見出し画像

アイデンティティ

「アイデンティティ」

① 人格における存在証明または同一性。ある人が一個の人格として時間的・空間的に一貫して存在している認識をもち、それが他者や共同体からも認められていること。自己同一性。同一性。

② ある人や組織が持っている、他者から区別される独自の性質や特徴。

[広辞苑 第六版より引用。]

僕がこの言葉を知ったのは、小学5年生の頃だ。

四谷大塚の国語の予習シリーズで知った。

当時の僕は、
「自分は自分だろ。」

「自分が自分じゃなくなる?」
どういうことだ?と思っていた。

本当に意味がわからなかった。


中学受験を乗り越え、中学、高校と進み、大学に入学したのち、家族全体がひと段落ついたということで、墓参りに行く流れとなった。

なかじま家のお墓は北海道にある。

最後に行ったのは、小学校低学年の頃だ。

全てを詳細に覚えているわけではないが、旭山動物園でアザラシを見たり、札幌でラーメンを食べたり。
お墓があるところからはめちゃくちゃ海が見えることは覚えている。


その頃の記憶は正しかった。

10年弱ぶりにお墓のあるお寺に行ったが、丘の上にあり、海が一望できた。

いい場所だ。

「あそこら辺の一画にあるから、先に行ってて。
お父さん達は水とか汲んでるから。」

そう言われた僕と弟は、父が差した一画に向かい、なかじま家のお墓を探した。

「なかじま、なかじま、、」

自分の苗字の漢字を思い浮かべて歩き回り、やっと見つけた。

「中島」

弟と2人で、その墓の前に立っていると、水やらブラシやらを持って両親がやってきた。

しかし、両親は僕たちを通り過ぎ、一つ奥の墓の前に進んだ。


あぁ、奥にも中島がいるのか。


父の前にある墓の文字を見ると、

「中嶋」

「えぇ、こっちじゃないの?」
僕は、慣れ親しんだ中島の墓を示しながら言った。

「あぁ、違うんだよ。こっちなんだよ本当は、」

「本当は??」

「アーィデンティティがぁ なぁああい」

脳内に山口一郎が現れ、『アイデンティティ』を大声で歌い始めた。サカナクションの楽器隊も後ろでポコポコやっている。

ニシン蕎麦を食べている最中に、我に戻った。

そうか、これがアイデンティティの喪失か。

7年前の小学5年の自分、今にわかるから大丈夫だ。
そう思った。


「なかじまです。真ん中の"なか"に、山鳥ではない"しま"です。」

電話口で苗字の漢字を伝える時に毎度、山口一郎が現れ、自分に聞く。

好きな服はなんですか?
好きな本は?
好きな食べ物は何?

なかじま

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?