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許せないの奥にあるもの

もう5年ほど前のことだが、インターン生が飛んでしまい、全く連絡がつかなくなったことがあった。

重要な書類を持ったまま、約束の現場に現れず、それ以来、連絡も一切取れなくなった。

SNSは更新しているし、他のスタッフとは連絡を交わしているようだったが、私からの連絡は未読無視、電話は着信拒否。

拒絶というのは、なかなか残酷だ。

拒絶は、相手の選択肢を奪う。打っても響かない相手には、なす術がない。どう声をかけたらいいものか、すべて疑心暗鬼になって、疲れてしまう。

時間が経つにつれて、私もだんだんと疲れてきて、それがイライラに変わっていった。

自分が一番大切にしている現場や仕事を、大切にしない行為が許せなかった。

困っているのはこちらなのに、過度に気を遣って連絡するも、返ってこない。だんだんと消耗していった。

結局、彼女からは、返事も重要書類も、返ってくることはなかった。


書類問題は別の方法で解決したが、それはそれは大変な思いをしたので、私の中では思い出したくない黒歴史として刻まれている。  

結局何があったかはわからないまま、話し合いもできないまま、3年が経った。

もうそんなことがあったことさえ、忘れかけていたある日。一通のメールが届いた。

彼女からだった。

3年ほど前までそちらで働かせて頂いていた●●です。
当時、大変なご迷惑をおかけし、
本当に、 申し訳ございませんでした。

私は、大学卒業が半年伸びてしまったのですが、
先月卒業して今は●●会社で働いています。

もにさんは相変わらずお忙しそうですが、
ずっと代表としてプロデュースを続けていて
本当に尊敬しています。

当時プライベートで大きな問題が起こり、
精神的に病んでしまっていた時期で、
自暴自棄になってしまっていました。

本当に取り返しがつかないことをしてしまいました。
大変なご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。

今後ももにさんの活躍を拝見するのを
楽しみにしています。

メールを見たとき、心臓がざわざわした。

蓋をしていた感情が一気に全身をかけめぐった。

「何を今さら…」と怒りが再燃するかと思ったが、意外にも心に湧いてきたのは、ホッとした気持ちだった。

あれ、なんでホッとしたんだろう?

自問を重ねていくと、私は「許せない」と言う気持ちの奥に、「理解したい」という本音があることに気づいた。

本当はずっと、彼女のことをわかりたかったのだ。

拒絶や裏切りは、たしかに許せない。でも、本当はそれ以上に、信頼していた彼女の、彼女なりの事情を、わかりたかった。

そういう本音に、数年越しに気づかされた。

もう数年前の話だから、時効とも言える。なかったことにした方が、彼女にとっても楽だったかもしれない。

それでも、社会人になって、自分のしたことの大変さに気づき、過去と向き合い、連絡をくれた。

その文面からは、彼女は彼女で、罪悪感に苦しんでいたことが伝わってきた。

あの出来事を私は、「許す」という自己努力によってしか、乗り越えられないと思っていた。

でも、「許せない」の前に「理解したいのに」という本音 - 彼女への諦められない気持ちが残っていたことに、やっと気がついた。

感情は、単なる反応であって、本音ではない場合が多い。

「ただ、知ってほしかっただけ」
「ただ、わかってほしかったのに」

そんな思いを抱えながら、大切な人に怒ったり泣いたり、したことはないだろうか。

本音に気づかないまま、反応で相手に当たってしまうと、反応が反応を呼び、悪循環に陥ったりする。「わかってもらえない」という誤解が積み重なって、コミュニケーションの溝は深まってしまう。

私の場合もきっと、反応にとらわれていたから「許せない」気持ちが膨らんでいたのだろう。

もう少し早く本音に気づいて、「許せない」ではなく「わかりたい」と向き合うようにしたら、あんなにも自分を消耗しなくて済んだのかもしれない。

それ以来、感情に飲み込まれそうな時は、このエピソードを思い出して、本音に耳を澄ますようにしている。

シンプルな本音を見つけることができれば、生きるのはもっと楽になる気がする。

反応の奥に隠れている本音を、紐解く。それをサボらない。

自分を大切にするということは、きっとそういうことなんじゃないだろうか。

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