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2020年、コンプレックスの塊だった私が見つけた居場所

※このnoteは劇団ノーミーツ1周年記念企画「劇団員24人全員がnote書く」のひとつです。劇団ノーミーツのクリエイティブマネージャー、なかなが書いています。
その他の劇団員のnoteはこちら。

劇団ノーミーツに入る前も、入った後も私はコンプレックスの塊だった。
「コロナ禍に20代の若手が立ち上げからたった1ヶ月で劇団の長編公演を興業として成功させた」
ネットニュースでそんな言葉を見かけた時、(どうしてこんなことが可能なんだろう。みんな凄すぎる…!)とコンプレックスがまた1つ増えていくのを感じていた。
そんな私が1年経った今、ここにも自分の居場所があるのだと感じ始めることができたので、ノーミーツとの出会いも含め時系列を追って書いていきたいと思う。

4月9日、緊急事態宣言。でもそれどころじゃなかった。

世間が騒がしい中、私は明日に控えたプレゼンでヒヤヒヤしていた。
相手は自分でイチから開拓した某大手食品会社。
リモートになって、お客さんに会えないながらもなんとか孤軍奮闘で提案しコンペに参加できるところまで持ち込んだ。暴れ回るほど緊張していたけれど納得がいくまで深夜にプレゼン資料を直して、翌朝びっしょり汗をかきながらプレゼンを終えた。
一瞬のことだけれどうまくいった感触があった。
やりきった、そう思ってできたのが主婦層をターゲットに作った「あるあるネタ」を集めるこの企画。制作チームのおかげもあって「#クッキンあるある」というハッシュタグがひとり歩きし、たくさんの人に楽しんでもらえた様子。いろんな人がSNSで話題にしてくれているのを眺めながら「ああ、私も企画ができたんだ」と初めて自分に自信がついた瞬間だった。


みんなが憧れるキラキラしたものじゃない。

私はデジタルデザインの会社で働く、いちプロデューサーだ。
新卒で現代アートの会社に入って、大きな展覧会やプレスなどたくさんのことに挑戦させてもらってきたけれど、もっと世間や生活に溶け込んだ仕事がしたいと思い転職をした。
優劣をつけるものではないが、アートというのは(まだまだ日本では)「一部のひとのもの」だと思う。対してデザインは「みんなのもの」であろうとする姿勢が好き。
確実に日常に溶け込んで、誰かの生活の一部になる。とりとめもないことかもしれないけれどほんの少しだけ癒すことができたら、と思いながらこの仕事に誇りを持っている。

 自分を動かすのはいつも悔しいという感情だと思う。

話は学生時代に遡るが、大学の4年間を通じて演劇にのめり込み、サークルを飛び出して下北沢の小劇場やいわゆる商業と呼ばれるプロの方たちとも舞台を作ってきた。
でもその中で「演劇はカネにならない」という現状を何度も目の当たりにし、どうしてこんなに自分の心を動かす面白いものが世の中のひとに届かないんだろうと悔しい思いを抱えることが多くなった。
大学を卒業する年、就活をしていくなかで決めた自分のミッションは
「クリエイティブに価値を与える」ということだった。

7月3日。ノーミーツの広報であるオギちゃんからLINEがあった。何やらオンライン演劇の進行を手伝ってほしいとのこと。演劇にまた携われることが嬉しかったので、二つ返事でOKした。
いま、カレンダーを見返す。

7月23日 劇団ノーミーツ第2回公演

え、あの日々って20日間だったんだ。
それはとても長くて、とても短くて、とにかく記憶の中では人生で一番睡眠時間が無かったように思う。

第2回公演『むこうのくに』は本当に私たちを向こう側へと連れて行ってくれた。オンライン演劇をただのzoomを使った演劇ではなく、デジタル技術・クリエイティブを駆使したものへ。制作の大変さは舞台演劇を遥かに上回るものであり、想像なんて軽々と超えていった。夢を描くひと、道具を与えてくれるひと、着地させるひと。彼らがそれぞれの境界を飛び越えて交わっていくのを目の当たりにした。

これが完成しないなんて悔しいじゃん。届かないなんて悔しいじゃん。
半ば意地でこぎつけた初日だった。


私のこと、を忘れてたから

劇団ノーミーツに入って欲しい。そう言われてすごく驚いたのを覚えている。私には他の人のように目に見える特徴も技術もない。でもそんなすごい皆さんとご一緒できるなんてこんなチャンス滅多にないぞ!と足を踏み入れた。
思った通り、みんなすごい。『むこうのくに』の制作時に体感していたけれど、できること・知っていることの量に圧倒された。広告代理店で華々しく活躍する同級生、何気なくしたツイートがバズってしまうSNSマスター、メディアで取り上げられていたあの子…。
「場違いすぎる」と自分が押し潰されそうになった。
目まぐるしく展開されるslackやSNSの会話を見ながらそう感じていた私は、自分にもできることや誇りに思うことがあると気づくまでとても時間がかかってしまった。

プロデューサーの仕事は、全てが終わった後に定義されるもの

それからあれよあれよと月日が過ぎて劇団ノーミーツは1周年を迎える。
コンプレックスまみれだった私が、いまもまだノーミーツにいられるのは自分の領域として考えているプロデューサーとしての仕事を広義に捉え直すことができたからだと思う。
「○○をプロデュースしました!」と言うと「何をしてきたの?」と問われることが多いけれど、この仕事は結局「全てが終わった後に定義されうるもの」だと考えるようになった。与えられた枠組みがあってそれに当てはめていくのではなく、いま自分が「どうしたらこの作品の価値が上がるのか」ということを考えて行動した結果がプロデュースになる。
だから、その瞬間で見ると役に立っていないんじゃないかと不安に襲われることもあるのだけれど、今何をしたらより良い終着点をもたらすのだろうと視点を切り替えられるようになった。

2021年の夏、さいごに。

劇団ノーミーツという存在を外から見ると、何やら非常に目の上のたんこぶ感があるんじゃないかな。私はそれをコンプレックスという言葉に集約させてしまったけれど、改めて自分のやるべきこと・できることに目を向けることで、それは少しずつ薄れていくようにも思う。
結局、ノーミーツの中にいても(外で指を加えて見ていたとしても)自分が見えていないとコンプレックスは肥大化していくと気がついた。

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『むこうのくに』から1年が経つこの夏に、私はついに人間をプロデュース(出産)する側にまわる。初めはまたみんなに置いていかれそうになることを不安に思っていたけれど、いまは少しだけできることが増えたし、その過程で得るものはどんな作品よりも大きいものだと思うとワクワクしてくる。
全てがコンプレックスだった私は、劇団ノーミーツに入って様々な領域のひとと関わることで自分の新しい居場所を見つけることができたと思っている。

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