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夜話 『埋める』

 気がつくと、夜の森の中に立っていた。

 あたりには背の高い木々が等間隔に並んでいる。夜空は天窓のように遥か高いところにあって、そこから覗き込むような満月が見えた。うっすらと霧が立ち込めているせいか、視界は青く煙っている。森というより、湖の底にいるみたいだ。遠くから耳鳴りのように聞こえてくる虫の声は、金属の鱗を持った魚たちが立てる、警告のように聞こえた。

 ――ザクッ。

 そう遠くない場所で、尖った音がした。茂みの向こうにちらりと動くものが見える。木陰からそっと覗き込むと、誰かが地面に穴を掘っていた。暗くて顔はよくわからないけど、ときおり聞こえる浅い息遣いから、どうやら男の人のようだった。

 夜・森の中・死体・埋める。

 すぐに、そんなことを連想した。だとしたら、あの男の人の足元には死体が転がっていることになる。でもここからだと茂みが邪魔で、男の人の足元がよく見えない。少し近づいてみようと足を踏み出したとき、男の人を挟んで反対側の木陰に誰かが立っていることに気がついて、息を呑んだ。でもよく見るとそれは、人ではなかった。

 地蔵だ。

 赤い前掛けをした小さな地蔵が、木陰から男の人を覗き込むように立っていた。地蔵と狛犬の中間くらいの形をした、この街では「猫地蔵」と呼ばれる、よく見かける地蔵だ。
 男の人は私と地蔵に気づかずに、休みなく穴を掘り続ける。シャベルではなく枝を使って穴を掘っているようで、とても掘りにくそうだ。他に人の気配はない。地蔵と私だけが、穴を掘る男の人を見つめている。

 やがて男の人は穴を掘り終えると、足元から何かを持ち上げた。よほど重いものらしく、苦しそうに息を漏らす。持ち上げたものはちょうど、小さな子供くらいの大きさだった。
 子供、と想像して嫌な気分になる。でもそれは、なんとなく人の形をしているように見えた。
 男の人は、持ちあげたものをゆっくりと穴の中に横たえた。そして棒ではなく手を使って、念入りに穴を土で満たしていった。そして完全に埋め終えてから、穴のあった場所に向かって手を合わせた。
 殺してしまった被害者に手を合わせる。それが普通のことなのかどうか、殺した経験も埋めた経験もない私には、よくわからなかった。

 穴を離れて歩き出した男の人を、少し遅れてつけていく。程なく、道路に面した小さな土の広場に出た。隅っこには、月明かりで青白く光った車が、海底に沈んだ鯨の死骸のように横たわっている。広場の端に置かれたバスの時刻表はサビだらけで、何と書いてあるか読めなかった。
 男の人は車に乗ってエンジンをかけると、何度か車を切り返して、道路を走っていった。赤いテールランプがゆっくりと遠ざかっていく。片方が壊れているのか、テールランプは左側しかついていなかった。浮かばれない魂のような赤い光は、淡い残像を残して、ゆっくりとカーブの木々の向こうに消えていった。

 あの人は何を埋めたんだろう。
 やっぱり、死体なんだろうか。
 確かめてみたい気もしたけど、この夜中にひとりで死体と対面する勇気はなかった。
 しばらく森のほうを見ていると、視界の隅を、ひらり、と魚が舞った。男の人が埋めた穴の上あたりに、数匹の青い魚が、おぼろげに光りながらひらひらと踊っていた。

 やっぱり、埋めたんだ。
 魚が湧くということは、きっと。
 何か、普通じゃないものを。

 明日、朱音さんに相談してみよう。水曜日だから、夕方はアボカドにいるはずだ。明日朱音さんに会えると思うと、少しだけ、気分がよくなった。
 魚を見つめているうちに、ぼんやりと眠気の波がやってきた。そろそろ戻れそうだ。眠気に身を任せてゆっくりと目を閉じる。
 閉じる直前、また地蔵が目に入った。

 心なしか、目があったような気がした。

     *

 朱音さんはいつも通りカウンターの一番奥の席に陣取って、片肘をついた姿勢で文庫本のページを捲っていた。
 膝が擦り切れた細身のジーンズに、背中に幾何学模様の描かれた黒いパーカー。足元はいつものスタンスミス。男の子みたいに短い髪を、無意識に指先でいじっている。二重の切れ長の目に長いまつげが影を落として、少し眠そうに見えた。朱音さんは店内に入ってきた私に目を向けると、文庫本を閉じて手招きをした。
「お、水曜だし、そろそろ来ると思ってたよ。水鳥、お客さん」
「客って、波流でしょ? ちょいと待ってな。いま届きたての豆で珈琲淹れてやっから」
 エプロン姿の水鳥さんが、珈琲豆の布袋を抱えて店の奥から出てきた。エプロンの下はロールアップしたジーンズと洗い込まれた緑色のシャツで、足元はコンバースのハイカット。今日は髪の毛を束ねて、馬の尻尾みたいに高い位置でポニーテールにしている。水鳥さんは見る度に違う髪型をしている。

 ここは朱音さんたちのたまり場になっている、喫茶アボカド。
 水鳥さんはアボカド唯一のアルバイトで、この店はいつ来ても水鳥さんしかいない。店長は至高の珈琲豆を求めて海外を放浪中だとかで、日本にいないからだ。だからこの店は、水鳥さんがバイトできる時間にしか開かない。実質、水鳥さんの店みたいなものだ。
 朱音さんと水鳥さんは、隣町にあるまほろば大学に通う大学生で、そこで民俗学を学んでいる。二人とも無類の怖い話好きで、暇さえあれば、怖い話だけは尽きることがないここ、みたま市の、怖い話を収集している。だから私の話も馬鹿にせずちゃんと聞いてくれる。

 朱音さんの隣の椅子に腰掛けて、言葉を発する前に水をひと口飲んだ。今日も小学校には行っていない。朝に仕事に出かけるお母さんに「いってらっしゃい」と言ったきり、誰とも話をしていなかった。喉の調子を整えてから、朱音さんのほうに向き直る。
「あのね、昨日の夜、変なものを見た」
「例のやつ?」
「うん」
「ちょっと待って。ノート出す」
 朱音さんは足元のリュックからノートを取り出した。
 これは私の「夜歩き」を記録したノートで、私が見たものを事細かに記してある。私が夜の街を、歩き回って見たものを。

