自動通訳ができる時代に英語の勉強は不要か?

先日の日経新聞に同時通訳のソフトを発売する記事が出ていました。
70ヵ国の言語に対応する様です。
言語の壁を越え、とても便利な世の中になることを予見させます。
 
この話って、「人が行ってきたこと(仕事)を、機械が代替する時代になった」ことを象徴しています。
これまで同時通訳は人間がやっていました。
通訳をする人は、前後の文脈を踏まえて、その国の人に理解しやすい形式で変換するわけです。それを機械がすることになると。
従って、これまで人間がしてきた通訳や翻訳の仕事はなくなっていくかもしれません。
 
一方で「英語を勉強する必要はなくなるのか?」という問いについて考えてみます。
そもそも英語を勉強する目的はなんなのでしょうか。
言語を学ぶ目的は、その言語を使う相手とコミュニケーションを取ることにありますが、同時に、言語の違いやその国の習慣や文化の違いを知る機会にもなります。
 
日本語にしかない言い方や言葉を他の言語に訳す時、その考え方や価値観について説明することにもなります。逆に英語にしかない表現を日本語にすることにもなります。
その国特有の言い方や言葉は、そうなった歴史的背景があり、それを同時に学ぶことにもなります。
 
更に、その国とビジネスをする場合、当然、その国の文化や価値観、習慣を理解していなければ、相手が求めるものやサービスを提供することはできないわけです。
以上のことから、言語の学習を通して、その国の習慣・文化や日本との違いを知ることが重要になります。
 
次に、先に書いた「機械に代替される」意味からすれば、人間がすべきことについて考える必要があります。
今後、これまで人間が行ってきたサービスは、徐々に機械が行う様になります。
ホテルのチェックインや空港の登場手続き、様々なセキュリティゲートは、徐々に機械化され音声ガイドに代替されています。更に顔認証を使って「顔パス」に変化するとも言われます。
そんな時代の流れから、人間がすべきことは何か。人間にしてほしいことはなにか。既存のサービス業に従事している者は、真剣に考えなければならないでしょう。
 
人間だからこそできる質の高いサービスをそれなりの金額で提供する。
安価な自動サービスと二極化する時代が到来するでしょう。
高いお金を払っても、人間にしてほしいことを考え実行することにチャンスがあると思います。

冒頭の自動通訳で考えると、言葉そのものは、機械が話しているわけで、その時の感情がどれほど伝わるのかは未知の領域かもしれません。
自動通訳で相手を感動させることはできるのか。そんな問いも思いつきます。
 
商談の場面を考えた時、機械を使って自動通訳する人と、多少聞き取りづらくても、日本語で話してくれる人がいた場合、印象に残るのは、直接日本語で話してくれた人なのかもしれません。
それは、自分のために日本語も含めて準備してきたことが大きく影響する気がします。
どれだけ、今日の為に準備してきたか。その量が信用に変換されるのかもしれませんね。
 
っということで、今回の結論は、どれだけ自動通訳や翻訳が出てきても、語学を学ぶ意味そのものはなくならないし、むしろ、機械を介さず直接会話することにアドバンテージが生まれると。こんな感じでしょうか。

極論、「自動通訳で恋愛感情は成立し発展するのか?」という問いに行きつくのかもしれません。相手のことが好きなら、その人が話す言語を知りたいし、直接理解して話したいと思うでしょう。自動(機械)に頼ること自体、そこへの優先順位が低いことを意味しますしね。言語は、それだけ相手との関係を繋ぐ重要な手段なんだと思います。
 
 

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