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「半農半ゲストハウス半まちづくり会社 全地方議員 増田望三郎!」

何だろう。いつも間にか自分の願う人生、
本意の人生を送れていることをシアワセに思いますよ。
移住の時の僕が大事にしていた言葉は、
There is a will, there is a wayでした。
意志あるところに道は拓ける。でも、やっぱりご縁なんだよね~~。
増田望三郎

voicyラジオを始めて2年になるが、初めてラジオで対談して泣いた。その対談相手は、「望さん」こと増田望三郎さん。しかも2回も泣かされた。最初は父と子(望さん)の会話。2回目は望さんと娘さんの会話。どちらもその場にいるような感覚になったのだ。今月に入ってから1日2回放送して今日で768回目、一万9千回再生された。その中で最長記録の11回の放送になったが長いだけじゃない。一日一日の内容が濃いのだ!その証拠にフォロワーが一気に増えた。望さん、ありがとう。

望さんは中村あっちゃん(中村あつよしさん)に繋いでもらった。あっちゃんが4月に開校する予定の「暮らしの藝術大学」特任教授として望さんも俺も任命されたのだ。

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長野県安曇野市にⅠターンして18年。52歳。自給の農業(米と野菜)、ゲストハウス「安曇野地球宿」オーナー、移住者向けのシェアハウス「ゆたか」合同会社まちづくり会社を運営。安曇野市議会議員(現在3期目)でもある。2児の父。

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小学校を3回も転校し、友達と出会いと別れを繰り返したが、中高時代は仲間に恵まれた。ムツゴロウさん(畑正憲)のように自分の王国(望三郎王国)をつくりたいと夢見る少年でもあった。大学生となった19歳、グレイハウンドバスでアメリカ一人旅を経験。日本人は若く見られてどこに行っても親切にされた。この旅で望さんは「人と出会う楽しさ」を知る。俺も21歳でアメリパス(グレイハウンドバス)を使ってアメリカ一周したから、よくわかる。どこへ行っても10代に間違えられて親切にされた。

大学に貼り出された一枚のポスターが望さんの人生を大きく変える。若者が集まる果樹園での農作業だった。堆肥の山を一輪車を使って200人で撒き終わると体が震えるような感動を覚えた。「100年先にたわわと実る果樹を想像し、みんなで力を合わせれば、こんなこともできるんだ!」仕事に対する時間の捉え方が変わり、時給いくらのバイトとの違いを肌感覚で知ったのだ。ZOOMで収録中、その感動が伝わってきた。身振り手振りで熱量のあるトークで思わず望さんがイヤホンを吹っ飛ばしたからだ。

後にその農作業が農業共同体ヤマギシ会だと知る。まさに少年時代から夢見た「望さん王国」を見た思いで、その活動に傾倒していく。「一生かけてやる仕事が見つかった!」と大学4年の春、大学を辞めて参画する覚悟を決めた。20歳の望さんは「すべての人が幸せに生きられる社会を目指す!」と言い放ち大学を辞めると親から勘当され、学歴も家族も手放し共同体の運動に10年捧げることに。25,6歳になって家には上げてくれない父から言われたセリフに俺はウルっとしてしまった。息子のやることに反対はしていても応援、心配する複雑な父親の感情と愛情を感じたからだ。

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共同体は日本だけでなく海外にもある大規模なもの。安心安全な農作物だけで年商何百億円も売上げた。それでも村の中ではお金のやりとりが一切ない。リーダーもいない。話し合いで決めていく。そんな中、望さんはワークキャンプを運営、主催していく。学生を100人200人と連れて行くツアーを組み、年4、5回実施していく。ワークキャンプを体験した若者の感動が、そのまま自分に返って来る感動の日々。自分らしくなっていく「場」をつくることに青春をささげた。この10年の活動を通して人生観が定まった。

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しかし、時代はオウム真理教がニュースで取り沙汰された時期、ヤマギシ会もカルト集団とバッシングされた。望さんはヤマギシ会の広報活動の一環として意識ある若者、社会変革を志す若者たちにも知ってほしいと東京、大阪と出かけていく。その若者たちが俺の友人でもある自由人作家の高橋歩や世界のワークキャンプを主催するNICEの開澤真一郎らだった。今も人と人とのつながりは活きているという。

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30歳になった望さんは10年の活動に終止符を打つ。組織に頼るのではなく自分自身のマインドにあるもので実践し、人生を切り拓いていく決意をしたのだ。東京・町田に引越すも4年で地方移住を考えるきっかけは奥さんの言葉だった。

「そろそろ根無し草的な生活を終わりにして、地に足をつけた生活をしましょう。東京で買う食材は誰が作ったのか?どんな思いでつくったのかわからない。ただ買って消費するって豊かじゃない。生産のある暮らしをしたい」

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地方移住して、どうやって生業を立てたのか?一冊の本との出会いが人生を拓き、移住前から「安曇野地球宿」プロジェクトのホームページを立上げた構想はほぼ実現したという。生産のある暮らし、お米作りの望さんと娘さんの会話にウルっ。「何かを実現しようとする時、お金がなければできないのか?」「お金がなくて良かった!」そう言わせたのはなぜか?どうやって理想の宿を見つけたのか?「地球宿」最初のゲストは?「別居ステイ」では夫婦一人ひとりと話し合い、答えやアドバイスを言うより一緒に考えようという姿勢、お客さんとの距離が短いことに共感。なぜ、市議会議員になったのか?議員の仕事とは?役割とは?これからやっていきたいこととは?

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望さんとの熱い全11回(1回10分)の対談、フォローしてい聴いてほしい。

20歳に立てた志、「すべての人が幸せに生きられる社会を目指す!」に52歳になった今も真っすぐに取り組む望さん。誠意を持って仲間と共に育んでいる。また、1人会いたい人ができた。出会いに感謝。

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中村隊長!ついに終わりましたね、
全11回に及ぶロングラン、このような機会を与えて頂き、
本当にありがとうございました。
僕にとって大切なアーカイブになりました。
今もっとも会いたい人の1人、中村隊長!
増田望三郎




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