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「中小企業の諸葛孔明になる」中園大樹(なかぞの だいき)

人の評価より
人からの感謝
福島正伸

今回の放送で1,000回連続放送を達成したvoicy「中村隊長 元気の出るラジオ!」

「成功者と言われる人のほとんどが初動が早い!」と言った友人がいた。彼の最初の一歩は速かった。あっちゃんプロデュースの「くるまざダイアログ大学」オープンキャンパスに広島で俺の講義を聞いた2期生いばちゃんから紹介されてZOOM講義に参加。すぐに彼からFacebook友達リクエストと同時に講義の感想が届き、その後「ようこそドラマチックジャーニーへ」を読んで61人目のamazonカスタマーレビューを書いた。まず、「与える」。それが良い人間関係を構築する基本だと思う。思っているだけでは伝わらない。きちんと表現することが自然にできる彼と話したくなって、voicyラジオにゲスト出演依頼をした。ちょうど俺が60歳からのライフワークが定まったタイミングでの対談となった。

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彼とは、ゾノこと中園大樹(なかぞの だいき)気鋭の26歳(収録時)。昨日10月4日で27歳になった彼は素直で自走できる人。「折角の機会なので熱量を感じたく。。。」とZOOMではなく、都内から横浜元町タリーズコーヒーに来てもらって収録した。実際に会うと眩しいくらいの覇気があった。銀行の名前を出せば誰でも会ってくれる大手都市銀行から、会社の看板無しの人間力勝負の外資系保険会社の歩合制の仕事に転職した。そんな彼と1回10分、全5回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい

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「ほぼボクの人生は野球でできているといっても過言ではない」とう言い切るゾノ。小学2年から少年野球チームに所属し、大学まで15年間野球を続けた。自分を一言で表現すると、「負けず嫌い」という。そんな彼が志望したのは奈良県公立高校の中で3番目に偏差値の高い高校。模試でE判定でも落ち込まず勉学に励んで五分五分まで成績をアップさせるものの力及ばず試験に落ちてしまう。負けず嫌いの彼が、高校受験に失敗し、野球部にいる3人の副キャプテンの1人となり、理想のキャプテンを支えた。「キャプテンとしてアイツを超える人間には会っていない」。

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大学に進学し、野球に没頭する傍ら、ベンチャー企業の社長に会い、チームマネジメントの勉強をした。焼き肉屋でアルバイトすると独立していく社員を見て刺激を受けた。

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大手都市銀行に就職し、融資を担当、2年4ヶ月勤めた。年商10億から40億くらいの様々な中小企業社長と話す機会を得た。70歳くらいまでの元気な社長に魅了された。「なんで起業したのか?」「なんで、この業種なのか?」「なんで、この社名なのか?」その会社ならではのストーリーに関心を持った。その中でも印象的な社長の話を聞いた。学生時代サッカーをやっていた年商5〜10億の体育系で「コレやる、コレやらない」と即決タイプの社長。毎回珈琲を入れてくれる社員を見て、ゾノは効率や経費削減を考えて、自動で珈琲を入れる機械の導入を提案した。すると、「従業員に珈琲を入れてもらうのは、お客さんに従業員を見てもらうため、従業員にどういうお客さんに会社が支えられてるか見てもらうため」と言われ、浅はかな提案をしてしまったことを反省。同時に、なんで、この会社の業績が右肩上がりになるのか、「従業員を大切にしているからなんだ」と合点がいった。「なるほど!」と思った瞬間に成長のカギがある。魅力ある社長と接することで点が線になって輪になっていくものの考え方、生き方までも見えてくる。会社の本当の価値が垣間見えた瞬間に立ち会うことで、数字やデータではなく、その数字の裏が見えた時、仕事がおもしろくなった。「成功している経営者は目に見えないものを大切にしている」と言った友人の言葉を思い出した。

融資を断らなければならない苦渋の選択をしたこともあった。銀行の判断は間違っていないと思う反面、心情との葛藤があった忘れられない一社。今でも「大変な苦労をかけてしまった」と思っている。上司と2人で会いに行った社長は50代半ば、社長が涙目になるシーンは、その場の情景とその後の風景が見えたように思えた。断られた社長も断らなければならないゾノも辛かったと思う。俺も何度もメインバンクのビジネスローン部の窓口に行ったシーンがあった。

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銀行時代で世話になった先輩から声をかけられ銀行を辞め、心新たに外資系の保険会社に転職したのは、2020年8月。この時期の転職も凄い決断だが、安定していた銀行マンから外資系保険会社の歩合制に転職するのは大きなチャレンジだ。聴いててヒリヒリした。銀行マン時代、優秀な先輩たちを見ていて、この世界で生きていく自信がなかったという。「もっと、お客様のために泥臭く動きたい」と考え、転職を決意したのだ。最初は上手く行かず躓いた。同じ金融業界なのに、全く違うスポーツのようだった。歩合制になったことで自分で売上を立てる難しさを初めて実感した。こんなに勉強したのに伝える場がない。お客さんと会えない、話せない。そこで問いを立てた。「保険の営業マンに正直会いたいと思うか?では、逆の立場だったら、どう言う人と話したいか?」。自分で見つけた答えは、まず、「お役に立ってから」を心がけて行動した。たとえば車の購入を考えているお客様のために、カーディーラーに行って得た知識を基に、お客様に車のプレゼンをした。お客様の様々な悩み事を解決していくことでお客様と信用・信頼関係を築いていった。泥臭く動けるだけ動いて良好な関係性を築いてから仕事につなげていったのだ。

一番大きな気づきは、いろんなことが、「当たり前じゃない」ってこと。会社の決算書を見て偉そうなことを言っていた若造からの脱皮。銀行では気づけなかったことは、お客さんと話す場づくり、売上を立てることの難しさ、一人で闘うこと、感謝の気持ちをカタチにすること。そして何より、お金よりも大事なこと。

人に好かれ、相手との距離を縮める能力に長けてる今、27歳の青年の30代、40代が見てみたくなった。また、会おう、ゾノ。

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 物を売るという行為は
 ただ商品を売ることではなく、
 それによって
 感動や幸せを分かち合うことなのである
 『ゼロから3年で100億円企業を作った男のガムシャラ仕事術』
 森平茂生(著)総合法令出版


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