見出し画像

"本能寺の変"同日同時刻に亀山城から本能寺を足軽装束で行軍してみた(7) ~暗闇の老ノ坂~

本編は【その6 篠村八幡宮での決起】からのつづきです。

酒を飲み腹も膨れて、さらにしばらく少し休んでいると動けなくなってくるが、21時過ぎ、進軍を開始することにした。光秀が篠村八幡宮を出発したのもほぼ同じ時刻だ。

暫くは集落の中の舗装された道を行く。22時前なのでまだ寝てはいないと思うが人通りは無く静かだ。明智軍13000人がこの時刻に行軍していたのならかなり異様な光景だっただろう。この時点では灯火管制をする必要は無いので、松明を掲げて行軍していたはずだ。

画像1

宮の本の集落に山陰古道の分岐点が有った。ここからは灯りが全く無くなるので、ヘッドライト、懐中電灯も点ける。

下の地図だが、車のモードになっている場合は「その他のオプション」で徒歩モードに切り替えると、今回の徒歩でのルートが表示される。

ナイトハイクの雰囲気が出てきて盛り上がる。しばらく行くとまた国道に合流する。国道は車が多く行き交っているが、歩道が無い。国道を歩いたのは500mほどだけなのだが、危険なので路側帯を一列になって各自の間隔を数mづつあけて進む。
車の運転手は深夜の国道で急に現れた武者行列(?)に驚いたことだろう(と思う)。明智軍の亡霊だと思ってくれた人がもし居たら嬉しい(?)。

右へ進むと老ノ坂峠への旧道に入る。このまま国道を進んでも旧老ノ坂隧道(現在は歩行者専用トンネル)に行くのだが、光秀の時代にはもちろんトンネルは無いので、今回はトンネルは使用しない。

画像2

最初の200mほどだけ京都縦貫道の灯りがあるが、それ以降は山道に入り、暗闇になる。道も平たんではなくなり、坂を登るのも整備された階段ではなく、木の根で自然に出来た階段を進む箇所が有る。険しい山道というわけではないが、暗闇でなかなか趣が有る。

首塚大明神というなかなか薄気味悪い名前の付いた社が有る。酒吞童子の首を埋めたと言う場所だ。大江山の鬼退治で有名な"鬼"だが、恐らくこの辺りを地盤としていた平安時代の豪族なのだろう。
階段を上って小さな社の前までは行くが、暗闇で特に何もせず、進軍を止めることなく先へ進むことにした。

今回の行軍の最大の難所と思われた老ノ坂峠だが、特に問題はなく越えることは出来た。闇夜の山道の下りは少し手間取った区間は有ったが、すぐに舗装された道に出ることができた。

画像3

ここで半時間ほど休憩。道に座り込んで甘酒を飲んでいると、急に車が一台来て驚いた。この時刻にこんな場所に人は居ないはずなので、運転手も驚いたとは思う。
こんなところに廃棄物処理場が有ったとは...

明智軍は松明を手に持ちこの道を進んだのだろう。13000人全員が越えるには、舞台の先頭と最後尾では数時間の差が有ったと思う。

【その8 「京の都へ」へつづく】
目次:光秀の謎】←毎日更新。ブックマークお願いします。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?