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佐藤久夫先生を偲ぶ

僕が教師を目指したのは小学生の頃、その頃から大学を中退するまで卒業文集などには将来の夢の欄には必ず"教師になること"と書いてある。今は大学を辞めてまで目指すことになった起業家の道に進んでいる。

学生の頃は全くブレることなく一貫して教師を目指していたがどういう訳か25歳の頃、私はその時よく読んでいたビジネス書に深く感銘を受けて起業の道に急展開し走り出した。

正直、すぐに結果を出してまた教師の道に戻ればいいぐらいに簡単に考えていたが起業家の道のりは予想以上に険しく簡単に成功を納めさせてくれるほど甘い世界ではなかった。

それから11年の月日が経とうとしている。教師目指してる自分のままでいればよかった…と何度泣きを入れたことか。でも、自分が弱い人間なのはわかっていたので退路を絶っていた。

僕が教師を目指した一番の理由はバスケ部の指導者をしたいという想いがあったからだ。小学生の頃からやっているバスケ。小学生の頃には全国準優勝を経験し、中学では九州大会ベスト4、高校生の頃は地元の高校に進み県大会ベスト8止まりだったが人一倍バスケの練習をするバスケ馬鹿だった。

小学生の頃に出会ったバスケの指導者に憧れて僕は小学生の頃から"いつか先生みたいにバスケを教える人になりたい"と思うようになっていた。

そんな自分だったので自然と他の指導者を観察するようになっていた。その時出会った内の一人が佐藤久夫監督だ。

出会ったといっても沖縄と宮城県、学生と大人で接点の持ちようがないがたまたま手に入れたビデオだったかテレビで観たのかは憶えてないが佐藤先生が仙台高校を引き連れてのウィンターカップ決勝。志村時代に出会った。

ガードの志村選手がボールを持った途端、高速ドリブルで相手コートまで行き相手をかき回して見事なパッシングゲームで相手を翻弄している。対戦相手は確か宮崎県の小林。

そのバスケに感銘をうけてガードだった僕もボールをもらった途端、高速ドリブルで相手チームに迫ったものだ。ものすごく影響を受けたのを憶えている。

それが佐藤先生と一方的に出会った時だ。凄いチームをつくるなと感銘を受けて確か本も購入して読んだ憶えがある。

バスケのこともだが学生を育てるという生徒指導についての考え方も刻まれていた。奇しくも同じ日本体育大学出身になったのだが教育実習の時その生徒指導の考え方にもかなり影響を受けていた。

いつか仙台まで行こう。
佐藤先生の指導を生で実感しようと思いそんなことを考えていた。ちなみに以前、だいぶ前になるがたまたま東京でクリニックを開いていた能代工業を指導していた加藤三彦監督の指導は見学に行ったことがある。

それぐらい僕はバスケ指導者の道を歩んでいた。

バスケが大好きだった。

起業家の道を目指し始めてから僕はブレまくりの人生を生きるようになっていた。

急にYouTuberなったり、音楽つくったり、流行りそうなwebサービスをつくったり…

全部起業家っぽいがとにかく流行りそうなことを先駆けてやるだけの芯のないふらついた行動を繰り返していた。なにせ、急に起業家になった。大学もそのために経営学部に入っていたらまだ様になったがパソコンさえロクに使わない体育大学だ。ITを主戦場にしているのに…

たまに泣けてくる。
俺は大きく間違った。
人生を踏み外した。

大学の頃の友人のFacebookをみると今は自分のやっていたスポーツの指導者をしているのをみかけた。

カッコイイ…

学生の時から一貫してスポーツの指導者をやっているなんてなんともカッコイイじゃないか。

なんだかブレまくりの自分が恥ずかしかった。

しかし、ここ三年。
私はようやく一貫してimagescreamというサービスを創り続けている。僕にとってようやく手に入れたブレない仕事。このために働き、このために行動している。勿論、100%構想していた通りではないが今できることをめいいっぱいやっている。

まだだ。
夢は点と点が繋がりいつか線になり線が繋がり星となる。

このimagescreamが大きくなればバスケチームのスポンサーだってできる。いや、学生バスケの指導者なら今からでもできるじゃないか。

仕事が軌道に乗ってうまくいったらバスケにまた関わろう。

そんなことを佐藤先生の悲報に思ったのでした。

先生、お亡くなりしてもまだ僕に色々教えていただきありがとうございました。

信念と情熱。ですよね?

頑張ります。

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