 私は、夜を歩く。
 寝静まった夜の街を、ひとりで。

 でも実際に歩いているわけじゃない。歩いているのはどうやら、私の意識だけだからだ。そしてそのことを信じてくれるのは、朱音さんたちだけだ。
 普通に考えれば夢なのだろうけど、どうも夢ではないらしい。私が見たものを記録して、ひとつひとつ検証した結果、私が夜歩きの間に目撃したものが実際に見た場所にあったりとか、実際に夜を歩いていないと知り得ない情報を、私が知っていたことがわかったからだ。
 というわけで、私の意識は、どうも実際に夜の街を歩いているらしい。そう考えないと、説明がつかないのだそうだ。

 水鳥さんが、私と朱音さんの前に淹れたての珈琲を置いて、カウンターの中のスツールに腰掛けた。朱音さんに促されて、私は昨日の夜に見た出来事を二人に話した。

「……死体?」
「見たわけじゃないから、わからないけど」
「なるほど。あ、その広場から月は見えた?」
「見えた。真上に」
「車ってどっちの方向に帰った?」
「広場から見て、左」
「どんな車かわかる?」
「よくわからないけど、なんか丸くて……小夜ちゃんの車みたいだった。あ、ランプがひとつ壊れてた」
「ヘッドライト?」
「ううん、後ろの、テールランプ」
「どっち側が壊れてた?」
「私から見て、右」

 朱音さんは私が答えた内容をノートに書き込んでいく。でも森の中ということもあって、場所を特定できそうな情報は少なかった。夜歩きはいつも、この街のどこかで起きる。だから昨日の場所もみたま市のどこかなんだろうけど、今までのサンプルから考えてその可能性が高いだけで、他の場所である可能性も否定できない。

「何か目印になるようなものなかった?」
「特に何も……あ、バス停があった。サビだらけで駅の名前は読めなかったけど」
「バス停か……廃止になった路線かな? その線から探せるかも。小夜来たら車出してもらおうかな」
「え? それだけのヒントで探しに行くの? ていうか小夜、来たっぽい」
 水鳥さんの言葉に耳を澄ますと、猫が喉を鳴らすような低い排気音が近づいてくるのが聞こえた。水鳥さんが立ち上がって珈琲をドリップし始める。排気音はだんだん大きくなって、店の横にある駐車スペースのあたりで止まった。
「車出してもらってどこ調べんの?」
「まあ、適当に山のほうでも。水鳥もいこうよ」
「知ってる? 実は私、今バイト中なんだ」
「だって客いないじゃん」
「確かに君らは客っぽくないけど」

 漫才みたいな朱音さんと水鳥さんの会話を聞いていると、ドアが開いて、首をコキコキ鳴らしながら小夜ちゃんが入ってきた。
 細い銀縁眼鏡に、ストレートの長い黒髪。濃いブルーのカーディガンに黒のロングスカートは、まるで学校の先生のようだ。実際、大学で数学の教師になるために勉強している。
 小夜ちゃんも朱音さんたちと同じ大学に通う大学生だ。専攻は数学科で、朱音さんや水鳥さんとは違うけど、三人は高校生の時からの親友で、今でもたいていいっしょにいる。水曜の夕方は、全員がアボカドに集まる時間なのだ。

「あー、疲れた……あら、波流。ひさしぶりじゃん」
 小夜ちゃんは私の頭をポンと叩くと、私の隣の椅子に腰掛けながら、朱音さんの前に置かれた夜歩きノートに目を向けた。
「波流、また何か見たの?」
「うん」
「ふうん」
 小夜ちゃんは理系でとても現実的な考え方をするけど、私の夜歩きのことは信じてくれている。そもそも、夜歩きが本当にあったことだと証明したのが小夜ちゃんだった。本人はたぶん、夢であることを証明しようとしたんだと思うけど。

 水鳥さんが小夜ちゃんの前にグラスに入った水を置く。
「おつかれー。こんな時間まで講義? 相変わらずギッチギチに詰め込んでんな」
「ううん、今日は家の手伝い。この時期って忙しいのよね、ほら、大学入って車買ってもらったボンボンがあちこちぶつけまくるから」
 小夜ちゃんの家は「小野寺モータース」という自動車の修理工場をしている。そのせいか本人も車好きで、丸っこい、早そうな車に乗っている。
「お疲れのとこ悪いんだけど、波流が夜歩きで見たものを探しにいってみようと思って。小夜、これから車出してくれない?」
 言いながら、もう朱音さんは立ち上がったリュックを背負いかけている。
「え、待って。私まだ珈琲飲んでないんですけど」
「そう思ってサーモに入れといたぜ」
 水鳥さんが小夜ちゃんの前に無慈悲にサーモを置いた。
「えー。まあ、いいけど……で、探すって何を?」
 小夜ちゃんの質問に、朱音さんが簡潔に答えた。
「死体」

     *

 それから小夜ちゃんの車で適当に山道を走ったけど、当然、死体どころか昨日見た広場も見つからなかった。朱音さんもドライブが目的だったようで、見つからなかったことにあまり落胆していない様子だった。
 帰り道、小夜ちゃんが車をみたまタウンの駐車場に入れた。「みたまタウン」は幾つかの店舗が集まった大型のショッピングセンターで、フードコートにはソフトクリームやたい焼きなどのB級フードが充実しているのだ。
「あー疲れた。ちょっと糖分買ってくる」
 小夜ちゃんは首をコキコキ鳴らしながらフードコーナーのほうに歩いていった。
「じゃあ、私は飲み物買ってくる。波流、テーブルで待ってて」
 朱音さんに言われて空きテーブルを探す。平日の夕方で、フードコートは学生で混み合っていた。ようやく空きテーブルを見つけて椅子に手をかけると、隣のテーブルから「げっ」という声が聞こえた。

 声を聞いた瞬間、体が硬直して動けなくなった。
 ゆっくり視線だけを声の方に向けると、椅子に座った三人組の女の子が私を見て顔をしかめていた。そのうちの一人は、去年同じクラスにいた三咲さんだった。
「……いこ」
 美咲さんは不機嫌そう言って、残りの二人を促してテーブルを離れていった。三人は私のほうをちらちらと見ながら、顔を寄せ合って話をしている。三人の背中が見えなくなってもしばらくの間、椅子に手をかけた姿勢のまま動くことができなかった。

