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【眠らない猫と夜の魚】第9話

「落下と移動」①


『自殺者の霊が、同じ場所で自殺を繰り返す』

 この手の怪談はよくある。先日、小夜が仕入れてきた怪談もその系統で、飛び降り自殺者の霊が同じ場所で飛び降りを繰り返すというものだった。テンプレと言ってもいい話だ。

 でも小夜の話にはひとつだけ、テンプレと異なる箇所があった。

    *

 五月も半ばを過ぎて、吹く風は綿毛のようにあたたかい。海は凪いでいて、いつもは等間隔に並んでいるサーファーの姿も、今日はほとんど見えなかった。かわりにシロギスを狙う釣り人の姿がちらほらと。

 ヘリノックスのローチェアに沈みこんで目を閉じると、パーコレーターが珈琲を抽出するポコポコという軽やかな音が、波音の間に聞こえてくる。深夜テレビの天気予報の背景に使えそうな、穏やかで眠気を誘う風景だ。

 さっきから飛び交う、私と水鳥の場違いな言葉を除けば。

「ダッシュババア」
「赤いちゃんちゃんこ」
「光速ババア」
「あ……赤マント青マント」
「トンネルババア」
「……ババアばっかりずるくない?」
「戦略だよ、戦略」

 都市伝説しりとりなんて始めてしまうくらい、暇だった。

 木曜の午後は何もしたくない。だから私と水鳥は二人とも、木曜午後には講義を入れていない。水曜の民俗学のゼミで教授にけちょんけちょんにされて、夜はその憂さ晴らしで飲んで、木曜はたいてい燃え尽きているからだ。

 というわけで、木曜は午前にある必修の講義だけに出て、午後は気力体力を回復すべく、ぶらぶらだらだらと過ごすことにしている。今日は天気が良かったからキャンプギア片手に海に来た。

「ね、朱音。あのビル何が入んだろね」
 しりとりに飽きた水鳥が、シェラカップ片手に海に目を向ける。

 水鳥の視線は、みたま湾の右端に見える、全面ガラス張りのクリスタルみたいなビルに向けられていた。まだ建設途中で、よく見ればビルに乗った大型クレーンがゆっくりと動いているのがわかる。

 みたま市とまほろば市の境目にある再開発地区に建てられている『星城ビル』。再開発のシンボルだけあって、抜きん出て高く周囲の目を引く。地上3階の商業スペースの上に、20フロアのタワマンを搭載。あんなところに住んでみたいって、小夜が言っていたような。

 ビルに入る店についてああだこうだと予想していると、不安定に砂を踏む音が近づいてきた。振り返ると、小夜がふらふらと揺れながら近づいてくるのが見えた。子供の頃から海沿いの街に住んでいるのに、砂浜が苦手なのだ。

「おつかれー。あ、私にも珈琲ちょうだい」
「450円になります」
「PayPayでいい?」
「冗談だって」

 小夜は自分用のローチェアを組み立てて腰を据えた。いったん家に帰ったらしく、荷物はローチェアだけだ。小夜は木曜午後も普通に授業があるので、いつも遅れて合流してくる。

「小夜、『あ』から始まる都市伝説知らない?」
 水鳥が小夜に珈琲入りのサーモを渡して尋ねる。
「なんで私に聞くのよ」
「都市伝説詳しいじゃん」
「詳しくないけど、合わせ鏡って都市伝説じゃない? 死に顔とか悪魔とか映るやつ」
「それがあった! さっすが小夜」

 もともと怖い話の類は好きではない、というか逆に嫌いなのだが、私や水鳥に付き合ってあれこれ聞きかじっているうちに、そこそこ詳しくなってしまった小夜だった。

 小夜は珈琲をひと口飲んでから、そうだ、とこちらに顔を向ける。
「そういえば今日、怖い話を聞いたんだけど」
「まじ? ちょっと待って」
 すかさずスマホを起動して怪異蒐集用のメモアプリを起動する。

 怪異蒐集というのは、私と水鳥が行っている民俗学の調査だ。内容は名前そのままで、私たちが住むみたま市にまつわる怪異譚を収集するという作業。収集した話を分類・分析して、時代ごとの傾向や、隠された類似点、話が流布した原因を見つけるというのが、その目的である。
 ……というのはただの建前で、怖い話が何より好きな私と水鳥の、趣味を兼ねたライフワークだ。

