旅と老化

自分は放浪癖のある人間である。どこか一か所に腰を据えて長く生活するのが苦手で、ところ構わずフラフラとあてもなく彷徨い歩くことを好む。自分のことを知っている人が誰もいない空間で生活することは、自分の心にひどい安堵感と高揚感をもたらしてくれる。逆に自分のことを知っている人たちで構成された世界に身を置くとなれば、強い恐怖感と焦燥感を味わうことになる。

なぜか赤穂城にいる

自分はただ色々な場所で多彩な景色を見てみたいという願望があるのではなく、他人と円滑に交流することができないからこうしたライフスタイルを愛好しているだけに過ぎないのではないかというのが最近の考えである。この辺のことはまだうまく言語化できていなかったが、ただ単に他人と愛着関係や信頼関係を持てないから、放浪という行動パターンを取ることで問題解決を図っていたのかもしれない。それを自分は旅が好きだとか色んな景色を見たいとかいう風に、自分に都合よく理屈をつけて自分で自分の行動パターンに納得していただけのことである。

あまりに人間と向き合わないと一人の人間として成熟していかない。社会の中で生きていくには他人とコミュニケーションを取る必要があり、どうしても人間と関わりを持って生きていかざるを得ない。そこである程度コミュニケーションを取らないと、人間として深みも出ないし、成熟しない。自分は一人でいる時間が長く、他人とほとんどといってよいほど向き合ってこなかったため、人生経験が非常に乏しい。そうしたことからやはり他人とある程度関わりを持って、経験を積む必要があるのかなと思ったりなんだり。

フラフラしてたら相生にある万葉の岬に行き着いた。