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悩むと考えるは違う

私は表題のような議題を意識して生きている。悩む人は考えていない。解決策を求めて考えていない。考える人は解決に向かっている。そういう思想を持って生きている。無論、それが十分なのか、はたまた必要なのかどうかもわからないけれど。しかしながら、今の私は自分のセオリーに反する状況にある。悩んでいるのだ。

自己肯定感が低い。これが私の感情に負の影響を及ぼしていると気付き始めたのはつい最近のことである。自分がしでかしたちょっとしたミスが他人に及ぼした影響をどこまでも想像して相手の反応に過敏に反応して自分を許せず、「失敗した」という後悔の念でかなりの時間を無駄にしてしまう。恋人や友達からの誉め言葉を素直に信じることができず、その裏の在りもしない架空の感情を想像し追求してがっかりしてしまう。誰かのふとした言葉の断端に敏感すぎて、深く深く探り込み、一人で勝手に傷ついてしまう。

どれもこれも、なぜだろう。なぜ私はこうなってしまったのだろうか。育ち方だろうか。思春期に父親から容姿を馬鹿にされたからだろうか。二十歳の失恋のせいだろうか。生まれつきの性なのだろうか。

ていうか、こんなに誰かとケンカを繰り返したことなんてないし。約21年間の人生の中で一度もこんな喧嘩ばかりの関係性はなかった。初めてのことで、原因も分析しきれていなければ解決策もわからない。そうかといって疫学的なアプローチさえ今のところは役立たず。

そんなこと悩んで書いている時点で無駄だよ、と誰かにまた言われそうで、それでも今書いているのはほかでもない自分のためである。吐き出さないと事態はさらに悪化するという予感があったためこうしていそいそとnoteをしたためているのである。同時に自戒でもある。悩むな、考えろ。そう言い聞かせるための手段として。

同じように悩んでいる人の目にこの文章が入ったらどんな風に感じるのだろうか。それだけが気になる。

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