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「想道愛旅 〜旅を愛し、旅を想う〜 ゲストハウスに人生を捧ぐ 網谷克敏」

勝つことよりも
夢を実現すること
福島正伸

「くじけそうな時は『諦めない理由』を思い出して取り組みます!」
voicyラジオの放送を終えて嬉しいコメントを投稿してくれたのは、アーミーこと網谷 克敏さん

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今回のvoicyラジオのゲストは、前回のばんちゃん(板東高功さん)に引き続き、今年3月「くるまざ大学」2期生のために、中村あっちゃん(中村あつよしさん)に講師として呼ばれて広島に行った時に出会った。講演はリアルでオンラインでも受講生は多かったが、その翌日から3日間の「生業合宿・大人の修学旅行」に参加したのは、アーミー1人だけだったので広島呉市倉橋島で濃密な3日間を過ごした。

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最近、「3年ぶりに花火大会を開催し5万人来場するも8分後に火事で中止」とニュースで取り上げられていた「日本のベニス」といわれる富山県射水市にある内川エリアにゲストハウスを開業予定のアーミー。彼は今、18年間務めたJR西日本を今年3月に辞めて開業準備中だが、開業後も、ずっと応援したくなった。それは、『夢を諦めない理由』を聞いたからだ。常々、夢を実現するために大事なのはやりたい理由より諦めない理由だと感じている。また、明確な目標を持っている人の成長を見るのは楽しい。今回ZOOMで収録した1回10分、全7回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい

アーミー(網谷 克敏さん)は富山県高岡市生まれの40歳。親の転勤で幼稚園(年中さん4歳)から小4までの6年間、長野県松本市で過ごした。方言が原因で「いじられキャラ」を確立した。引っ込み思案で運動音痴で運動全般が苦手。泳げなかった彼は先生と母の勧めでスイミングスクールに通った。

幼少期の頃、一番ショックだった出来事が起こった。3歳下の弟が列車事故で亡くなったのだ。泣いた父を見たのは後にも先にもないという。子育て真っ最中の俺は父親の気持ちが痛いほどわかった。アーミーが小6の時、12歳年下の弟ができた。この時、運命の不思議を感じた。松本にいても、GW、夏休み、正月は高岡に帰っていた経験が移動や過程、旅が好きになるきっかけになった。

中学に入ると「左利きが珍しいから入部しないか?」と誘われて卓球を始めるも、万年補欠生活。中1の時、新潟県三条市の友達を訪ねに行った鉄道旅が初めての一人旅だった。高校へ行くと、楽しみにしていた修学旅行がなかった。私立や商業高校はあっても、県立高校普通科にはなかった。「旅行に行くなら勉強しろ!」ということだったらしい。

大学は京都の龍谷大学哲学科に進学。哲学を専攻したのは高校の時、クラスに馴染めず悩んでいたので人生について考えてみたかったという。進学して2、3ヵ月後に後悔した。漫画しか読んでいなかったアーミーには、難解な西洋哲学の本はチンプンカンプン。しかも初めての一人暮らしでホームシックになり、夜な夜な母に電話した。彼は「初めての経験」を軸に上手く話をまとめていた。「自分は話下手」と謙遜しているが、アーミーは「伝える力」を持っている。

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大学時代から本格的に旅にハマった。全国の普通列車乗り放題の青春18きっぷを使って旅を続け、時刻表が愛読書になった。後にJR西日本の実務に、この時の経験が活きてくる。もう一つハマったのが環境保全サークル、「ちゃんと考える会」で校内の電気の節約など省エネや大学祭で使用する容器の削減などに取り組み環境哲学を実践した。仏教系の大学だったため、実家がお寺の学生が多く、独特な対話も生まれた。紫外線の問題に取り組んだ時は、光を反射して紫外線をカットする白い服に白タイツを着て、8人くらいでキャンパスに立ったこともある。「大人しそうに見えて、大学時代、ぶっ飛んだこともやってるな」ってアーミーの新たな一面が垣間見れた。

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就活をすることもなく迎えた大学4年の終わり、地元の駅で契約社員募集の貼り紙に目が留まった。「愛読書が時刻表という鉄道オタク」を前面に出して面接に臨んだのかと思ったら、鉄道業界では、「鉄道オタクは採用しない」という定説があるらしい。鉄道オタクを隠して当たり障りのない普通の面接をして採用された。後に女子の契約社員ばかりの研修期間中に、「わからないことがあったら、時刻表に詳しいアミタニに聞け?」と先輩社員には鉄道オタクがバレていたことを知る。1年契約を更新して4年、正社員の道が拓かれた。アットホームな小さな駅、富山県小杉駅に勤務することになった。大阪本社まで行って正社員の昇格試験に一度落ちて2回目に合格する。制度上、2度落ちると正社員の道は閉ざされるらしい。晴れて正社員となったアーミーは、富山県小杉駅から新潟県糸魚川駅に配属となった。たまたま小学生の頃に通っていた愛着のある糸魚川駅で2年勤務することになるが、「人見知りの鉄道オタク」と周りから思われていた。その後、富山駅に8年勤務した。