「波流?」

 気がつくと飲み物のコップを両手に持った朱音さんが、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「もしかして、誰かいた?」
「……うん。去年のクラスの子が」
 朱音さんは「そう」と短く言って、私を椅子に座らせてココアの入った紙コップを握らせた。しばらくして、小夜ちゃんが両手にたいやきを持って戻ってきた。
「あれ? 波流、顔が白いよ。酔っちゃった?」
「……ううん、ちょっと疲れただけ」
「そういうときは糖分とりな。はいこれ」
 小夜ちゃんはそう言って、私の手にたい焼きを押し込んだ。
 時間をかけてたい焼きを食べると気分もだいぶ落ち着いてきた。でも、まだ胸の奥が少し重くて、誰かいないかが気になって、定期的に周りを見回してしまう。朱音さんは落ち着かない様子の私に向かってスマホの画面を見せた。画面には朱音さんと私のお母さんのLINEの会話が表示されていた。
「波流、今日うちにおいで。素子さんにはもう連絡したから」
 素子というのは私のお母さんの名前だ。お母さんは看護師で夜勤が多い。今日も夜勤の日だから、夜はひとりで過ごす予定だった。
「……行っていいの?」
「来て欲しいって言ってんの」
 気の利いたことを言えなくて、無言で頷いた。
「よし。小夜も来るよね?」
「え。水曜だし元からそのつもりだけど」
「だよね。ちょうど夜歩きもあったから、みんなでどう調べるか作戦会議しよう。亜樹が今朝磯釣りに行ってたから、なんか美味いご飯ができてるはず」
「オッケー、じゃあお酒買っていこ」

 途中、朱音さん行きつけの個人酒店で何本かお酒を買ってから、朱音さんの家に向かった。
 駅前の通りから外れて、田園地帯をまっすぐに突っ切る道路を進む。ポツポツあった民家の姿は5分もするとすっかり消えて、辺りには田んぼしか見えなくなった。そのままさらに5分ほど進んでいると、進行方向にある山の麓あたりに平屋の屋根が見えてきた。
 あれが朱音さんの家である「サイレントヒル」。もちろん正式な名前じゃない。朱音さんたちが勝手にそう呼んでいるだけで、名称は朱音さんが好きなゲームソフトのタイトルから来ている。しょっちゅう霧が出ることが命名の理由だとか。
 朱音さんの家はみたま市の北西のはずれにある古い平屋の一軒家で、前は見渡す限りの田んぼ、後ろにはすぐ山肌が迫っている。隣の家までは数百メートル、最寄りの外灯までも百メートルあるので、家の近くは夕方でも暗いし、夜になると完全に闇に飲まれてしまう。

 サイレントヒルに到着するころには、日はすっかり落ちてしまっていた。車から降りると、山の匂いに混ざって炊きたてのご飯の甘い匂いがした。朱音さんに続いて家にあがり、手を洗って居間に入ると、開け放した襖の向こうに、料理をする亜樹さんの後ろ姿が見えた。
「おかえり。二人ともいらっしゃい」
 亜樹さんが手を止めてこちらを振り返る。普段は眼鏡をしているけど、今は料理中だからかつけていなかった。
「おじゃまします」
「おじゃましまーす。亜樹くん、日本酒買ってきたからみんなで飲も」
「やった。じゃあ、何かつまみ作るよ。先に飲んでて」

 亜樹さんも朱音さんたちと同じまほろば大学に通う大学生で、朱音さんと二人で暮らしている。いわゆる同棲。もちろん、二人は恋人同士だ。
 亜樹さんは背が高くて、物静かで、いつも本を読んでいて、綺麗な字を書いて、とんでもなく美味しい料理を作る。男の人が相手だとどうしても緊張してしまうので、そんなにたくさんは話したことがないけど、亜樹さんは同じ空間にいてもあまり気にならない。いてもつい存在を忘れてしまうような、存在感のなさがあるせいかもしれない。そんなことを言うと失礼かもしれないけど、私にはその薄い存在感が、とてもありがたい。

 朱音さんと小夜ちゃんが庭にランタンをセットして、キャンプ用のテーブルと椅子を並べた。ご飯ができるまでの間、庭でお酒を飲むらしい。私には亜樹さんが炭酸で割った梅ジュースをくれた。たぶんこれは亜樹さんが漬けた梅ジュースだろう。日本酒を開けて乾杯をしようとしたところで、遠くから甲高いバイクのエンジン音が近づいてきた。目を向けると田んぼに挟まれたまっすぐな道を、眩しいライトがまっすぐにこちらに向かってくる。
「さっすが水鳥、鼻が利く」
 朱音さんと小夜ちゃんは笑ってグラスをテーブルに置いた。すぐに大型のバイクが敷地に入ってきて、小夜ちゃんの車の隣に止まる。バイクを降りた水鳥さんがフルフェイスのヘルメットを外しながら走ってきた。
「やっぱり! 走ってくる途中から吟醸香がしてたんだよね」
「んなわけないでしょ」
「で、何買ってきたん?」
「仙禽のドメーヌと裏春鹿」
「いいですね〜」

 そのまま乾杯をして、三人は立ったまま日本酒を飲み始めた。甘い日本酒の香りが、ふわっと鼻先をかすめる。前にぺろっと舐めさせてもらったことがあるけど、お米から作られているとは思えないほど甘い味がして驚いた。舌がピリピリとしびれる感覚はまだ苦手で、そのときは舐めただけで顔が赤くなって眠くなってしまったけど、この匂いは好きだ。
 三人は正三角形を描くように等間隔に立って、大学の講義のことを話している。意識してるわけじゃないだろうけど、喋る言葉の量も、それぞれに向ける視線のバランスも等しく見えて、それが三人がお互いに対して持つ対等さと信頼を表しているようで、なんだか羨ましくなる。私は朱音さんの斜め後ろに、おまけの点みたいな感じで立っていた。

 話をしている三人からそっと離れて、少し離れたところにキャンプチェアを置いて座った。目の前に広がる田んぼに目をやると、その向こうに市街地の灯りが瞬いているのが見えた。夜の街の灯りを遠くから見つめていると、いつも少し寂しくなる。でもそれより、街から離れていることにほっとする気持ちのほうが、ずっと大きかった。

