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【眠らない猫と夜の魚】 第16話

「神隠し」①


■怪異蒐集No. - -(未公開)
■タイトル:神隠し
■話者:Aさん、小学生
■記述者:黒崎朱音

 市内の小学校に通うAさんの話。

 みたま市では7月に「みたま送り」という夏祭りが行われる。
 祭りでは三珠神社の舞殿を使って奉納演劇が行われ、その演者は毎年地元の小学生から選ばれている。その年は、Aさんも巫女の役で選ばれていた。演劇の筋書きは昔から変わっておらず、苦しみを切り離す術を持った巫女が人々から苦しみを切り離し、箱に詰めて鎮めるというものだった。
(※地元の歴史に詳しい人によると、元々は箱ではなく地面に埋めるものだったが、演劇として再現するにあたりわかりやすく箱になったとのこと)

 夏祭りの当日は台風でもないのに強い風が吹き、かと思えばピタリと止んで空気が停滞する、妙な天気だった。祭りの実行委員の老人はしかめっ面をして「日が悪い」と盛んに呟いていた。
 陽が落ちると舞殿の周りに篝火が焚かれ、奉納演劇が始まった。大勢の人が見つめる中、劇は滞りなく進み、終盤に巫女がヒトガタ(人々から集めた苦しみに見立てたもの)を箱に詰める場面になった。Aさんがヒトガタが納められた箱を閉めようとしたとき、突然、今日一番の突風が舞殿を揺らし、箱もろともヒトガタを吹き散らした。幾つかの篝火が倒れて火の粉が舞い、会場のあちこちで悲鳴があがった。
 同時に、会場のすべての電気が消えた。
 後に調べたところ、強風によって電線が切れたことが原因だった。会場は騒然となったが、近くの屋台から非常用のバッテリーを集めて、数分後には灯りがつけられた。
 灯りがついたとき、舞台上からAさんがいなくなっていた。

 客席にいた人の証言によると、停電が起きた後、いっしょに来ている友人の安否を確かめるためにスマホのライトで周囲を照らしているときに、境内から三珠山に至る道をふらふらと歩いていく巫女の後ろ姿を見たという。
 すぐに周囲が捜索されたがAさんは見つからなかった。翌日には山狩りが行われたが、巫女衣装についていた鈴が山道に落ちているのが見つかっただけだった。さらに翌日は捜索範囲が拡大されることが決まったが、その日の朝、Aさんは神社の舞殿に放心したように座っているところを保護された。山道を歩き回っていたせいかAさんの手は泥だらけで、爪の間にびっしりと土が詰まっていた。

 以下は、Aさんの身に起きたことを時系列で書いたものだ。

 演劇の最中に突然電気が消えたことは憶えている。しかしそこで記憶はいったん途切れ、気がつくと山の中に座っていた。目の前に地面を掘り返したような跡があり、手は土で汚れて真っ黒だった。どうやって山の中に来たか憶えていなかった。
 周囲は深い森で、人の気配どころか音がまったくしなかった。風もなく、湿度の高い、生暖かい空気に満ちていた。Aさんは朝か夕方だと思った。空が赤かったからだ。空は朱色の絵の具で塗りつぶされたように均一の赤で、そのせいで目の前にある何もかもが赤みがかって見えた。

 混乱した頭で立ち上がったとき、近くで音がした。それは土を擦る足音のように聞こえた。人がいる、と安堵しかけたが、同時に「会ってはいけない」という警告が頭に浮かんだ。
 Aさんは足音から逃げるようにその場を離れた。しかし足音は逃げても逃げても、Aさんのすぐ背後から聞こえてきた。逃げる最中、何度か鈴の音を聞いたような気がしたが、気にする余裕はなかった。
 Aさんは長い時間走り続けたが、疲れて足元が覚束なくなり、木の根に足を取られて転んだ。体力的には限界で、立ち上がることができなかった。

 すると、不思議なことが起こった。
 ふわっとAさんの視点が空に舞い上がり、眼下に倒れている自分の姿が見えた。意味がわからず自分を見ていると、倒れていた自分が立ち上がって、森の中を走り始めた。
 まるで道を知っているように迷いなく木々の間を走っていく自分の姿を、空に浮かんだAさんの視点が追っていく。やがて赤かった世界が暗い夜の色に変わっていき、視線の先に三珠神社の境内が見えてきた。Aさんの意識はゆっくりと薄れていき、気がつくと病院のベッドに寝かされていた。

 この証言は警察に対してもなされたが、停電でパニックになったAさんが山に迷い込み、自力で戻ってきたと結論付けられた。後半部分は夢か、記憶の混乱によるものと判断された。

 山を歩いたせいか手足に細かい切り傷はあったが、検査の結果、大きな異常は見つからず、Aさんはその日のうちに家に帰った。その夜は精神が昂っているせいか、ほとんど眠れなくなった。眠れないのは翌日も続いたが、医者からは一過性のものと診断された。

 翌週からAさんは小学校に戻った。
 まだ眠れない状態は続いていて、親からはもうしばらく少し休むように言われたが、Aさんは登校すると言い張った。(※Aさんの家庭は母子家庭で、普段から母親に心配をかけたくないという思いを強く持っており、そのため登校したと思われる)
 ひさしぶりに登校したAさんは、祭りのことを聞きたがるクラスメイトに囲まれた。しかしこの時点では記憶の混乱もあり、あまり多くを話せなかったため、やがてみんな離れていった。(※Aさんは普段からひとりでいることが多かったため、この時点で避けられていたわけではない)

