あかねさす
欧州のインターナショナル・スクールの生徒だった頃、学校ではすべての科目を英語で学んでいたが、日本語を忘れないようにと家庭での国語教育は厳しかった。
学校生活の延長で、ついきょうだい同士では英語で会話をしてしまうのだが、「家の中に一歩入ったら日本語を使いなさい」と父も母もその都度こどもたちに注意をした。
唯一の例外は、ヨーロッパ人のお客様をお茶やお食事にお招きしている日だけだった。
それでも父母がその場にいなければ、その日の学校での出来事や友達とのことをきょうだいで分かち合うのは英語で話してしまうことが自然に多くなる。英語で考え、英語で生活しているのだから、その再現をする時にいちいち「日本語に訳す」のは面倒だからだ。
もしも私の親が「家の中では日本語を話すこと」という約束のほかにも、日本語の読書と毎日の漢字の書き取りを私に課していなかったら、私は日本に帰国した時に英語はペラペラしゃべれても漢字はろくに読めない十五歳になっていたかもしれない。
母は万葉集が好きだった。
母が口ずさむ万葉集のうたの三十一音が、私と短歌の出会いだったと思う。
あかねさす むらさきのゆき しめのゆき
のもりはみずや きみがそでふる
日本の学校で教育を受けていたら、国語の教科書に載る近代短歌が「短歌との出会い」だっただろう。今の小学校の教科書には、口語の現代短歌が掲載されている。しかし、今から半世紀前に母が口ずさむこの万葉短歌を音だけで聞いた時の私は、どのような意味かはよくわからなかった。
「君が袖ふる」のは、「バイバイをしている」ということかしら?
十三歳の誕生日のお祝いに、母は私に日本からわざわざ取り寄せた「万葉のうた」という本をプレゼントしてくれた。いわさきちひろの美しい挿絵入りで「若い人の絵本」と銘打った、形も絵本のように四角いハードカバーの本である。その冒頭に、このうたがあった。
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
解説から私が読み取った作者の額田王の心情は次のようなこと。
「今は他の人の妻になっている私なのです。このような人目につきやすい紫野で、あなたが遠くから私におおきく手を振っている。そのようなことをなさると、野の番人に見られてしまうでしょう? 私がかつての恋人のあなたと今でも心を通わせていると噂になったら困るでしょう?」
十三歳の少女には衝撃的とも言える内容だったが、うたの意味にもまして、自分の母がこのうたが大好きであるとはどういうことか、あれこれと想像をめぐらせて胸がきゅうっとなる感覚をおぼえた。ちひろの絵の力もあって額田王の「でも嬉しいわ」という心が読めたからだ。
そして、インターナショナル・スクールの「国語」で課される英語の詩、poem / poetry との圧倒的な響きの違いにも打たれた。
五、七、五、七、七。英語の詩のような脚韻は無いが、独特なリズムがある。たった三十一音でひとつの「うた」になっており、だからこそ、こんなにも美しく、せつない。
短歌の魅力にとりつかれた私は、日本に帰国後十五歳で朝日歌壇に投稿をした。歌人の伯母の手ほどきを受けながら文語定型短歌を歴史的仮名遣いで詠むことはその後も細く長く、今も続けている。
諏訪に移住した後、光本恵子と出会い、口語自由律短歌をも始めて十年になる。
初出:『未来山脈』2023年1月号
サポートをしていただき、幸いに存じます 恐れ入ります