2015年3月 東京・金沢間の北陸新幹線開業に携わることになるが、その前年の大晦日、「ゆく年くる年」に生出演して家族を喜ばせた。北陸新幹線開業は地域を盛り上げたが、彼自身は暗転していく。新しい職場に馴染めない。若い社員ばかりで同世代がいない。組合の書記長も掛け持ちしていたアーミーは雑務に忙殺され心身のバランスを崩した。職場の人間関係で追い詰められた彼は、旅さえも楽しめなくなっていた。そこで出会ったのがゲストハウスだった。北海道のローカル線廃止になる宿探しをしていたら、北海道を中心に全国に広がる安宿・ゲストハウス「とほ宿」で心落ち着く自分の居場所が見つかった。会社と家の往復で普段会えない人と出会える喜びで心が満たされたのだ。それが今から5年前の35歳の頃。

それがきっかけとなって各地のゲストハウスを巡るようになった。ところが仕事はますますしんどくなる一方。そんな状況の中、大学の時の恩師、サークルの顧問の先生が亡くなった。張り詰めていた糸がプツンと切れたのを感じた彼は「線路に飛び込めば楽になるのかな・・・」。上司に相談して希望を出し、再び新潟県糸魚川駅で勤務することになった。その後、コロナ禍で個人的に旅にいけないし、会社の業績は落ち込み、人員削減も始まった・・・。

そこで、アーミーは「自分が救われたゲストハウスを自分がやればいい。今度はみんなに還元していきたい」と気持ちを切り替えた。これが、彼がゲストハウス開業をどうしても諦めない理由となった。

糸魚川駅で4年勤務し、駅員としてみどりの窓口できっぷを売ったり、改札やホーム担当した計18年間務めたJR西日本を退職した。「おつかれさま、アーミー!」

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開業前に屋号も副題も決まっている。「元駅員がつくるゲストハウス あみたに家」、副題は「想道愛旅」。旅を愛し、旅を想うアーミーが考えた造語だ。思いを表現することが大事だ。

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富山県射水市内川エリアに物件を探しているアーミー。具体的に動き出すと、追い風を感じる出来事が起きた。幸運は人が運んできてくれる。是非、放送を聴いてほしい。彼の目標に向かう姿が美しいと感じた。純粋に夢に向かう今を楽しんでいる。夢も旅もプロセスを楽しめているかどうかだ。でも、結婚と同じでゲストハウス開業はゴールじゃない、スタートだ。だから、開業したら、「あみたに家」に行くね、アーミー。またvoicyラジオを録ろう。今度はリアルで!

このvoicyラジオ収録している時、アーミーは偶然にも岐阜県大野町にある古民家宿ホニャラノイエに滞在していた。オーナー夫妻、えみぽんこと加藤 瑛美さんは、「くるまざダイアログ大学」講師の一人で、たけぽんこと加藤 武留さんは、JRで車掌経験もあるという。収録中にアーミーから2人を紹介されてvoicyラジオ出演となった。放送は1ヵ月後くらいかな 笑。

絶景なのに赤字のJRローカル線のニュースを見た。せっかく屋号に「元駅員」、副題に旅を愛し、旅を想う四字熟語(造語)、「想道愛旅」と名付けたのなら、廃線の防止のため何かできないか宿泊客と一緒に考えてみるのもいいと思う。破産寸前だったのに6年ぶりに黒字になった銚子電鉄のように明るく楽しくアイデアを出し合って宿泊客と一緒に赤字路線を盛り上げていくのもいいと思う。ローカル線の絶景写真展を開催するとか、泊れば泊まるほど赤字路線に寄付できる仕組みをつくるとか、廃線ウォークツアーを企画するとか・・・自然と唯一無二のゲストハウスになっていくように思う。

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 「つまりね、人生で大事なのは、山登りと同じで、
 自分の二本の足でどこまで歩けるか、
 自分自身に問うことなんじゃないのかね。
 自分の足で歩いた距離だけが本物の宝になるんだよ。
 だから人と競争する必要はないし、勝った負けたの結果から
 得られるものなんて、束の間の幻にすぎないわけだ」
  『春を背負って』笹本稜平(著)


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