 みたま市は、山と海に囲まれた古い街で、年代物の神社や道祖神が、道を歩けば目にしない日はないくらい、たくさんある。人口あたりの地蔵数みたいな指標があったら、全国でも上位に入るはずだ。そしてそういう古い街の常として、怪談話が多い。

 私と水鳥は、大学に入学してから蒐集を始めて、1年かけて約百話を集めた。ようやく百物語1回分。でも分析するにはまだまだ数が少ない。

『見えない何かを見ようとすんだから、サンプルの数がモノを言うわけ。百話? ぜんっぜん少ないな。最低でも千話』

 という民俗学部の先輩にいただいたありがたいアドバイスに従って、今はサンプルを増やしている段階だ。

 そんなわけで私と水鳥は、怪談があると聞けばメモを片手に西へ東へ飛んでいく。友人たちに「怖い話は知らないか」と毎日しつこく聞きまくっていたら、最近は友人づてに知らない人がわざわざ怖い話を聞かせに訪ねて来てくれるようになった。

 小夜は怖い話が苦手だけど、私たちに手伝わされて、というより私たちがわいわい楽しそうにやっているのが羨ましかったらしく、自ら進んで小耳に挟んだ怖い話を教えてくれるようになったのだ。

 小夜は「怪談話をしている場に偶然居合わせる」という特殊な才能がある。そのエンカウント率の高さは、才能というより、もはや呪いと言っても良い。私たちが喉から手が出るほど手に入れたい、羨ましいアビリティだ。

「話していい?」
「どうぞどうぞ」
「えっとね、講義室で前に座ってた2人組が話してたんだけど。あ、男の子と女の子で、その女の子の話ね」

 小夜から聞いた話を要約すると、こんな感じだった。その女の子を仮にFさんとする。

 Fさんはこの四月にまほろば大学に入学した。
 大学入学を機に念願のひとり暮らしを始め、今はまほろば市の隣のみたま市にある、新築のマンションに入居している。

 四月も半ばを過ぎたある夜、Fさんはマンション9階にある自宅に戻った。時刻は0時過ぎ。コンパがあったせいで、いつもより遅い帰宅だった。部屋に入ったFさんは電気をつけて、開けっ放しにしていたカーテンを閉めるためにベランダに面した引き戸に近づいた。近くにはこのマンションよりも高い建物はなく、カーテンは開けっ放しにしているのが常だった。

 部屋は海を向いていて、昼間ならみたま湾が見渡せる。だが真夜中の今、窓の向こうは塗りつぶしたように真っ暗だった。
 Fさんがカーテンに手をかけた、ちょうどそのとき、目の前の闇を何かが音もなく落下した。Fさんはぎょっとして思わず動きを止めた。落下したものが人の形をしているように見えたからだ。でもすぐに、見間違えだと自分に言い聞かせた。地面に落ちるような音はなかったし、何より、コンパの後で酒が入っていたからだ。

 それでも気になったFさんは、恐る恐るベランダに出て下を覗きこんだ。部屋の真下にある駐車場には何も落ちていない。風に吹かれたビニールとか洗濯物とか、そんなものだろう、と現実的な説明をつけて部屋に戻ろうと顔をあげたとき、再び目の前を「それ」が落下した。

 Fさんは悲鳴をあげた。今度こそ。落ちてきたのは、真っ赤なワンピースに身を包んだ、逆さまの女性だったからだ。

「真っ赤なワンピース?」
「うん。そう言ってた」
「なるほど……あ、続けて」

 女性は長い髪を体に絡みつかせ、音もなく下に消えていった。海の方に体を向けているせいで、表情は見えなかった。Fさんは視線を外に向けたままでゆっくりと後ずさった。部屋に入って一気にカーテンを引いたが、カーテンが閉まる直前、目の前の闇を再び落下する女性が見えた。
 Fさんはそのまま部屋を飛び出すと、まほろば市内でひとり暮らしをしている彼氏に電話をかけた。そして眠っていた彼氏を叩き起こすと、近くのファミレスに呼び出して、自分の見たことを話した。

