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博士号は「足の裏の米粒」なのか (文系博士課程の独り言)

博士号は、「足の裏の米粒である」という言葉はよく耳にする言葉ですね。「取らないと気持ち悪いけど、取っても食えない」みたいな。あとは、「運転免許証」のようなもので、博士号は取らないと研究を継続させるようなアカデミアのポストを得がたいので、そのように表現されていることも見たことがあります。運転免許証の方は何となくそうかなって思うのですが、実際の博士課程の苦労を知っていると、私は「足の裏の米粒」は博士号を取得した偉い先生方の謙遜のような表現であるような気がしています。

私はどちらかというと、博士号はアカデミア(学者)に至るまでの険しい道のりを超えた先にある一つの山の頂上として認識しています。絵心はないのですが、お絵描きしてみました。こういうイメージを頂いておくと、今やっている一つ一つの努力やステップが、誰も登ったことのない頂上に旗を立てるために近づくための過程であるとすれば、何となく地道に頑張ろう!って思えます(思えています)。学位を取得する(頂上に立つ)と、そこから景色が違うと同時に、次に高い山(助教・准教授・教授)が見えてきて、愕然とする・・の繰り返し。でも高い山に登ってみたい、誰も踏んだことのない地に最初の一歩を踏みたいなと思います。

アカデミア (学者)に至るまでの険しい道のりのイメージ

今のところ、教授より高い山はないので、そのポストに上り詰めた人の景色は、その人にしかわからないのでしょう。(そういう人たちが書いた本や論文を読めるって有難いことです)また、自分の足で険しい道を行くその過程全てに意味があると思っています。極端にいうと、頂上にヘリで行く人もいるかもしれないんですが、それぞれに見えている景色が違うのではないでしょうか。そして、色々と経験を積んでいるうちに、博士号は「足の裏の米粒である」と謙遜して使えるような大人になりたいものです。それよりまずは、早く食えるようにならないと。。

それでは、また。

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