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珈琲の苦みとカフェラッテと自分

珈琲の苦みを素直に受け取れる瞬間はいつですか?

私は、カフェラッテしているときです。

ミルクの甘さを頑なに抑え込むその珈琲力(勝手な造語)に感嘆するのです。その深く安定した強さに、ミルクを差し置いた優しささえ感じてしまうくらい、珈琲の苦みに魅了されるのです。変なことを言っているかもしれませんが、これは心から出た言葉を淡々と綴っているだけです。

珈琲の苦みを撥ねつけようとしているときが、たまに、あります。
そんなときのじぶんは、大抵、何かにイライラしているときにブラックコーヒーをただただ流体力学に従って体内に注ぎ込むという勿体ない珈琲たいむをしているときです。なんだ、お前の苦みはこんなもんかよ、へっ。そんな一言が口から飛び出してきそうな気分と表情で珈琲を飲んでいるのです。

もちろん、じぶんは珈琲のブラックがだいすきです。カフェラッテは寧ろレアなじぶんなのです。言いたいことは、ブラックコーヒーが悪いということではなくて、自分がブラックコーヒーに対して誠実でないときがあって、そんなときには苦みを素直に受け取れないということなのです。加えて、カフェラッテしているじぶんはいつも余裕があるときなのです。ブラックコーヒーがイライラの十分条件ではありませんし素直な自分はカフェラッテの必要条件ではありませんが、カフェラッテは素直なじぶんの十分条件なのです。

ブラックコーヒーが好きな方、きっとじぶんと気が合うと思います。ですが、もしカフェラッテを好んでいない方がその中にいましたら、ぜひカフェラッテすることをおすすめします。なぜかというと、カフェラッテはブラックコーヒーするときよりも、一手間かかるからです。カフェラッテを作れば、意識せずとも余裕を持っておおらかな気持ちでお口に運ぶまでの時間を過ごせる、そんな都合のいいことを考えながら、ゴロゴロとナッツの混ざったチョコレートの塊を口に放り込んでいるNonakでした。

のんびりすぎるこちらのnoteをお読みいただきありがとうございました。
いつかどこかで一緒にカフェラッテできるかもしれませんね。


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