイブの仮装パーティーでは、ヒロインが金平糖の精の様な仮装で登場しますし、ラストのバレエシーンにはにくるみ割り人形の兵隊の様なキャラも出てくるので、なんだか現実のクリスマスイブと地続きの様な感じすら覚えました。
映画ではアダム(レヴァント)のその後は描かれていませんが、主役ジェリーのパトロンだったミロに見出され、その夢を実現できそうな感じがやり取りで感じられました。きっとアダムも成功する!「イブ=希望/成功前夜」です。
もちろん、レヴァントの「in F」のシーンでは角野氏のボストン公演が思い出されて胸熱。
直後にこの動画を観たのはいうまでもありません。

また、このDVDはデラックス版で、関係者のドキュメントインタビューもセットになっていました。
ボストン公演の動画の後にそれを観ていると…さらに驚く事が!!!
なんと、「巴里のアメリカ人」のサウンドトラックの指揮者がバーンスタインだったのです。
Wikipediaで同映画の項を見ても、映画監督の名前は書かれているものの指揮者までは書かれていませんでしたし、まさかそんな関係があるとは思ってもおらず英語のクレジットもスルーしていました。
関係者インタビューではバーンスタインの言葉が余りにも当たり前の様に(周知の事実の様に)サラッと語られていて、ちょっと信じられないほど。
AI検索で「巴里のアメリカ人 サウンドトラックの指揮者」で調べたら、結果はやはりバーンスタインでした。
本当にビックリしかありません。笑

しかも、先ほど書いたニューイヤーズイブのパーティーシーンは、関係者の中で「マスカレード=仮面舞踏会」と呼ばれていたのです。
実際の映画では仮面が出てこないので、たぶん衣装や細かい設定が決まる前の企画段階からそう呼ばれていたのでしょう。
「パリのアメリカ人」「交響曲第2番」を聴き込んだ今となっては、「仮面舞踏会」からは雰囲気的に「パリのアメリカ人」の冒頭の人が行き交う雑踏的なニュアンスが漂っているのです。ピアノの2音連打の不協和音もクラクションがイメージされます。。。
「交響曲第2番」の初演は1949年でこの映画の公開が1951年ですから、企画・制作が真っ只中に「交響曲第2番」が発表されたと考えることも出来、このパーティーを「仮面舞踏会」って呼んでしまいたくなるのはなんだかわかる気もするのです(勝手に想像しているだけで事実とは異なります)。

また、ガーシュウィンの交響曲のシーンを入れたいという希望は当初からあったものの何の曲を使うのかは最後まで決まらなかったらしく(直前までメドレー案が有力だった)、「in F 第3楽章」をそっくり使い一人で全てを演じるというアイデアを出したのがレヴァント本人だったという事もわかりました。
前述したnoteにも紹介していますが、ミュージカルの演劇的表現性でガーシュウィンの音楽性が損なわれるのを許さなかったレヴァントの「ガーシュウィンの音楽に対する思い入れ」と「自身の音楽家+クリエーターとしての創意」が現れた素晴らしいシーンだと思います。
そのことはコンサートツアーに関わってくるので、詳細はまた別途。


2024年始

2023年末で一旦偶然の繋がりが終わったのですが、、、
またまた新たに繋がる嬉しい予感!!!

昨年末から各オーケストラ団体の2024年春〜2025年春までのスケジュールが相次いで発表され、年間チケット(=会員)やシリーズチケットも発売されましたが、角野氏の人気プログラムは年間かシリーズの優先購入時でないと入手が難しいという現実的問題が表面化していました。
そのことに関しては少々思うことがあるので、小文字で別扱いに。