 朱音さんがキャンプチェアを持ってきて、私の隣に並んで座った。朱音さんは目を細めて市街地の灯りを見ながら、しばらくの間、黙ってお酒を飲んでいた。少し離れたところから、水鳥さんと小夜ちゃんの笑い声が聞こえてきた。
「波流は、不幸を呼ばないよ」
 朱音さんが静かに言った。
 私は頭を振って朱音さんの言葉を否定する。
「不幸が起きるとしても、それは波流が呼ぶものじゃない。原因はきっと別のところにある」
 反論したかったけど、何か喋ると声が震えそうで、口をつぐんだ。

 でも、違う。
 呼んでしまうんだ。
 私は、草薙波流は、不幸を呼んでしまう。

 それは単なる噂でも、同級生から向けられる中傷の言葉でもなんでもなくて、実際にそうなんだ。私の存在は、事故を、悪意を、不幸を呼ぶ。私がそこにいるだけで、起きる必要のない厄災が呼ばれたようにやってくる。実際に、私が去年属していた3−4のクラスはそれが原因で壊れてしまった。だから私には、学校に居場所がない。
「でも、私はずっと波流といっしょにいるけど、不幸なんて起きないよ。だから何かが起きるとしても発動条件があると思う。私はその鍵が、波流の『夜歩き』にあると思ってる。だって不幸も夜歩きも、波流が神隠しから戻ってきてから始まったからさ」
 朱音さんは物事を分析するように、淡々と言った。
「つながりがあるなら、私が絶対に見つける。だから、くだらないこと言う奴らなんかより、私のことを信じてよ」
 朱音さんはそう言って、私の頭をくしゃっと撫でた。私が鼻をすすると同時に、家の中から、亜樹さんがみんなを呼ぶ声が聞こえてきた。

     *

 夕食はカサゴの煮つけと唐揚げ、アジの刺身、春菊とちりめんじゃこのサラダ、それに、きりたんぽと鶏団子の入ったせりと薺の鍋だった。
「春菊の季節もそろそろ終わっちゃうね」
「んっ、じゃこがいいアクセント」
「せりの根っこ美味しい」
「鍋はそのまま食べていいし、ちょっとポン酢落としてもいいかも」
「朱音、お酒おかわり」
「もうないが?」
 みんなと囲む食卓はいつもにぎやかで、栄養だけじゃなく、いろんなものを吸収している気分になる。

 食事が終わるとみんなでお皿を洗って、水鳥さんがコンロを借りてハンドドリップで珈琲を淹れてくれた。珈琲がみんなに行き渡ってから、朱音さんがノートを見ながら昨日私が見たことを手短にみんなに話した。
「今わかってる情報から、なんとか場所を探せないかな」
 朱音さんが珈琲片手に見回すと、小夜ちゃんが手を上げた。
「やっぱ、バス停から洗うのがいいんじゃない? もう使われてない路線のどこかなのかも。そういう情報なら、ネットで見つかるかも」
「でもこのあたりって山だらけだし、廃路線めっちゃありそうじゃない?」
「う。でもまあ、いちおう調べてみるわ。水鳥、手伝って」
「おっけー」
 小夜ちゃんがノートパソコンを取り出して、水鳥さんはスマホでそれぞれ廃路線の情報を調べ始めた。
「亜樹、なんか思いつくことない?」
 朱音さんが亜樹さんに話を振る。
「そうだなぁ……地蔵から探せないかな」
「地蔵から?」
「森の中に猫地蔵あったって言ってたよね。猫地蔵って地蔵っていうか道祖神で、普通は路傍とか境界にあるものだから、森の中にあるっていうのが珍しいと思った」
「言われてみれば、そうかも」
「教授にみたま市の道祖神関連の資料を借りてみるよ。猫地蔵に関する論文や調査資料もあったと思うから、もしかしたら地図とかもあるかも」
「なるほど、もしかしたら図書館にも地域資料として似たような資料があるかも。ちょっと蔵書検索してみる」
 亜樹さんも朱音さんや水鳥さんと同じく民俗学を学んでいる。私は民俗学がどういう学問かよくわかってないけど、朱音さんたちが楽しそうに話しをしているのを見ると、勉強したくなってくる。

「埋めてたのって、やっぱ死体なんかな? 夜の森の中にわざわざ埋めるんだから、文脈的には死体だろうけど」
 検索に飽きた水鳥さんがいかり豆をかじりながらつぶやく。
「死体ってのは極端だけど、夜中の森に埋めるってことは見られたくないものってことよね」
 小夜ちゃんがパソコンのキーを叩きながら答える。
「じゃあやっぱ死体じゃん」
「死体だとして、森に埋める理由は?」
「そりゃ、見つからないようにでしょ」
「森ってけっこう見つかるらしいけどね」
「でも地元の人は、この辺の山ってあんまり近づきたがらないじゃん。特にみたま山は。だから見つかりづらいかも?」
「まあ、そうかもね。特に夜は気味が悪いし」
「ていうか、埋められてるのがみたま山だったりしたら、死体、起きあがっちゃうんじゃないの」
 みたま山は、みたま市の北西に位置する山で、昔は霊山と呼ばれ禁足地だったらしい。そのせいか、山には怖い話がたくさんある。中には「山に埋めた死体が動き出す」という、いわゆる起きあがりの伝承もあったりする。

 水鳥さんの言葉に想像する。
 夜の森の中、湿った土を掻き分けて、死体が起きあがってくる。
 死体はふらふらと歩き始めて……何をするんだろう?

「……死体って、起きあがったら何をするの?」
「そりゃあ、恨みを晴らすために犯人を探すんじゃないかな。ホラー映画的には」
 私の疑問に朱音さんが答える。
「あと怪談的には、目撃者のところに来るってのもあるかな」
「……えっ」
 泣きそうな顔になっていたのか、朱音さんは私の頭をポンとたたいて、笑った。
「ごめんごめん。大丈夫、来たりしないよ」

 けど、それはやって来た。
 思っていたものとは、別のものだったけど。

     *

 ――コツン。

 小さな物音に目を覚ました。
 見慣れた木目の天井が月明かりにぼんやりと浮かびあがって見える。頭を動かすと、すぐ近くに朱音さんの寝顔があった。

 そうだ、朱音さんの部屋が散らかってて片付けるのに時間がかかりそうだったから、今日は居間に布団を敷いて眠ることになったんだ。私は朱音さんといっしょの布団で、隣の布団に小夜ちゃんと水鳥さん。
 小夜ちゃんは寝ぼけて、さらに奥の水鳥さんの胸に抱きついていた。水鳥さんは寝ぼけて小夜ちゃんの髪をかじっている。亜樹さんは部屋に戻って寝ているようで、亜樹さんの部屋に続く襖は閉められていた。

