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【眠らない猫と夜の魚】 第14話

「地蔵殺し」③


「は? 猫地蔵を砕いた石?」
 小夜がソファの背もたれに張り付いて足元のエコバッグから距離をおいた。

 時刻は20時。私たちは未だ地縛霊のようにファミレスに居座っている。小学生の相手を始めたのが12時だったから、もう8時間だ。窓から見える海岸はすっかり闇に沈み、車のライトを受けた白波がたまに浮かんでは、海の存在を思い出させる。

 小学生の相手でパワーを使い果たした私たちは、各々カロリーを補給中。たいしてカロリーを使わなかったはずの小夜の前にはどでかいパフェが鎮座していた。小学生から受け取った約百個の『願いが叶う石』は、小夜のエコバッグに入ってテーブルの下に置いてある。
 たぶん小夜、このエコバッグ捨てるだろうな。

「え、何でわかるの? 地蔵砕いたことあるの!?」
「ないない」
 朱音がドリア用のスプーンを目の前で振った。ラバー・ペンシル・イリュージョン効果でスプーンが曲がったように見える。
「昨日行った工事現場で見たんだよ。発掘のときに割れた猫地蔵の欠片が落ちてて」
「じゃあその石を売ってた中学生、地蔵を砕いて売ってたってこと?」
「それはわかんないけど。似た石かもしれないし、地蔵だとしても砕いたんじゃなくて、破片を見つけてご利益がありそうと思って売ったのかも」
「わざと砕いてたらバチ当たりとかそういうレベルの話じゃないわよ。バチが総出で当たりまくるわよ。拾ったんだとしても何も知らない小学生に売りつけてるわけだし、倫理的にもアウト。超アウト!!」
 小夜はおこだった。教師を目指しているだけあって道義的なことに厳しいのだ。

「んで、足元のこれ……どうするの?」
 小夜が朱音を見た。朱音が私を見る。ノープランかよ。仕方なく代わりに考えた。
「まあ、いったん持って帰ってどうするか考えよっか。これからうちで怪異蒐集の定例会やる予定だし。小夜、このエコバッグ借りてっていい?」
「それあげる」
「やっぱりな」
「けど……持って帰って大丈夫なの?」
 小夜が心配そうに続ける。
「大丈夫って?」
「だって、願いが叶う石じゃなくて、お地蔵様の欠片なわけでしょ? そんなもの大量に持って帰って……」
「小夜、心霊現象否定派じゃないっけ」
「否定派だし、小学生が見たって言ってる赤い目の女の子だって、赤目現象とかで説明がつくと思ってる。それでもバチとかは完全に否定できないし、ていうかしたくないし……うーん、うまく言えないけど、なんか心配」

 小夜は最後まで石を持ち帰ることを心配していた。小夜がそこまで言うなんてフラグだな、なんて笑ってたら、やっぱりそれはフラグだった。

  *

 ファミレスで小夜と別れてから、コンビニで酒とつまみを補充して私の家に向かった。ファミレスから家まで割と近いので、今日はバイクでなく徒歩で来ていた。ほどなく私の家がある丘の麓に着いた。目の前のつづら折りの坂を5分も登れば家につく。
 でも坂を前にして足が止まった。坂が廃トンネルのように暗い。坂の入口にある街灯が消えているのが原因だった。
「……今どきの街灯ってLEDだよね? 簡単に切れたりしないよね?」
「割れたりはしてないし、断線とかじゃないの」
 私の疑念を軽くあしらって、朱音はスマホで地面を照らしながら坂道を登り始めた。いつもはもっと慎重だけど、たぶん小学生の相手をしすぎて疲れていたんだろう。

「そう言えば、地蔵の石だけどさ」
 スマホが作り出す細い光の円を足で辿りながら、朱音が口を開く。
「うん?」
「蒐集した話の中に同じように石が出てきた話があった気がして、昨日ざっと見返してみたんだ。そしたらあった。廃墟に石の欠片が積んであったって話、憶えてる?」
「あー……廃墟の床下に穴が掘ってあった話だっけ」
「そうそう、それ」

