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日本とカンボジアで喜びを稼ぎ続ける男、一般社団法人Kisso(NPO法人earth tree)代表理事 加藤大地(後編)

 最悪の状況は
 決意をするには
 最適な状況
 福島正伸

今回のvoicyラジオは、前編・後編と2回に分けて放送した初めての試み。というのも、2年2ヵ月ぶりに日本に一時帰国したカデ(加藤大地)が、過密スケジュールの中、横浜・元町まで来てくれてリアル収録したのが前編6回。ところが収録時間が足りなくて話が終わらなかった。

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前編では、「一生に1回くらい」という言葉を何度も聞いた。学校をつくると決意した時、世界一周ハネムーンをすると決めた時、カンボジアに移住を決めた時・・・決断の時、「一生に1回くらい、こういうことをやってもいいんじゃないか?」自分に問うのは大事だ。「みんなで一緒にやれば、学校建設はおもしろい!」と共感してくれる人を1人2万円、80人集めて160万円の資金調達をした。いよいよ学校建設をする後編に続く。カンボジアに戻ってからZOOMで収録した後編7~12回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。

後編は日本時間午前10時、カンボジア時間午前8時にZOOMで収録した。お金も集まって応援してくれる人もできて半年くらい世界一周ハネムーンの旅をした。カンボジアに戻ると、「学校をつくる」ワクワク感と不安が混在した気持ちだった。タイ・バンコクで友人2人と合流。設計図も模型も作って来てくれた。一時的にテンションは上がるが、誰もホンモノは作ったことがない。誰もが目を合わせない 笑。ゲストハウスに泊りながら学校づくりがスタートした。学校建設を経験した伊藤さんがサプライズで現地に3日間来てくれた。1日目は伊藤さんがリードしたが、「3日目はカデくん、基本全部やってくれ!」と任されたことでスムーズに着手できた。

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学校を建設するシェムリアップの村に外国人が来るのは初めてだった。始めは様子見をしていた子供たちだったが、作業することが遊びになっていった。4人でスタートした学校建設は、ゲストハウスで声をかけていくうちに20人の仲間に膨れ上がった。村に到着すると、子どもたちが一斉に駆け寄ってくるように変わっていく。1ヵ月経ってカタチが見えてくると、子どもたちは目をまん丸くさせて、「これが、学校なんだよ!」。その姿を見て、心が折れそうになったこともあったが、「学校作りを始めて本当に良かった」と思えた。

「餅屋は餅屋」、かでは苦手なことは、得意な誰かに任せ、出番をつくっていった。これを彼は「BBQスタイル」と呼んだ。BBQのように指示を出さなくても、それぞれが得意なことで自ら動くようになるからだ。伊藤さんがやって来て最高の誉め言葉を放った。「カデくん、これは学校建設の理想のカタチだね!」彼は確信した。「誰かが笑顔になることだったら、みんなでやったほうが楽しい!」と。

2009年11月から2010年2月までの3か月間で小さな学校が完成した。開校式には、みんなで号泣した。大人も子供もみんなが生き生きする「イキイキスクール」の誕生である。

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214世帯1256人が住んでいるシェムリアップの村。うち500人以上が就学児童年齢。その9割の子が学校に通えていない現実。30人くらいの想定で作った学校に100人の生徒が入ってきた。子どもたちの喜びが伝わってくる。

それから世界一周の旅を2年続けた。どこにいても半年に1回はカンボジアに戻った。彼ら夫婦にとって学校建設をしたカンボジアが一番心に残ったからだ。小学校をつくると次の課題が見えてきた。お兄ちゃん、お姉ちゃんが下の子の面倒を見ると小学校に通えない現実を教育委員会から教えられた。「イキイキスクール」のメンバーと「次は幼稚園つくっちゃう!?」。

今度はできるだけ多くの人にカンボジアの現実を知ってもらおうと一口1,000円の「1,000円プロジェクト」をスタートさせた。俺も高円寺でユウキ(吉田 有希)が経営する「Cafe&Bar Smile Earth」で、のぶき(プロギャンブラーのぶき)の熱量に思わず募金箱に1,000円投入したのを鮮明に憶えている。途中苦戦したが結果、1569人がプロジェクトに参加、360万円が集まった。半年間1,000人を目標にしていたが、なかなか集まらなかったが最後の5週間だけで700人くらいが参加したという。ゆうきやのぶきのように共感してくれた人の協力があったからだ。