 ――コツン。

 また音がした。何かがガラスに当たるような音だ。
 体を起こして庭に面したガラス戸に目を向ける。ガラス越しに、月明かりに照らされた庭がぼんやりと浮かびあがって見えた。でも、ガラス戸の一部だけが何かが立てかけられているように暗い。
 なんだろう、と目を凝らして、意識が一気に覚醒した。

 小さな人影が、ガラス戸の向こうに立っていた。

 体を起こしたままで、息を呑む。朱音さんを起こそうと思ったが、目を離すと家の中に入ってきそうな気がして、動くことができなかった。
 しばらくそのまま影を見つめていると、雲が流れて、明るさを増した月の光が、ガラス戸の外の影を照らし出した。こちらに向けられた小さな顔を見て、喉からかすれた悲鳴が漏れた。

 立っていたのは、赤い前掛けをした、小さな地蔵だった。

     *

「昨日も来た?」
「……うん」
 翌週の水曜日。アボカドのカウンターに座って、私はだいぶまいっていた。
 先週の水曜日に朱音さんの家に泊まって、窓の外から覗く地蔵を見た。
 あの日、私の悲鳴に起きた朱音さんたちが窓の外を調べてくれたけど、地蔵の痕跡は何もなかった。夜歩きという感じでもなかったから、前日に見たもののせいで、夢を見たのだろうということになったんだけど……
 あれから毎日、地蔵は私を訪ねてくるようになった。

 部屋の窓から覗いていたり、電柱の陰に立っていたり。昨日は二階にある私の部屋の天窓から眠る私をじっと見ていて、叫び声をあげてしまった。
 悪意のようなものは感じないけど、心臓に悪い。
「どうしろってんだろうね。犯人じゃなくて波流のとこにくるなんて」
 朱音さんが腕組みをして考え込む。カウンターの中の水鳥さんもドリッパーを手に唸っている。
「犯人のとこに行ったけど、霊感がないとかで全然見えなかったから波流のところに来たとか」
「埋められた人の無念を波流に晴らして欲しいってこと?」
「期待されても困る……」
 ついぼやきが出た。地蔵は、引きこもりの小学生に何ができると思っているのだろう。
 何度目かのため息をついたとき、朱音さんのスマホに着信があった。
「小夜? どうした? うん、いるけど。えっ?」
 朱音さんが私のほうをちらりと見る。
「うん、わかった。とりあえず向かう」
 朱音さんは電話を切ると、脱いでいたパーカーを羽織った。
「波流、今からいっしょに大学に来れる?」
「えっ、大学?」
「波流に関係ある話だったん?」
 朱音さんは水鳥さんに向かって微妙に頷いた。
「関係あるかはわからないけど、ちょっと気になる話だった。小夜が学食でお昼を食べてたときに、近くいたグループが怖い話をしてたらしいんだけど」
 怖い話……
 そう言えば小夜ちゃんは、誰かが怖い話をしてるときに偶然側に居合わせるという、奇妙な特性があるのだった。
「そいつらの友達に、地蔵に追いかけられてるやつがいるんだって」

     *

 私と朱音さんはバスで、水鳥さんはバイクで、朱音さんたちの通う「まほろば大学」に向かった。大学に足を踏み入れたのは初めてだ。
 夕方なのに思ったよりたくさんの人がいて、人混みが苦手な私は人に酔いそうになる。当たり前だけど、朱音さんと同年代の人たちばっかりで、小学生は私以外に見当たらなかった。
 朱音さんは「へーき、へーき」と言っていたけど、ジロジロ見られ続けて居心地が悪かった。フードコートっぽい雰囲気のところに入ると、隅っこのテーブルで小夜ちゃんが手を振っているのが見えた。

「小夜、サンキュ。で、その地蔵に追われてる人は?」
「ここに呼び出してくれるって。呼び出した人は、講義があるから行っちゃった」
「なんて言って呼んでもらったの」
「ほら、朱音たちが怖い話を集めてるのって、わりかし有名じゃない。だからその人の話、ちょっと聞きたいんだけどーってお願いしたの」
「さすが小夜、機転が利く。んじゃ、怖い話を聞く体で進めるか」
 朱音さんが小夜ちゃんの隣に座る。私もその隣に腰掛けた。
「ていうか水鳥も来たの? 店は?」
「緊急事態につき、閉めてきた。どーせ夕方以降、あんま客来ないし」
「相変わらず自由な店ね……まあ、あそこ、水鳥の店みたいなもんだし」
 水鳥さんが朱音さんに向かって片手をあげる。
「んじゃ、朱音。私はあっちにいるから」
「プランA、よろしく」
「ラジャ」
 水鳥さんはテーブルを離れて、入り口近くの別のテーブルに陣取った。
「あれ? 水鳥はあっち?」
「とりあえず話を聞いたあとでちょっとカマかけるから。怪しい動きを見せたら、水鳥が尾行することになってる。尾行するなら面の割れてないほうがいいかなって、水鳥はバイクで尾行もしやすいし」
「尾行って、何のために?」
「波流と同じ地蔵に追われてるとしたら、埋めた本人である可能性もあるよね」
「まあ、すっごく極端に言えば」
「カマかけたら慌てて戻るかもしれないじゃん、埋めた場所に。だからうまく行けば場所を特定できるかもって」
「それがプランA? プランBは?」
「いや、Aしかない」
「それはただのプラン」

 朱音さんと小夜ちゃんの会話を聞きながら、まわりをぐるりと見回す。食事をしている人だけじゃなく、本を読む人やパソコンを広げている人もいる。カフェみたいだ。
 あちこち見回していると、人波の向こうに、ちらりと青い影が見えた。
「……あっ」

 魚だ。

 出入り口に行き交う人の上に、ひらりと魚が泳いでいる。やがて人波をかき分けて、暗い雰囲気の男の人がこちらに歩いてきた。魚は、その肩にまとわりつくように泳いでいる。
「波流、どうした?」
「……たぶん、あの人だと思う」
「何か見えた?」
「魚が、くっついてる」
「……オーケー」
 朱音さんがポンと私の頭を撫でる。魚は男の人のまわりをひらひら泳いでいたが、テーブルに到着する頃には消えてしまった。