FC用のチケット販売が年間購入や寄付による優先販売よりも後になった事に対してファンの方々の「大人の事情」という発言も見受けられましたが、主催団体の利益が優先されるのは当然なので、逆に人気公演でFC販売があることが有難いというだけです。
ただし、ソリストファンに対する年間早期購入を煽る告知があからさま過ぎて、これまでオケを支えていた従来年間購入ファンの反感を私が心配してしまう程。。。
昨年、某老舗オケの定期公演で、角野氏がソリストとして参加された完売公演にもかかわらず空席が多い事に驚いた事がありました。
保守的なクラシックファンの方が角野氏に対して批判的である事は事実で、それらその年間購入者の意思表示としての空席だと私は感じたものです(ソリスト発表も年間プログラム発表時ではなかったため)。
年間シリーズで予定枚数を売り切ったお知らせを目にしたので、これまで毎年購入されていた方がスタートダッシュに遅れて買えなかったとか、気に入った席がとれなかったとか…例年とは違う不便を強いられた可能性は考えられるでしょう。
角野氏が出演しない公演(=のどかだった場所)までもが、熱狂的なソリストファンに荒らされたと受け取られても、仕方がありません。
そもそもがソリスト公演のチケット欲しさに年間購入+寄付を厭わない熱狂的ファンを持っているからの人選で、経済的な恩恵は大きいはと思うのですが、これに味をしめて同様の企画がオケ体質として定着すると、これまで支えて下さっていたファンを失いかねないのではないでしょうか。
角野氏が海外公演を増やせば今年の様に定期公演に出演できるとは限りませんし、そういう圧倒的なソリストの出演が無ければ、これまでの保守的なクラシックファンを失うだけの結果になり得るのです。
まさに毒になり得る劇薬。
また、SNSでは早い時期から「完売」が度々発信されその興奮度も伝わってくるのですが(角野氏ファンとしてはある意味嬉しいことですが)、これまでコツコツとオーケストラを支えてくださっていた保守的な既存会員の方にしたら(角野氏に対して批判的な方は特に)、興醒めの出来事かもしれません。
私は角野隼斗ファンでしかなく、角野氏の演奏によって自分の好みのクラシック音楽を見つける事ができたとしても、どう足掻いてもクラシック音楽ファンにはなれないのです。
今まで支えて下さっていた保守的なクラシックファンをもっと大切にして頂きたい。。。
でないと、ソリストファンとしての罪悪感すら抱いてしまいます。

上記の通り、何かしらの優先販売時でないとチケットの入手が難しいという事がわかったので、以前は気にしていなかったオーケストラの年間スケジュールを気にする様になりました。
新たな偶然に繋がる…と書いたのは、今後角野氏が演奏される曲についてのことです。

●1月20日
読響の年間プログラムが読売新聞に掲載されたとファンの皆様が話題にされたので、初めて目にした作曲家のブライス・デスナー氏を検索してみました。
そもそも驚いたことは、クラシックの作曲家でありながらロックバンドのギタリストだという事。
映画「蘇りし者」では坂本龍一氏とともにサウンドトラックの作曲者の一人としても名を連ねています。
さらに、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団とメトロポリタン美術館の共同企画で杉本博司氏「海景」をフィーチャーしたインスタレーション「Wave Movements」を共同制作されている事が判明!!

昨年のフランチェスコ・トリスターノ氏とのウィーンでの無声映画に音楽を奏でるコンサートでの写真は、古いオペラハウスで名作映画を上映するというコンセプトから考えても(「廃墟劇場」は写っていない過去〜現在の時間や人々の記憶がテーマ)、杉本作品の影響を感じ取れます。

読響のプログラムがどの様な経緯で決まったのかはわかりませんが、どう考えても日本人でこの広義の芸術性に通じるピアニストは想像できないのです。それは角野氏個人としても。
ところが、ここにトリスターノ氏の存在が関わると角野氏の表現そのものも広義の芸術的枠まで広がる可能性がある!と膝を打ちました。
角野氏の表現特性の一つに周囲への拡張性があげられるので(環境に影響を受けやすいとおっしゃっている部分とほぼ同義)、広義の芸術の接点としてのトリスターノ氏の存在がそれを可能にするのです。
私はこの時点ではまだ音楽を聴いていませんでしたが、こだわっているのは音楽そのものではなくあくまでも広義の芸術性に表現が広がるかどうかなので、それに納得できてしまうのです。
(※2024.06.19配信「かてぃんラボ」にて、この曲は角野氏による提案だったことが判明)

そしてようやくSpotifyで「デスナー:2台のピアノのための協奏曲(以下2台のピアノ)」を聴いたら…………
なんとなんと、これは私が最も好みとするタイプの曲ではないですか!!!!!
いや、聴く前からわかっていたことなのですけど 笑。。。

というか、前項で「バーンスタイン:交響曲第2番」→「アデス:ピアノ協奏曲」と書きましたが、その先に「デスナー:2台のピアノ」があったといえるかもしれません。
そう、この3曲にはその質感に通有性があるのです。
私は以前「アデス:ピアノ協奏曲」感想で杉本氏の「海景」を鑑賞した時の感覚に近いという事を書いてるのですが、それこそが前述した「Wave Movements」のビジュアルですから。

