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will lack, will, luck

 今回の部員日記は経済学部2年の中牟田がお送りします。少し長いですが、ご一読頂けたら幸いです。

 12月に入り、オフシーズンが垣間見える時期になりました。
 先日の大会では、同期の小板橋君と後輩の北川君が暴れてくれました。二人ともおめでとう。続行の二日目も是非とも健闘してもらいたいです。
 実は僕、初めてカミングアウトするのですが、9月からひと月程、遺書を書いていた時期がございました。今回はそれにまつわる話をしていきたいと思います。

 冒頭で不安に思った方が多いでしょうから先に謝っておきます。ごめんなさい。遺書といいましても、僕は致死性の病は持ち合わせていませんし、自殺願望もございません。今に至るまで心身ともに健康です。
 ただ一か月ほど、「遺書を書く」ということを習慣にしてた時期があったのです。遺書というワードも僕がそう呼んでるだけで、何も遺書遺書してるものでもありません。

 事の発端は二つほどあるのですが、初めは僕が9月頭あたりに「君の膵臓をたべたい」を読んだことでした。別に青春小説を欲していた訳ではなく、動機としてはやや不純ですが、売れる本とはどのようなものなのか、という興味本位、そして、たまたま目に付いたから。以上二つの理由から書店で手に取ったのでした。
 ストーリーをご存知な方でしたらおおよそ察しはつくかもしれませんが、作中で病気がちなヒロインが日常について記す日記、「共病文庫」なるものが登場します。これが今回の僕の遺書のモチーフです。
 キミスイ自体もそうですが、特に共病文庫という存在は、当時生活をテニスに捧げていた僕には印象的でした。今は五体満足でテニスができているけど、運悪く明日不慮の事故や災害にあったら、僕はどうするのか。そんな時はもう意思の挟みようなんてなくて、じゃあ今色んな人に色んなことを言い残しているのではなかろうか。自分の最期がいつ来るかわからない以上、言葉にしておかなくてはいけない思いがあるのではないか。そうした思いに駆られた瞬間を今でも思い出せます。

 そして遺書習慣に拍車をかけた二つ目の要因は、僕のよく視聴するYoutuberさんのある動画でした。
(リンク貼っときます。https://www.youtube.com/watch?v=adrD3pcnu9Y)
 二分ちょっとなので、見てもらったら早いのですが、要約すると、自分の死について考える習慣はいいことずくめ、ということでした。今考えると丁度部活が盛り上がっていた頃だったので、内省の時間が欲しいと思っていたのかもしれません。家の中で一人でいたかった、というのもあるでしょうね。

 そうこうあって、僕は「共病文庫」の真似事のようなものを始めたのでした。具体的には、一日一人に宛てて、10分ほど、自分は故人で相手は存命という設定の下で、最後のメッセージを残す、といった具合です。
 この習慣はまず人選が大変でした。何を書くか、よりも、誰に書くか。正直書く内容はどれも似通ってきてしまうのですが、書く順番が好感度順であるように思えて、どうにも気が重くなりました。当たり前ですが人間関係は格付けするじゃありません。
 そして、何より意外でどうしようもなかったのは、今交流のある人向けに書けない、ということでした。具体的に中高大の知人や友達、家族などです。これは勿論、万が一その人が僕の部屋で遺書を見つけてしまったら、ということを想定していた訳でもありません。
 何故かわからないけど、書けないのです。
 これがますます人選に時間をかけさせます。書くべき人に書けない、どうしてなんだろう。運悪く会えなくなった時のことを考えると、いちばん言葉を残すべき人達であるのに。紙の上で、交友関係が甦らないほどの旧友に再会する日々が続きます。

 そんな悶々とした日々が続いて9月も下旬になったのですが、結末はあっけなくやってきました。

 それは僕の大好きなゲーム、ポケモンの総集編とも言えるミュージックビデオが発表された時でした。
(https://www.youtube.com/watch?v=BoZ0Zwab6Oc)
 もちろんミュージックビデオも、長くポケモンをやってる人であれば口角が上がってしまうような要素が散りばめられていて、文句なしに素晴らしかったのですが、より当時の自分にインパクトのある内容であったのは、BUMP OF CHICKEN が担当する主題歌、Acaciaでした。
(https://www.youtube.com/watch?v=4dnT-kKIO6Y)
以下歌詞を少し引用します。

 ゴールはきっとまだだけど もう死ぬまでいたい場所にいる 
 隣で(隣で)君の側で 魂がここだよって叫ぶ
 転んだら手を貸してもらうよりも 優しい言葉を選んでもらうよりも
 隣で(隣で)信じて欲しいんだ どこまでも一緒にいけると
 どんな最後が待っていようと もう離せない手を繋いだよ
 隣で(隣で)君の側で 魂がここがいいと叫ぶ

 初めて歌詞を見て、聴いて、シンキングタイム一か月の問題の答えが少しわかったような気分になったのを今でも憶えています。
 なるほど、どうやら僕が今すべきことは、不測の事態に備えて言葉を残すことではなく、出会えた人達との時間を惜しまないこと。
 遺書を書けないのは、僕自身が、死ぬまで一緒にいるつもりだったからということ。最期なんてどうであっても、心配も何も要らないということ。

 そして、そう思える僕は運が悪い奴なのではなく、とびきり運が良い奴に違いないということ。


 自分の中の答えが少し見えた日、9月29日から僕の遺書(笑)の時間は止まっています。けれども、恐らくそれでいいんでしょう。
 そう言えばキミスイのヒロインが言っていました。出会いは運命でも偶然によるものでもなく、私達は自分の意思で出会ったんだ、と。
 参考にさせてもらってる手前悪いけど、僕には運の良さもあるもんで。

 それじゃあ遺書を置いて、必要なもん持って、今日も誰かに、会いに行こう。