「……あの、小野寺さん、ですか?」
「あー、小野寺は私なんだけど、話を聞きたいのはこっちの」
 小夜ちゃんが朱音さんを指す。
「ども、黒崎です。わざわざごめんね、えーと」
「あ、横田です」
「横田くん。私、怖い話を集めててさ、君の体験した、地蔵に追われてるって話を聞かせてもらいたいんだけど。あっ、こっちの子は気にしないで。妹なんだけど、大学見てみたいってついてきちゃってさ」
 急に妹にされてしまった私は、慌てて頭を下げた。
 横田さんは向かいの席に腰掛けて、地蔵の話を話し始めた。内容は、私の体験とほぼ同じだった。誰かの気配を感じて振り向くと、物陰から地蔵が見ている。家の窓からも覗いている。車のバックミラー越しに、後部座席にいる地蔵が目に入る……

「それが毎日続くから参っちゃって……友達は誰も信じてくれないし……これ、どう対処すればいいんでしょうか。やっぱりお祓いとか行ったほうがいいんでしょうか」
 横田さんは縋るような目を朱音さんに向ける。こういうことの対処に詳しい人だと思われているようだ。
「うーん、私は怖い話を集めてるだけで専門家じゃないからなぁ……地蔵に追われる心当たりって、何かないの?」
「そんなの……ないですよ」
 横田さんは少し言葉に詰まってから答えると、ごまかすように珈琲の入ったカップを持ち上げた。朱音さんと小夜ちゃんが一瞬、視線を合わせる。
「そう? 何かあるんじゃない? 例えば…………車で、誰かを轢いたとか」
 え? それを聞くの?
 と思った途端、横田さんの手からするりとカップが抜け落ちて、膝のうえに派手にこぼれた。
「あっつ!!」
「ちょ、大丈夫!?」
「あ、私、布巾とってくる」
 小夜ちゃんが走ってカウンターから布巾を取ってきた。
「す、すみません。あの、僕、ちょっと用事あって……失礼します」
 横田さんはこぼれた珈琲を片付けると、朱音さんの質問には答えないまま、そそくさと歩き去っていった。朱音さんが水鳥さんにハンドサインを送る。水鳥さんは小さく頷き、少し間を空けてから横田さんを追っていった。

「怪しい動きをしたらとは言ったけど……なんだあのベタな反応」
「私は朱音さんの聞き方が直球すぎてびっくりした……」
「うそ、自然に聞いたつもりだったけど。ねえ小夜、自然だったよね?」
 話を振られた小夜ちゃんは、顔を傾けて唸っている。
「……私、いまの横田くん? どっか見たことある気がする」
「何かの講義がいっしょとかなんじゃない?」
「うーん、そうなのかなぁ……」
 小夜ちゃんはしばらく頭の中を検索するようにこめかみに手を当てていたが、やがて思い出したようで、パッチリと目を開いた。
「……思い出した。こないだうちに来たわ。お店のほうに。ちょうど波流から夜歩きの話を聞いた日だったと思う」
「小野寺モータースの客?」
「そう。ぶつけてライト壊したから、直してくれって。テールランプ」
「……へえ」
「普通に駐車場でぶつけたとか言ってたような……。私、事務所でデータ入力手伝っててちら聞きしただけだから、あんまりよく憶えてないけど」
「人を轢いたような傷じゃなかった?」
「わかんないな、車は見てないし。でも、流石にそれっぽかったらうちのお父さんも通報すると思う」
「だよね。まあ、あとは水鳥の報告を待ちますか」

 そのまま食堂で待機していると、1時間ほど経過したころに、水鳥さんから朱音さんのスマホに電話があった。
「どうだった? あ、ちょっと待って。みんなにも聞こえるようにする」
 朱音さんがスマホをスピーカーに切り替えてテーブルに置く。すぐに水鳥さんの声が聞こえてきた。
「ビンゴですよ、ビンゴ。車で移動したからバイクでついてったんだけど、山道に入って、途中で車停めて森の中に入ってった。南の、みたま市からまほろば市に続く山道の途中。あ、旧道のほうね。Google Mapにピン刺しといた」
「ナイス!」
 報告を聞いた朱音さんが指を鳴らす。
「でも、ちょっとまずいかもしんない」
 水鳥さんの声が硬くなった。
「え、何かあったの?」
「あいつさ、たぶんサイコパスだよ」
「なんでよ」
「ちょっと想像してみて。あなたは死体を埋めました。んで、バレたかもしれなくて、死体を埋めた現場に戻ってます」
 朱音さんが目を閉じる。想像しているらしい。
「うん、想像した」
「どんな気持ち?」
「どんなって、確かめるまで気が気じゃないっていうか」
「でしょ? そんなとき、なにか食べようと思う?」
「それどころじゃないでしょ」
「あいつ、ファミマ寄ってファミチキ買ったぜ」
「ファミチキ?」
 朱音さんが変な声を出す。
「まあ、ひとまず向かうよ。水鳥いまどこ?」
「まだ尾行中。横田くん、山を降りてすぐにあるコメダに入って、カウンターでスマホいじってる。私はシロノワール食べてる」
「オーケー、そのままよろしく。また連絡する」
 通話を終えて朱音さんが立ち上がる。
「じゃあ、行ってみよっか。小夜、車お願いしていい?」
「いいけど……行ってからどうする気?」
「それは行ってから決めようかなって……あ、人数は多いほうがいいかもしれないな。亜樹も呼ぼう」
 朱音さんは珍しく緊張した顔をしてから、スマホを耳に当てた。