 廃墟に肝試しに行ったら和室の畳があげられていて、床下に何かを掘り返したような穴がある。部屋の隅には何かを砕いたような石の小山があって、その石を持ち帰ったら……という話だ。
「あ、待って。その話って、石を取り返しに女の子が訪ねてくるんじゃなかったっけ」
「そう。それもあったから、シチュエーション的にもなんか、今回の話と似てるなって思って」
「確かに」
 今回の話みたく『赤い目の女の子』が出てくるわけじゃないけど、朱音の言う通り、『石』と『女の子』という組み合わせは今回の件と符合していて気になる。
「でさ、今まで集めた話にも、『石』とか『女の子』って視点で見たら繋がる話があるかもって思って。だから……ていうか、次の街灯まだ?」
 朱音が歩きながらぐるりと一回転する。そう言えば、坂道の途中には幾つか街灯があるはずなのに、それらしい明かりがどこにも見えない。
「……停電でも起きてんのかね」
 スマホを取り出したら電波表示は圏外だった。普段この辺は圏外ではない。本当に停電が起きているのかも……と歩いてきた方向に目を向けても、のっぺりとした闇があるだけだった。
「……おかしくない? 仮に停電だとしても、海岸通り走る車のライトくらいは見えんじゃないの?」
「確かに……ていうか、さっきから異常に暑いんだけど」
 朱音が肩口で額の汗を拭う。そう言えば暑い。私も気づかないうちに、背中にべっとりと汗をかいていた。
 原因はすぐわかった。風がないのだ。そのせいか、停滞した空気がねっとりと体に絡みついてきて、じっとしているだけで汗が吹き出てくる。
 風だけじゃない。音もない。いつもは聞こえる波の音も、海岸通りを走る車の音も、最近鳴き始めたばかりの虫の声も聞こえない。
 聞こえるのは、私たちが土を踏む硬い足音だけだ。

 ――土?

「……ね、朱音」
「何?」
「いつのまにか地面が土になってんですけど……」
 アスファルトで舗装されているはずの坂道が、固い土の地面になっていた。
「……道を外れて林に突っ込んだっけ?」
「それはいくらなんでも気づくと思う……」
 朱音は立ち止まると、しゃがみこんで足元の土を指で掬った。私もエコバックを地面に置いて、目の前にあった大きな岩に背中を預けた。地面を観察したいわけじゃなくて、いい加減に疲れてきたからだ。
「赤土っぽい。この丘の土って元からこんな土?」
「わからんよ。だって林の中に入ったことないもん」
「だよね」
 そう言うと、朱音は下唇をつまんで黙った。朱音が考え事をするときの癖だ。なんとなく、朱音が何を考えてるかわかる。そして導き出されるであろう答えも。朱音とは高校の時からだからそんなに長い付き合いじゃないけど、濃い付き合いだと言う自負はある。
「変なこと言うけど」
「うん」
「私たちもしかして…………異世界に入ってない?」
 予想していた通りの答えに、どう返そうか決めかねたままでとりあえず口を開いたとき、

 …………………………ざっ

 すぐ近くで土を擦る音がした。
 朱音がすばやくスマホのライトを消した。途端に闇が降ってきて視界がゼロになる。手探りで朱音の腕を探して握った。怖かったんじゃなくて、お互いの位置確認のため。

 ………………ざっ…………ざりっ…………ざっ

 音の出どころは遠くない。たぶん、十メートルもないくらい。誰かの足音かと思ったけど、足音にしては動かない。音はずっと同じ場所からしているように聞こえる。
 足音でないとしたら、何の音だろう。例えるなら、地面を箒で掃く音に似ていたが、それよりも音の感じが湿っている。足先で土を蹴る音のほうが近いかも。それか、

 手で土を掘っている音のような……

 そう考えて、首筋が怖気が走り抜けた。朱音の腕を握る手に無意識に力が入る。
 怖い話は好きだし、怪奇現象に遭遇したことも何度かある。だから恐怖に対してそれなりの耐性はあるつもりだ。でも今は、闇の向こうから漂ってくる異質な空気を体の細胞のひとつひとつが拒否するように、体中がぞわぞわと粟立って落ち着かなかった。

「……離れたほうがいいよね」
 朱音が小声で囁いた。了承したことを伝えるために朱音の腕を指先で叩いてから、しゃがんだまま朱音の動きに合わせて、暗闇の中を一歩また一歩と後ろ向きに移動する。ところがその足が、置いたことをすっかり忘れていたエコバックにあたって、ドンガッシャンと絶望的な音を立てた。