 その日の授業中、Aさんはおかしなものを見た。教室の空中を、赤く光る魚のようなものがふわふわと漂っている。休み時間にクラスメイトに尋ねても、見えていないようで怪訝な顔をされた。
 やがて魚は、とある男子の周囲に集まって、囲むように泳ぎ始めた。その昼休みに廊下から悲鳴が聞こえ、生徒や教師が集まっていくのが見えた。その男子生徒が他の生徒と喧嘩をして、階段から落ちて怪我をしたのだと、後に聞いた。
 それから何度も赤い魚を見た。その度に魚に集られた生徒が怪我をして、Aさんはその魚が危ないものだと考えるようになった。魚に集られた生徒に注意しようとしたが、信じてもらえないばかりか「自称霊感少女」「不思議ちゃん」などと呼ばれ、笑われるようになった。
 Aさんの注意は伝わらず、生徒の怪我はその後も続いた。クラスメイトは次第にAさんを得体のしれないものを見るような目で遠巻きにするようになった。「怪我はAのせいだ」「山で呪いを拾ってきた」そんな噂が教室に流れた。魚はその後も現れ、その数も増えていった。怪我人も続き、発生のペースも加速度的にあがっていった。

 ある日、数人のクラスメイトが集まってAさんを囲んで責めたてた。その中にはAさんといっしょに奉納演劇に出た生徒もいて、Aさんのせいで自分も変な目で見られていると言って怒っていた。Aさんは何も言い返せず、俯いて糾弾の言葉に耐えていた。
 すると突然、強い耳鳴りがAさんを襲った。
 耳鳴りだけでなく、頭を締め付けるような圧迫感と頭痛を覚えて、Aさんは堪えきれず頭を抱えてうずくまった。痛みに耐えながら薄目を開けると、教室の天井いっぱいに赤い魚が渦を巻いて泳いでいるのが見えて、Aさんは叫び声を上げた。

 その途端、教室の廊下側とグラウンド側に面するすべてのガラスが、いっせいに砕けた。

 教室はパニックになり、10人以上の生徒がガラスの破片で怪我をした。突風によるものと学校側は説明したが、Aさんのクラス以外では同様のことは起きていなかった。クラスではAさんが原因だという噂が流れ、異を唱えるものは誰もいなかった。

 その日から、Aさんは学校に行かなくなった。

 *

 これは波流の話だ。

 朱音が時間をかけて波流から聞いた話を、怪異蒐集のフォーマットで書き留めたものである。中途半端な終わり方を見てわかるように、まだ終わっていない。進行中の話だ。
 当初この話は怪異蒐集の一環として記録され、怖い話が苦手な私は見るつもりがなかった。でも理由はそれだけでない。波流の身に起きた全容を知ることが怖かったからだ。
 しかし私は以下のような言葉とともに、朱音からこの記録を渡された。

「辛い描写もあるけど、小夜にも読んで欲しい。私たちの中で波流を一番長く見てきたのは小夜だし、これが全部本当に起きたことかどうかは別として、波流が回復するための大事な情報だと思うから」

 波流はクラスでの一件以来、学校に行っていない。最近になってようやく保健室登校を始めたが、教室にはまだだ。

 私が波流の母親である素子さんから「波流と会って欲しい」と頼まれたのは、当時私たちの中で波流と唯一親交があったからだった。
 私は波流が小学生になる前から知っている。私の母親と素子さんが仲が良かったからだ。と言ってもそれほど頻繁に会っていたわけではなく、ビーチクリーンなど地域のイベントで顔を合わせる程度だった。私の印象の中では、波流はそんなに目立つ子ではなかった。素直だが自己主張が薄い静かな子で、怖い話やUFOの本を好んで読んでいた。

 これは想像だけど、夏祭りの巫女役は半ば押し付けられたんじゃないかと思う。巫女役は厄を引き受けると言われ、子供に演じさせたがらない親が多かった。そしてそういう空気は子供にも伝染する。
 隣のまほろば市は総合大学が誘致され、街の再編とともに市民の価値観もアップデートされつつある。でも閉鎖的な村社会を脱却できていないここ、みたま市では、そういう旧世代の価値観が未だ根強く残っていた。

 素子さんは無理して学校に行かなくてよいと考えていたが、波流が誰とも会わず部屋に籠もっていることを心配していた。しかし母子家庭のためつきっきりで家にいるわけにはいかず、それで様子を見て欲しいと頼まれたのだ。教師を目指していた私は、何か力になれることがあればと波流に会ったが、最初はあまり話をしてくれなかった。無視するわけでは無いが反応が薄かった。うまく眠れない状態が続いていて、疲弊しているせいもあったかもしれない。

 何とか波流の気を引くような話題を探して、思いついたのが波流の好きな怖い話だった。あれほど怖い思いをしたんだから怖い話なんて聞きたがらないのではないか、と心配したが、波流は細い声で「聞きたい」と言った。朱音から聞かされた怖い話を思い出しながら語って聞かせたが、すぐにネタが尽きた。

 困った私は朱音と水鳥に相談した。朱音は怪談の本やムーという超常現象の専門誌をどっさり持ち込んで、波流が知らない怖い話をほぼ一方的に語って聞かせた。水鳥が色んなお菓子やご飯を作ってくれて、それを食べながらみんなで朱音の怖い話を聞く。そんなことが数回続くうちに、波流は少しずつ反応を返すようになった。
 質問を返したり、ときには笑顔も見せるようになった。やがてほとんど眠れていなかった波流は、徐々に眠れるようになった。
 その代わり、あることが始まった。

 それが「夜歩き」だ。

(第17話に続く)


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