     *

 薄暗い森。乾いた土の広場。錆びたバス停。
 夜歩きのときに見た場所だ。あの夜、車が止まっていた場所には、今は小夜ちゃんの車が止まっている。森に入ると、広場から少し入ったところに、土を掘り返した跡が見つかった。そして近くの木の陰には、覗き込むように地蔵が立っている。やっぱり、ここに間違いない。
「ここ?」
「……だと思う」
 朱音さんは頷くと、地面にしゃがみこんで掘り返した跡を検分し始めた。すぐ近くに上が平らになった石があって、その上に紙袋のままファミチキが置かれていた。
「これ、お供え物のつもりかな?」
「いよいよサイコパスみが増したわね……」
 小夜ちゃんが嫌なものを見るような目をファミチキに向ける。
「で、これからどうするの?」
「いちおう、怪しい反応も見れたし、こうして掘り返した跡も見つかったし……」
「警察行く?」
「掘り返しちゃダメかな?」
「嫌よ! 何いってんの」
「あ、亜樹が来た」
 広場に亜樹さんのRV車が入ってくる。車から降りた亜樹さんは、なんと片手にシャベルを持っていた。
「え、ちょっと待って。亜樹くん、まさかここ掘る気?」
 小夜ちゃんが信じられないという表情をする。
「さっき朱音に聞いた感じだと、反応が怪しいってだけで殺人とか死体遺棄の証拠って何もないから、通報するにしても、もう少し証拠が必要かなって」
「だとしてもよ? だとしても……えー?」
「まあ、それらしい痕跡が見つかったら警察に任せるよ。それより、水鳥ちゃんは? もしかしてその男の人をまだ尾行中?」
「そう、コメダに入ってそのまま動いてないって」
 朱音さんがスマホを確認しながら答える。
「もし悪い想像が当たってた場合だけど、死体を埋めた本人ってことだよね。まあ、人目があるところで何もしないと思うけど、念のため、水鳥ちゃんのところに行ったほうがいいと思う」
「それもそうだ」
「俺はここを掘ってから合流するから、声かけるとしたら、俺が来るまで待って」
「わかった」
 というわけで亜樹さんがここに残り、私と朱音さんは小夜ちゃんの車で水鳥さんのところに向かうことになった。
 去り際、なんとなく違和感を覚えて、足を止めて周囲を見回す。目の前の風景が、さっきまで見ていた風景と微妙に違うような気がした。何かが増えたような……いや、何かがなくなったような……
「波流、どうした?」
「ううん、何か変な気がして……」
 言葉の途中で、違和感の正体に気づく。

 さっきまで木の陰に立っていた地蔵が、どこにもなかった。

     *

 コメダにつくと、水鳥さんが外で待ち構えていた。
「あっ、朱音! やばいやばい、もう出てきそう。あ、出てきた」
 扉が開き、横田さんが出てきた。
「……仕方ない、亜樹が掘り返すまで、時間持たせるか」
「え、朱音。亜樹くん来るまで待つって言ってたじゃん」
 小夜ちゃんが朱音さんのパーカーを引っ張る。
「駐車場で話すだけだから」
 朱音さんは小夜ちゃんの手をポンと叩いて横田さんのところに走っていった。横田さんは朱音さんの姿を見てびっくりしていたが、すぐに怪しむような表情に変わった。
「……まだ僕に用ですか?」
「ごめんね、何度も。地蔵の話、気になってさ。どうして追われてるのかなって」
「だから……それは……こっちが聞きたいですよ」
 やっぱり歯切れが悪い。
「ホントに心当たりない?」
「ホントに、ないですってば」
 朱音さんはしばらく迷っていたが、やがて覚悟を決めるように、横田さんに向き直った。
「……ホントはわかってるんじゃない?」
「……何がですか?」
「地蔵に追われてるのは、死体を埋めたのと関係がある……と私は思うんだけど。地蔵を見るようになったのは、死体を埋めた後から……違う?」
 横田さんの動きが止まる。否定するかと思ったら、横田さんはそのまま、下を向いて黙り込んでしまった。
「そうなんですか……やっぱり、恨まれてるんですかね……」
 やけにあっさりと認めた。小夜ちゃんが目を見開いてスマホを取り出す。
「……警察、呼ぶよ? いいよね?」
「警察沙汰になるんですか?」
「いや、あたりまえでしょ! 何言ってんの!」
「いや、でも、ちゃんと埋めたし……」
 その答えにゾッとする。水鳥さんが言っていた、サイコパスと言う言葉を思い出した。小夜ちゃんは恐怖より怒りが勝ったのか、それとも怒りで恐怖を誤魔化しているのか、横田さんを問い詰めている。
「いや、埋めたからって、そういうわけにはいかないでしょ!? だって、殺して、埋めたんでしょ? 犯罪だからね!?」
「確かに死なせちゃったけど……犯罪になるんでしょうか」
「なるに決まってんでしょ! 人を殺して埋めたのよ!?」
「……いえ、埋めたのは猫ですけど」
「……猫?」

 横田さんの話はこうだった。
 大学入学祝いで買ってもらった車で、旧道を使ってドリフトの練習をしていたとき、操作を誤ってカーブで後輪が流れてしまった。車に何かがぶつかった感触があって、路肩の木に接触したと思って車を降りたら、猫が倒れていた……

「そのまま放っておくのも忍びなくて……近くの森に埋めたんです」
「はあ……そう……ええ……?」
 朱音さんはなんとも言い難い表情をしている。
「じゃあ、あそこには猫が埋まってるわけ? え、でも、ちょっと待って。なんかうまくつながらない。地蔵はどっから来た?」
 混乱している朱音さんの肩を、小夜ちゃんが叩く。
「……ねえ、亜樹くんに電話したほうがよくない? このままじゃ猫の死体と対面しちゃうわよ」
「あ、やばい」
 朱音さんは亜樹さんに電話をかけて、すぐに甲高い声をあげた。
「え? 掘っちゃった?」
 朱音さんの声に、小夜ちゃんが天を仰ぐ。
「もう掘っちゃったって」
「聞こえたわよ! ああ、想像しちゃった……」
「それで? え? 出た? え? なんで?」
 朱音さんは「とりあえず行く」と言って、電話を切った。
「小夜、車出して。私たちも行こう」
「えっ、行くの? 私も? 見なきゃだめ?」
「あと、えーと、横田くんも」
「よくわかんないんですけど……何が起きてるんですか?」
「いや、君が埋めたところね、私の彼氏が掘り返したんだけど」
「なんでそんなことするんです!?」
「掘ったら、地蔵が埋まってたんだって」
「……地蔵?」

 人の思考が覗けたら、きっと全員の頭の上に、大きなクエスチョンマークが見えただろう。
 結局、誰も何も説明できないので、現地に行くことになった。埋めた本人である横田さんは、納得いかないようにさかんに首をひねっていた。