 ざっ………………………………………………………

 音が止まった。

 動きを止めて、息を殺す。
 頭皮に浮いた汗が前髪を伝って地面に落ちた。そのほんの微かな音が目の前の何かに聞こえてしまいそうに思えて、気が気でない。
 ずいぶん長い時間、そのままの姿勢で耐えていた気がする。
 目の前からは何の音もしない。生き物が立てるような気配もない。
 もしかしていなくなったのでは。希望的な観測にすがりたいけど、希望的すぎて確かめる気が起こらなかった。

 隣の朱音が動く気配がした。
 朱音は待ちの戦法が嫌いだ。たぶんしびれを切らして、目の前を確かようとしている。でも、今はまだまずい気がした。止めようと朱音の腕を引くと同時に、暗闇の中にぽっとスマホの灯りが灯って、目の前の土の地面を照らし出した。
 目の前には赤い土と、私が背中を預けていた大きな岩があった。動くものの気配はなさそうだ、とりあえず。
 小さく安堵のため息をついた朱音が、ゆっくりとスマホを上に向ける。岩の上に、白い何かが置かれていた。気付いた朱音がスマホのライトを向ける。でも何かが置かれているわけではなかった。

 それは岩の向こうから伸ばされた、泥にまみれた白い腕だった。

「だあああああああああああああああああああ!!!」
「わあああああああああああああああああああ!!!」

 叫んだ。思いっきり。腹の底から。隣の朱音も叫んでいたけど、どっちがどんな悲鳴をあげたか憶えていない。それどころじゃなかった。
 体から恐怖を追い出すように、肺の中の空気を残らず絞り出して、それでも足りなくておかわりの悲鳴を放つために大きく息を吸い込んだとき、背後から空気を割るような音がした。

 ――――パン

 聞き覚えがある音だ、と思っただけで何の音かわからなかった。後で冷静になってから、あれは何の音だったんだろうって朱音と話をしたけど、一番近いのはあれだった。神社で打つ、柏手の音。

 音と同時に、完全な暗闇だった視界がチャンネルを切り替えるように普通の夜の暗さに切り替わった。暗いけど、さっきまでの闇に比べると昼間に等しい。
 見上げると、黒い夜空に幾つもの星が散りばめられていて、周囲をおぼろげに照らしていた。さっき目の前にあった岩も、岩の上に置かれた泥だらけの手も、どこにもなかった。
 思い出したように吹いてきた風が汗で濡れた額を冷やして、海岸通りを流す車の音が耳を抜けていく。少し離れた木の向こうに街灯の灯りが見えた。私と朱音は、アスファルトの坂道を外れた、林の中に立っていた。

「…………戻った?」
「…………と思うけど」

 朱音の返答も自信なさげだ。さっきまでの状態が状態だけに、もう何段階かチェックポイントを潜り抜けないと安心できない気がした。
 スマホの電波状態を確認して、念の為YouTubeを開いて動画を再生する。スマホから落合さんの声が聞こえてきてから、ようやく元の世界に戻ったことを実感した。

「……戻ったっぽいね」
「ていうかこの状況でゾゾゾ?」

 朱音が吹き出す。私も笑った。二人して恐怖を追い払うようにヘラヘラと笑いあっていると、背後から茂みが揺れる音がした。

 二人真顔に戻って、弾かれたように振り返る。

 振り返ると同時に、茂みを揺らした何かが、林の奥の暗闇へ素早く走り去っていくのが見えた。

 それは、人のように見えた。
 小学生ぐらいの小さな人影に。
 そして去り際にこちらを一瞥したその顔には、

 縦割れの亀裂を抱いた猫の瞳が、血に濡れた満月のように赤く光っていた。

 朱音も私もしばらくの間、人影が消えた暗闇を、ぽかんと口を開けたまま馬鹿みたいに見つめていた。頭が再び混乱し始めていた。走り去った人影の、赤い目が張り付いたその相貌が、私たちがよく知る人物のそれに似ていた気がしたからだ。

「…………波流?」

 ずいぶん経ってから朱音は呟いた。私が思い浮かべていたのと、同じ人物の名前を。

(第15話に続く)


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