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「進化する自分軸、背中で語れるママを目指して 矢澤裕子」

そこに何かを感じた時
とことんやる
理由はあとでつければよい
福島正伸

「隊長〜!お元気ですか?
喋りの苦手な私にまたお時間ある時、ラジオさせてください〜!」

そうFacebookにコメントしてきたのは、2年前にvoicyラジオにゲスト出演した隊員ゆうこ。

2年前のvoicy放送を埋め込んだnote。

noteに書いた、この言葉にインスパイアされたのだと思う。
「隊員(旅の参加者)の結婚式で主賓挨拶中に真っ白になったことがあった。それ以来、上手く話そうとするのではなく、自分らしく話そうと決めた。すると、スピーチで失敗することはなくなった。」
voicyラジオで「ゆうこらしさ」を引き出せたかな?今回収録した1回10分、全5回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい

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voicyラジオ収録後、始めたユウコのnote

ゆうこ(矢澤 裕子)は、生まれも育ちも茨城県の29歳、もうすぐ3歳になる長女と1歳になる長男の2児のママ。今はドライフラワースタイリスト/デザイナーで家庭と仕事を両立させようと日々奮闘中だ。そんなユウコの幼少時代から話を聞いた。「小学生の頃は、基本、人に流されやすいタイプだった」と聞いて驚いた。今、我が道をゆくユウコからは想像できなかったから。俺の知るユウコは個性的なファッションに身を包む22歳の学生だったし、自分の人生は自分で決めるタイプの人じゃないと、うちの旅は選ばないから。

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「あの旅の体験から、大きく変わったと思う」という。嬉しかった。話を戻そう。中学に入っても、テニス部に所属しても、心の中で、「練習やりたくないし、何でやってんだろう」って思っていた。高校になれば、好きなお店に行ってバイトしてって「憧れのJKライフ」を夢見るも、好きでもないテニス部で汗を流す日々。思い描いていたイメージとは全く違う高校生活だった。ところが、中学の時は軟式テニスだったのが、高校に入って硬式テニスに変わったことで、テニスを好きになれた。好きになってやって夢中でやっていると部長になっていた。何でも「好きになる!」ってポイントだと思う。仕事でも嫌々、義務感でやっているのと、内発的な動機で好きでやっているのは結果が違うから。テニス部部長をやることで、少し人前に立つことができるようになったのだ。いつも2番目、3番目くらいの立ち位置から周りを見るタイプから自分の中で変容が起きた。

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大学を選ぶ基準も、「自分がやりたいことって何だろう」自問自答した結果、ファッションだった。第一志望の大学に入るも、入学式で場の雰囲気に呑まれた。奇抜なロリータ系ファッションに身を包む人、髪の毛を染めてる人も茨城の田舎では見たこともない。先輩たちは、自己主張して、みんなぶっ飛んだファッションを着こなしていた。「自分も頑張らないと」と気合が入ったユウコは「自分が何に向いているのか、何が好きなのか」考えた。カラーコーディネイトやパーソナルカラーとか「色彩とファッションを掛け合わせたら面白いかも」とひらめいた。

大学1年の時は迷走していたユウコも、色彩学やブライダルファッションの歴史を学んでいくうちに、スタイリストに憧れをもち、ブライダル一本に絞って就活すると決めた。ちょうど、この頃、アメリカ西部グランドサークルを一緒に旅した。彼女はファッションにこだわりが見えた唯一の学生参加者だった。アメリカ西部国立公園を歩くときはトレッキング向きなアウトドアファッション、ルート66ではロックンロールな60年代ファッション、ラスベガスの夜ではドレッシーなファッション、ネイルはターコイズでキメていた。「やりたいことは全部やる!」って意欲が見えて、スポンジのような吸収力を持っていた。

ブライダル業界に就職し、初めての一人暮らしをスタートさせた。物事の習得に時間がかかるタイプでメッチャ泣いていた1年目。尊敬できる先輩ばかりで2年3年の先輩が10年のベテランに見えた。自分では準備万端のつもりでお客さんに対応しようとしているのに、自分でも何を言っているのかわからないくらいパニックになった。そこで高校時代から培ってきたリーダーシップが活きてくる。憧れていたポジションを任されることで、メキメキと頭角を現しブライダルジュエリー部門で全国1位を取った。ポジションが人を変えていくってあると思う。入社1年目ビリから2年目でトップセールスになった。

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ゆうこは何をしたのか?売れてる先輩を見て自分もやってみた。何事も、まずやってみることで結果を出すって大切だ。「学生の時にした旅で学んだことが社会人にもなって活きている」って話を聞けて嬉しかった。「旅は手段であって目的じゃない。旅は終わってから始まる」これが地球探検隊の旅のコンセプトだから。この旅で10年も20年も年上の人たちと交流した経験が今に活きている。一緒に旅をして感じたこと。彼女はコミュニケーション能力に長けている。

入社2、3年目になると後輩ができて教える立場になった。ゆうこは、初めて「どう伝えるか」悩んだ。悩んでいる時、「ゆうこは、そのままでいい」って先輩にアドバイスされた。「憧れの先輩のようにならなくていいんだ!」って思えたら、後輩から「ゆうこさんのようになりたいです!」と言われるようになっていた。誰もが「自分らしくやればいい」って思えたら、職場の人間関係も変わっていく。

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バイトも含めて6年働いたブライダルスタイリストの仕事を結婚を機に辞めた。女の子を授かり第一子が生まれた。偶然にも、うちの長男と誕生日がほぼ一緒。ある時、ふと付けたTVに大学の講師の先生がお花の仕事を立ち上げていて出演していた。すぐにメールをすると授業で関わったのは数回しかないのに、先生はゆうこのことを憶えていた。直接会って小さな作品作りからコツコツと始めた。子育てをしながらフリーランスとしてドライフラワーデザイナーの道を歩むことになった。

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長女1歳の誕生日に、「お花を通して家族で温かい時間を過ごせたらいいな」と漠然とした思いがあったが、長男が生まれると本気になった。対面販売だけでなくネット通販にも力を入れるようになった。

「ゆうこさんのようになりたいです」と後輩に言われたように、子供たちから「ママってスゴイね」って言われたい。子育てをしていてつくづく思う。家族の精神的支柱はママにあるって。ママが生き生きと輝いていたら、それが子供に一番影響を与えるのだ。

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ドライフラワーって一つの命の表現、アートだ。
ゆうこはドライフラワー作品をつくることだけでなく、アニバーサリーフォト、ブライダルブーケ、ペアアクセサリーなどブライダル装飾、空間装飾、店舗装飾、フォトイベントと仕事の幅を広げている。家庭と仕事の両立は大変だが、フラワーライフアレンジャーとして活躍の舞台は無限大だ。俺は還暦になって思う。「人生に正解はない。すぐに答えを求めるよりも自分はどうしたいのか、魂が喜ぶことは何なのか?問い続ける人生がいい」。幸せは夢の途中にある。その背中を子どもたちは見ている。だから、子供たちに残せるものはいっぱいある。

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花のある生活って、いい。生活空間に花があるだけでゆとりが生まれる。ゆとりは心に潤いを与え豊かにする。誰もが心にある温かいものに気づかせてくれる。「生活に寄り添った花」の魅力を伝える2児のママ、ゆうこ。10年後、20年後が楽しみだ。

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 きっと大丈夫だ。そんな気がする。
 負けそうになることは、この先何度もあるだろう。
 でも、その都度いろんな人やものから勇気をもらえばいい。
 みんな、そうやって頑張っている。
  「空中ブランコ」奥田英朗


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