     *

 掘り返された穴の横に、地蔵がちんまりと置かれていた。
 間違いない、私を追ってきた地蔵だ。その代わり、木の陰に立っていたはずの地蔵は見当たらない。もしかしたらあれは、私にしか見えていなかったのだろうか。
「……地蔵だねぇ」
 朱音さんが亜樹さんの隣に立って、もっともな感想を言う。
「だから、そう言ったじゃない」
「えっ、なんで? えっ、だって、確かに……ええっ!?」
 横田さんはあの夜を再現するかのように、何かを抱える真似をしたり、埋める真似をしたり、記憶と現実のすり合わせに必死になっている。
「確かに猫だったんですよ! 地蔵なんかじゃなかったんですよ!」
 混乱しきった横田さんの肩を、亜樹さんが落ち着かせるように軽く叩く。
「猫を轢いたのってどの辺?」
「す、すぐ近くのカーブですけど」
「そこに行ってみよう。もしかしたら、何かあるかも」
「あるって何が?」
「まあ、とりあえず」

 亜樹さんに従って移動すると、思いもしなかったものが見つかった。
 地蔵だ。
 赤い前掛けをした小さな地蔵。さっき掘り起こした地蔵と、傍目には同じに見える。その隣には、地蔵が置かれていたらしい石の台座があったが、よく見るとそれは台座ではなく、折れてその場に残った地蔵の根元の部分だった。もとは二つの地蔵が並んで置かれていたようだ。
「たぶん、カーブを曲がりきれなくて後輪が流れて、そのときにテールランプが地蔵のひとつに当たって……それで割れちゃったんじゃないかな」
「えっ、でも……確かに猫……だったはずなのに……」
「まあ、混乱してたから猫に見えちゃったんじゃないかな」
 亜樹さんが横田さんを落ち着かせるように言う。
 亜樹さんの言葉の通りなら、車で壊した地蔵を猫と間違えて森の中に埋めて、それを私が目撃した……というのが、あの夜に起きた出来事のようだ。横田さんはまだ納得していない様子だったが、水鳥さんの「地蔵に化かされたんじゃね?」という言葉にゾッとしたのか、それきり静かになった。
「こんなとこまで後輪流したの? ちょっと突っ込みすぎなんじゃない?」
「あと猫にファミチキ食わせんな。例えお供え物でもだ」
 ドラテクにうるさい小夜ちゃんと猫にうるさい水鳥さんからダメ出しを食らって、横田さんはますます静かになってしまった。
 掘り返した地蔵は土の中に埋められていたせいか、だいぶ汚れていたので、いったんサイレントヒルに持ち帰って洗ってから、後日元の場所に戻すことになった。

 次の土曜日、私たちは再び森を訪れて、地蔵を元の場所に戻した。
 水洗いした地蔵は見違えるように綺麗になった。赤い前掛けも、水鳥さんの縫った新しいものに取り替えた。地蔵は綺麗に割れていることもあり、断面に石材用の補修材を塗って、そのまま乗せることにした。
 来なくてもいいから、と亜樹さんは言っていたけど、当日は横田さんもやって来た。ちゃんと見届けておかないと、まだ地蔵が追いかけてきそうで不安なのかもしれない。水鳥さんのアドバイスが効いたのか、今回のお供え物はファミチキじゃなくて、猫用の減塩煮干しだった。

「……地蔵が元のところに戻して欲しくて私のところに来たってこと?」
 地蔵の前に線香を立てながら朱音さんに質問する。
「どうだろう。そう考えると、辻褄が合わなくもないけど。でもわかんないのは、なんで横田くんには猫に見えたのかってこと。亜樹は混乱して見間違えたって言ってたけど……本気でそう思ってる?」
「わからないね。猫地蔵自体、まだわからないことが多いから」
 亜樹さんは朱音さんの質問に、小さく肩をすくめた。

 この街には、至るところに猫地蔵がある。山にも街にも、人の目に付くところにはどこにでも。建物を建て替えるときに地面を掘ったら猫地蔵が出てきたというのも、よくある話だ。誰がどういう目的でこれほどの数の同じような地蔵を作ったのか、未だによくわかっていないらしい。

「まあ、地蔵はもとの場所に戻ったわけだし、これで波流のとこにも来なくなるよね」
「たぶん。そうだと思うけど」
「お礼に宝物とか持ってきてくれたりして」
「笠地蔵みたいに?」
「そうそう。ところであの話の教訓ってなんなんだっけ」

 朱音さんと亜樹さんの会話を聞きながら、地蔵の前に座る。
 二体並んだ猫地蔵は、妙に収まりがよくて、ひとりでいるときよりも、なんだか穏やかで、幸せそうに見えた。

 手を合わせて目を閉じると、木々のざわめきに紛れて、どこからか猫の鳴き声が聞こえてきた……ような気がした。



 森の中で、男が穴を掘っている。

 足元には割れた地蔵。どうやらここに埋めるつもりらしい。
 音を殺して舌打ちをした。そのまま放っておけばいいものを、なんでわざわざ埋めるんだ。埋めるのは、殺すのと同じなのに。

この街では、地蔵を殺してはいけない。

 周囲に視線を巡らすと、男の作業を見守るように、草陰から別の地蔵が覗いていた。片割れが気になって見にきたようだ。反対側の茂みからチラチラと覗いているのは、あの子供だ。
 ということはいずれ、あいつらにも話が伝わるだろう。この街の怪異譚を調べて回っている、酔狂な大学生たちに。
 あいつらなら話を聞いて、必ずこの場所を探そうとする。そしてあいつらだったら、そう時間がかからずにこの場所にたどり着くはずだ。
 なにせ、この街の怪異にはやたら鼻が利くやつらだから。

 地蔵は根本近くから割れている。死んではいないが、力はだいぶ弱まっていそうだ。回復にはそれなりの時間がかかるだろう。そのせいで、魚が湧くかもしれない。
 でもまあ、放置しておいても大きな影響はない。ここは森の中で、こんな場所に足を踏み入れるやつは、少なくともこの街には滅多にいない。それよりも気にしなければならない場所は、他にもある。

 例えば、あの神社。

 最近、あの場所の状態がおかしい。変なまじないが流行っているせいか、最近あそこで何か仕掛けている奴がいるが、この状態だったらまじないが効いてしまうかもしれない。
 あの神社だけじゃない。最近、街の状態がよくない。あちこちに綻びが増えている気がする。綻びだったらまだいいが、穴があいてしまったら面倒だ。
 まずは神社のほうをなんとかしなければならない。

 男に気づかれないように、足音を殺して、そっとその場を離れる。
 視線を感じて空を仰ぐと、高く切り取られた夜空から、覗き込むような満月が見えた。

(つづく)

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