●1月23日
1/22に角野氏が「Apple Music Classical」のアンバサダー就任に関するインタビュー記事やニュースがアップされていました。
とりあえずローンチ(24日深夜0時)直後から使える様に23日の朝に「Apple Music」に加入しましたが、私の興味は当然デスナー氏の作品。
アルバム「El Chan」をApple Musicで途切れなく聴くと、「バーンスタイン→アデス→デスナー」という「響き・質感の系譜」だけではなく、作家性としては明らかにスティーヴ・ライヒに通じるミニマルで、表題曲の「El Chan」は特にミニマル色が強いことも実感します。
しかも、一度ミニマルとして感じて聴くと「2台のピアノ」」もミニマル調の曲に感じられてくるのです。
この日は1日中このアルバム「El Chan」をApple Musicで聴き倒していたのですが、ELLE Japanから「Apple Music Classical」に関係するもう一つのインタビュー記事が公開されました。
なんと「Apple Music Classical」で聴く最初の1曲として角野氏がおすすめしていたのが、デスナー氏のこの曲だったのです。
まさかまさか、朝から延々とこの曲を聴いていた日にこの記事が出るとは!!!
またもや偶然! 笑
(この時点では「Apple Music Classical」はローンチされていませんのでまだアプリは使っていません)

深夜0時をまわり「Apple Music Classical」の検索でデスナー氏経由で「El Chan」にたどり着くと、「ジョン・アダムス、スティーヴ・ライヒ」からの影響が書かれて「はやり!」と思いました。笑
(この解説、実際には「Apple Music」の概要にも記載されているのですが、検索結果は作品が最初に表示されるために解説に気がつきません。
「Apple Music Classical」の大きな利点は、それら曲の情報を作品とともに提示される所にあるのだと思われます)
アダムス氏とデスナー氏の関連性は先のELLE Japanの記事でも角野氏が語られていますが、私的には断然アデス氏なのです。
それはミニマルという様式とは異なる響きや質感の影響として。

と、ここで思い出したことがありました。
以前「アデス:ピアノ協奏曲」の感想では浅田彰氏の「海景」を引用しているのですが、そこに音楽の様式としてのミニマルとは異なるその様式の源となった「現代アートとしてのミニマリズム」を引用していたのです。

「リアリズムの極致がミニマリズムの極致と一致する——このアクロバットが杉本博司の「海景」の核心なのである。」

REALKYOTO 「写真の終わり——杉本博司「時間の終わり」展の余白に」
初出雑誌(『文學界』2005年11月号)の版元、株式会社文藝春秋の許諾を得て転載・公開

またまた自分でもなるほど!と。
この「リアリズムの極致がミニマリズムの極致と一致する」感覚が、音楽様式のミニマルだけではなく「リアリズム(有機性)とミニマリズム(無機質性)」として一致するという事なのです。
該当のアデス&デスナー作品の解像度が一気に上がるとともに、"KEYS"の表現性としてラボでも語られていた「無機質」に繋がってくる訳ですが、それもまた後日。

<追記1>
●3月7日
なんと、角野氏がSONY CLASSICALインターナショナルとワールドワイド契約をしたとのニュースが!
日本人としては史上4人目とのことです。
いや〜〜!この一連の偶然に本当にビックリしてしまいますが、とにかくおめでたい!


<追記2>
4/27放送 jwave「TOKYO TATEMONO MUSIC OF THE SPHERES」でNYのガーシュウィンが住んでいたアパートででお会いした方から頂いたというレヴァントのレコードのエピソードとともに、大好きなレヴァントの「ガーシュウィン:ピアノ協奏曲 inF」がラジオに放送され感慨無量でした。


●まとめ
ということで、自分の音楽の好みとしてのまとめです。
過去に「ミニマルジュージック→ジャズ→クラシック」の流れを書いたのですが、私がその音楽に触れた時間軸に沿う直線的な関連でした。
けれど、ここに「バーンスタイン:交響曲第2番」「デスナー:二台のピアノ」が加わると、クラシックとミニマルミュージックの間が埋まり、「自分の音楽的好み」全体として円環になるのです。

好みの音楽
自分の中で質感やイメージが通じていると感じられた関係性を示すもので
実際に影響関係があったことを示すものではありません。
また、制作年代もバラバラです。