現地ボランティアは共感者、支援者が集まり、3カ月間に360人も来てくれて嬉しい悲鳴、完全にかでのキャパを超えていた。ゆるゆるでやっていると嫁に注意されながら、3ヵ月で幼稚園も完成した。

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かで、ぐりこ(加藤 由紀子)夫妻は2018年7月、一人目の子どもが7ヵ月の時、日本での安定を捨ててカンボジアに移住した。学校建設で8~9年村と関わって見えてくる課題。病院に行こうと思っても「ガソリン代がないから」と行けない現実を見たカデは、「解決するには、現地の人が働く環境をつくること」を目標に掲げた。みんなに買ってもらうようなお土産づくりから始めるも、一向に先が見えないトンネルの中にいた。移住して半年で運転資金が底をついた。自分の親、嫁の親に泣く泣くお金を貸してもらった。「40歳になって親に電話して・・・」と声を詰まらせたカデ。

自然素材「竹」を活用して男性には「竹灯り」女性には「陶籠」をつくった。カデは2年間カンボジアで誰よりも竹に穴をあけた。ようやく小さな光が見えてきたタイミングでコロナの感染が広がり始めた・・・。カンボジアは医療に弱い国で怖かったという。お店を閉めツアー客も来ない。収入はゼロになった。学校のある村にも行けない。「自分は何のためにここにいるんだろう」。すべての壁は心の中にある。だから壁をつくっているのも自分。かでは困難をチャンスに変えた。

「お客も来ない、友達も来ない。だったら、現地の人と本気で向き合える!」逆転の発想で村に行った。すると笑顔、握手、ハグ・・・辛い時間があったからこそ感動できた。彼らカンボジア人は見て覚えて何でも作って来た。写真を見ると「作れる!」という。「学ぶ」と「働く」を別々に考えてきたが「合体させれば社会科見学もできる!」とワクワクした。ここでカデは勝負に出た。土地を買ったのだ。前日は寝られなかったという。そこで初めてクラウドファンディングにチャレンジした。嫁と子どもが体調を崩して日本に一時帰国。かではたった一人カンボジアに残ってネットで情報発信を続けた。1週間で100万円を超え、目標金額450万円を超えるとセカンドゴールを600万円に設定、1ヵ月半で630万円の資金調達に成功した。かでの人柄と熱量・発信力の成せる業だ。

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学校、工房、レストラン、宿泊所、遊び場、農業・・・学校と働く環境が一緒になったエコビレッジを構想した。竹は何もしなければ1、2年で腐ってしまうが、きちんと熱処理をして乾かせば50年持つ素材に変わる。「竹」の持つ可能性を最大限活かして「竹建築をつくる専門学校をつくる!」と夢は膨らむ。「日本も大変なのに、なんでカンボジアなの?」そんなふうに言われることもある。かではカンボジアとは13年もの付き合いになり、多くの日本人とカンボジア人を繋いだことで彼らは「ダイチが好き!」より、「日本人が好き!」という。「自分にプライドを持つより仕事にプライドを!」そんなカデの姿が垣間見えた。

2人目の子どもも生まれ、2人の子どものためにもカンボジアで生き抜くと決めたカデ。「何でも親の真似をして喜ばそうとするのが子供。大人になっても誰かに喜んでもらうのが一番」と実感している。すべてを成長の糧に、カンボジアで「竹お爺ちゃん」と呼ばれる日まで、カデの夢は終わらない。

彼の運営するearth treeが目指すのは、地球も人も笑顔で循環できる未来なのだ。

対談を終えて、なぜカデが応援・支援されるのかわかった気がした。なぜって、俺も応援したくなって、この記事を書いているから。大好きだぜ、かで。

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 世の中は不公平で理不尽なことがたくさんある。
 頑張れば必ずハッピーエンドになる。・・・わけでもない。
 頑張っても頑張っても どうにもならないことがあるのが
 人生。だけどね。
 「明日は きっと いい日になる」と思うことが大事。
 何があっても諦めないで どうすれば少しでも楽しく
 希望を持って生きていけるか。
 料理作りも新聞作りも そんな思いを込めて
 やってるんじゃないかな。
 NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』より


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