 彼氏はなかなか信じてくれなかったが、彼女の必死な様子に嘘ではないと納得したようだった。彼氏は現実的な人だったようで、落ち着いたFさんに次のように言った。
「何かの見間違えだと思うけど……仮に幽霊だとしたら、あのマンションには過去に自殺した人がいたってことになるよね?」
 彼氏はスマホで事故物件サイトを開いて、Fさんが住んでいる物件の自殺の有無を調べた。しかし、そのマンションでの自殺は登録されていなかった。
 だったら幽霊が出るはずはない、見間違いだ。それが彼氏の出した結論だった。彼氏はそれで終わりにしたかったようだが、実際に女性を目にしたFさんは納得しなかった。

 翌日、Fさんは物件を仲介してくれた不動産屋に行って、起きた出来事を説明し、担当者を問い詰めた。しかし、やはりこの物件での自殺はないという回答だった。
 そもそもFさんの住むマンションは新築で、昨年できたばかり。Fさんはその部屋の最初の入居者だった。マンションができる前は不動産屋が管理する駐車場で、その前は畑だったという。つまり、飛び降り自殺が起きそうな高層の建物は、少なくともここ何十年はなかったということだ。
 Fさんはそれ以上追求できず不動産屋をあとにしたが、まだ納得できなかった。自殺はきっとあったはずだ。でも何らかの理由で隠されているに違いない。しかし不動産屋からこれ以上の情報を引き出すのは難しそうだった。

 だったら自分で調査をするしかない。そう決意したFさんは彼氏に協力を求めたが、彼氏の意見は「見間違え」で、意見を変えようとしなかった。それが元となり、Fさんは彼氏と喧嘩状態になった。
 そのことを同じ学部の男友達に相談すると、「だったら、彼氏と別れて自分と付き合わないか」と言われた。

 Fさんの心は揺れた。Fさんは今の彼氏と付き合う前、その男友達のことが好きだったからだ。しかしその男友達には彼女がいたはず。そのことを男友達に言うと、気まずそうな顔をして言った。

「付き合ったあとになってわかったんだけど、その彼女って実は」

「なんか話変わってない?」
「そうなの。途中から恋バナになっちゃった。そこで講義始まって、講義終わったらどっか行った」
「え、待って。続きが気になる」
「幽霊のほう? 男友達の彼女のほう?」
「どっちもだよ!」
「残念ながらどっちもここまでしか聞いてないのよね。はい、この話、しゅーりょー」

 役目を終えた小夜は、怖い話を脳内から追い払うようにサーモの珈琲を飲んだ。煮えきらない気分で水鳥を見ると、水鳥はお預けを食らった犬みたいな顔をしていた。

「水鳥、どう? 今の話」
「入学して1ヶ月で彼氏とか彼氏の前に好きな人がいたとか、生き急いでんな」
「じゃなくて幽霊のほう」
「ま、ありがちっちゃ、ありがちな話かな」
「現場のマンションってどこだろ」
「みたま市で9階建て以上のマンション、新築で海に向いてるって言ったら限られるよね。海岸通りの裏にできたやつ?」
「ヴィラ・みたまだっけ。あそこなら近くにファミレスもあるね」
「あと、赤いワンピースの飛び降りって聞いたことあるような……朱音が話を止めたのも、それでしょ?」
「うん。集めた話に似たような話があったような気がして」

 スマホの怪異蒐集メモを開いて、いくつか流して読んでいると、目的の話が見つかった。その話は蒐集として単話にまとめる前の、メモの羅列の中に残っていた。

「あった。駅の裏通りのときわビルで、夜になると赤い服を着た女性が飛び降りる姿が繰り返し目撃されるってやつ」
「ときわビルってどこだっけ」
「1階のたばこ屋のガラス戸にウルトラマンのフィギュアがずらっと飾ってあるとこ。そこで店番してるばあちゃんの話。そのせいであのビルの2階と3階、ずっと空室のままにしてるんだってさ」
「あそこか。じゃあ別の話だ」
「だね。ときわビルのやつ、そもそも20年以上前の話だし」

 水鳥と改めて小夜の話を検証して、結局セオリー通り、自殺の有無から調べることにした。自殺がなければやっぱり、女の子の見間違えということになる。

「自殺の有無は爺ちゃんに聞けばわかるかも。今日ちょうど爺ちゃんに呼ばれてるし。あっ、今何時?」
「15時半」
「やばっ、もう行かなきゃ」

 もうしばらく砂浜でだべっていくという水鳥と小夜を残して、私は爺ちゃんの待つ黒崎不動産に向かった。

(第10話に続く)


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