これは本当に嬉しい発見でした。
たぶん、今後さまざまな音楽を聴く際の指針にる様な気がしています。
この一連の出来事から、なんとしても角野氏とトリスターノ氏の「2台のピアノ」は生演奏で聴きたい!という気持ちが強くなり、寄附による優先購入を決めました(まだ発売はされていませんがとりあえず寄附だけは行った)。
年間購入のシステムは興味の無い公演に手を出すことになるので選択肢からは外れますが、主催オーケストラへの寄附は自分が熱望する企画へのお礼という意味にもなりますから、これまでも利用していましたしこれからもしたいと思っています。
保守的な(角野氏を好まない)クラシックファンの皆様の領域を荒らさずに主催団体の経済的メリットを増やすという意味でも。

さらに、このnoteを書くに当たり改めて調べた情報を追加していきます。
「Wave Movements」の共同作曲者リチャード・リード・パリー氏インタビューによれば、当初は波の動きを音楽として演奏するだけだったものを、デスナー氏のアイデアから「海景」を用いたインスタレーションに発展したとのことです。
それはそうでしょう!デスナー氏の作風からもその関連性を読み取れるのですから!と、またもや膝を打ちました。笑
そして更に更に驚いたことに、「アデス:室内交響曲」がこのコンサートプログラムの最初の曲だったとも書かれていたのです。
アデス氏とデスナー氏の作品に感じる関連性、私以外にも感じられる方がいらっしゃったということです。
角野氏はアンバサダーらしくApple Musicの解説通りにデスナー氏とアダム氏の関連性を語られていましたが。笑

また話は少し逸れるのですが、デスナー氏の「インディ化するクラシック」のインタビューは今後のクラシックの新たな可能性としてとても面白いので貼っておきます。


さて、ここで話が昨年の流れに戻ります。
ガーシュウィンのレコードを頂いた時の様子と「in F 第3楽章」の演奏全体がNHK WORLD「NEWSLINE IN DEPTH」で公開されたのです。

この女性の方、まさかレコードの演奏者レヴァントが「巴里のアメリカ人」で演奏した「in F 第3楽章」を、レコードを手渡した日本人ピアニストがボストンポップスの映画をテーマとしたコンサートで演奏するなど、想像すらできなかったと思うのです。
事実は小説より奇なり!!!!

また「in F 第3楽章」全体を聴けたことで、以前謎として書いていた日本公演とボストン公演との違い、その変移がなんとなく理解できた気がしました。
全体を聴いてみると、前半の「丁寧」と感じら得た質感はそれほど違いはないと思われるのです。
後半、角野氏の曲への没入感が大きくなるところがボストン公演で、最後まで抑制を感じたのが日本公演でした。
その違いは観客の熱狂度による影響か、マイクを通した音響による違いなのはわかりません。
ただ、京都音博以降では「グルーヴを生かした抑制力」とでも言うべき新たな表現性の獲得に至ったので、今ではこの東京公演で感じた「抑制→少し冷めた印象」になることは無いと思われます。

そして、この「グルーヴを生かした抑制力」というのが「リアリズム(有機性)とミニマリズム(無機質性)」との関係にも置き換えられるともいえるので、“KEYS”の表現性としては重要になってくると考えています。

おまけ

その後、ツィメルマン氏は前述のミューズアークホールでの公演でピアニストは引退かもしれないという投稿をみました。
ギリギリツィメルマン氏の演奏が聴けてよかったと思うべきなのかもしれませんが、私としては氏の「交響曲第2番」がどうしても聴きたかった!!!それがとてもとても残念です。

私は昨年11月に小曽根真氏のコンサートで初めてこのミューズアークホールの響きを知ったのですが、それ以来一番好きなホールになりXでもこの音響についてやりとりをしていました。
ですから、所沢公演後の角野氏のポストはとても嬉しいものでした。

そして最後に来た最大級の驚き!!!!
このnoteは先週から書き始めていのですが、今日所沢の地元ファンの方の投稿から「アデス:ピアノ協奏曲」のリハがこの所沢ミューズで行われていたということが発覚!!!!!!
うわ〜〜なんてこと?!?!?!?!?!?!?!

しかも、今日2月12日は100年前に「ラプソディ・インブルー」が初演された日だったそうで、長野公演のアンコールでは「ラプソディ・インブルー」と「パリのアメリカ人」を絡めた演奏も行われていたとか。。。。
そのことからも、音楽の関係性が時間軸を基準とした直線的なものではなく、質感・イメージを基準にした「円環」であることを改めて感じる日でした。
(投稿後に発覚し、この部分のみ20:00頃に追記しました)


※鬼籍に入った歴史的人物は敬称略

■追記も含めたnoteの更新記録はこちらからご確認ください
(2024年1月に名前を変えました)