見出し画像

無双無念ということ

現代美術作家の村上隆さんのリアル密着シリーズで、超人観察というのをYouTubeで拝見させていただきました。
その朝のルーティーンが、おそれ多くも私と酷似していて驚きました。
朝食は、村上氏はドトールの珈琲だけでした。
私はちゃんと食べるので・・・。
そのあとですね。 地上波のニュースとYouTubeの陰謀論を2時間位みます。 どっちが本当なんだろう?たぶん陰謀論なんだろうなと思いながら
みているそうです。  その後、朝風呂に入って、散歩します。
そして、発想するときは、脳を覚醒してフリーにして考えない、コンデションを無心にするそうです。
ここまでは、ほぼ同じですが、ここからが大違いです。
ここから村上氏は、NHKの取材だったり、さまざまな打ち合わせだったり、食事をする間もないほど、大忙しです。
村上氏はスーパーフラットという概念の下に、日本独特のアニメやアイドル文化を社会現象としてとらえ、新たなアートに作り替えたんだと思います。
日本文化に根差している歪んだ欲望が、うきぼりになっていて心を打たれます。  だから決してアニメオタクではない私も衝撃を受けました。
アートはビジネスだと村上氏はいいますが、実際生み出す側からみたら、周囲の評価とか、お金のこととかの思考に囚われていたらアートは生み出せないといいます。 無双無念の境地です。
紹介された代表的な2体は、破壊力半端なくて、魅力的で欲しいなと思いました。 ヒロポンとマイロンサムカウボーイです。
とても手が出る次元のものではありませんでした。
等身大のフィギュアで、ヒロポンはクリスティーズのオークションで、4890万で落札され、マイロンサムカウボーイはザザビーズのオークションで16億で落札されたということです。
欲しいなどと軽率なことを言いました。
多分ですが、時代背景の見える芸術に触れることが、今までなかったから、時代をとらえた作品に、とても心震えるのかと思います。

アートの評価にはいろんな矛盾があります。
アートというその感性と属性の混在したあいまいなものを、評価することはとても難しいことです。
そもそも、美術館の存在が、美術を日常から切り離し、お金とは無縁のところにアートを置いたといわれています。
でも美術館に入るものと入らないアートの間にも矛盾が、生まれます。
お金じゃないのにお金でしかはかれない、矛盾はついて回ります。
多様性の中で、その評価は個々にゆだねられてゆくのかと思います。
それでも村上氏には、アートでありビジネスでもあるという、新しい価値観を実現している強さを感じます。 言葉で語りつくせないものが、アートですね。 愛と同意語です。

朝のルーティーンを終えた私のことをすっかり忘れていました。
急に次元が違ってしまうのですが、ご容赦ください。
無心になった私は、意味のある一日にしようとか、こんなことをしていたらいけないとか、自責の念を持つこともなくなりました。
自分をしばっているのは大概自分です。
そこをときはなつと、心は軽やかで、様々な感性が開ける気がします。
なんだかんだと一年位かかってしまいましたが、やっとエゴから解放されて
無心という原点にたてた気がします。
かつての同僚は道ですれ違っても私に気づきません。
アロママッサージの愛ちゃん曰く、「まとってるオーラがまったく違うから、誰にも気づかれないでしょ」ということです。
おもしろいですね。  せっかく無になれたので、なにか産みたいところです。

だいぶ前のことですが、岡本太郎さんの本にはまっていたことがあります。
あの「芸術は爆発だ」の発言で有名な、大阪万博のシンボル、太陽の塔を手がけた人です。  その前しか見ない姿勢と覚悟に感銘しました。
覚悟というのは常人の考えるようなリスクヘッジがどこにもないということです。  ご本人は自己実現に向かってまっしぐらなので、覚悟などしている自覚はないと思います。  無心はなににもまさるんだと、思いました。
人の心を動かすものの原点は、無双無念にあるのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?