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ピスタチオ事件

あれは私が22歳くらいの時である。
半纏を着込み炬燵に入ってのほほんとしていると、パートから母が帰ってきた。

「ねぇ、今日は珍しいものを買ってみたのよぉ」

母は買い物袋から豆の袋を取り出した。
豆の正体は生涯で初めて見るピスタチオである。
母は初めてピスタチオを眺める私をニヤニヤしながら観察している。

だが観察されていても私はそれどころではなかった。なにせ人生初のピスタチオなのだ。
たまにクッキーやケーキに付いている砕かれた緑のカケラを食べたことはある。だがそれがピスタチオだと認識して食べていたわけではない。一緒になっていたから食べた、うまかった。それだけである。

イメージはあった。
お洒落な大人なバーでファビュラスな衣装を纏った女性が香水の香りを漂わせ、艶々とした唇でカクテルを嗜む。そのグラスの傍にはガラスの小皿が置いてあり、そこには数粒の緑色の豆…
お隣になった人と控えめな音量でしっとりとした会話を楽しみ、その会話を緑の豆は見守っている。
そして会話の合間に綺麗に整えられた爪でそっとつままれ、艶々の唇へと消えていくのだ。
小皿が空になる頃にはいい具合に酔いが周り、桜色の頬で店を出るのであろう…

袋を前にジッとそんなことを考えていたら母は飽きたらしい。台所の方に行ってしまった。
私はピスタチオを食べてみることにした。
こんな目の前に出されて我慢ができる人間ではない。キリ良く五粒。

ふふふ、これで私もファビュラスな女の仲間入り…
そう思って一粒を口に入れて、噛んだ。

…噛めない。やたらめったらに硬い。
奥歯に力を入れて噛みしめる。ようやく割れた。味も思っていたより薄く、というかほぼしない。結論から言うと、美味しくない。
石のような硬さというよりは木材を食べているかのような硬さ。

衝撃であった。お洒落なバーにいるファビュラスな女は、こんな顎が外れるようなものを微笑みながら食べているというのか。きっとガラスの小皿に乗っているのは一粒だけではないだろう。一粒だけで既に私は顎が痛い。鏡はないがきっと顔は狛犬と鬼瓦を足して二で割ったような顔をしている。こんなものでお隣と楽しく談笑なんてできるはずはなく、にらめっこが関の山だろう。

なんとか飲み込み、ふた粒めを口に入れる。
もはや最初のひと噛みで顎が悲鳴を上げているのがわかる。私だってやめたい。だが五粒出してしまったのだ。自分で出したものは責任を持って食べなければならぬ。

私は再び狛犬になった。食べているうちに不安が立ち上ってくる。
自分は硬いものが好きなのだと自負していた。煎餅なども大好きだ。奥歯でバリバリと噛み砕く感覚がたまらない。スルメなんかもずっと噛んでいられるので好物である。
しかし現実はピスタチオに敗北している。私は井の中の蛙だったのではないか。硬いものが好きだと思いながらも、世間での硬い食べ物を知らずに生きていただけではないのか。
頭の中でファビュラスな女が嘲笑う。そんな顎で硬いもの好きを名乗るんじゃないわよ。
余計なお世話である。今はただ、この粒を飲み込むだけだ。だんだん悔しくなってきた。今は狛犬と鬼瓦としわしわピカチュウが混ざったような顔をしている。

なんとか飲み下し、三粒めを口に入れた。
顎の関節はミシミシと音を立てている。手で顎を下から押さえて顎をサポートする。
数回噛んだが私はピスタチオに降参することにした。あとふた粒の道のりは果てしなく遠い。三だってキリのいいところじゃないか。これ以上食べて顎が使い物にならなくなるのならここで諦めてしまった方が良い。

噛みながら粒を袋に戻す。顎はもう息も絶え絶えで死にかけている。自分が思っていたより軟弱な顎だったんだなぁ。世間の人達が硬いと言いながら食べるものはどれくらい硬いのであろうか。とにかく人前でピスタチオを食べてはいけないことはわかった。お洒落なバーなどもってのほかである。そんなところでピスタチオを食べたら妖怪と間違われて終わりだ。

私には半纏と炬燵がお似合いなのだと軽く落ち込みながら、台所の母に声をかける。

「ピスタチオって、こんなに硬いんだねぇ」

「…ばっ、あんた、すぐに出しなさい!!」

これを読んでいる方はもうお気づきだろうが、私は殻ごと食べていた。どうりで硬いはずである。
母がティッシュペーパーを出してくる。受け取って、ピスタチオにさよならした。

「ふつう、殻は剥くでしょうが!」

そんなこと言われたってしかたない。ピスタチオの食べ方なんて知らなかったのだ。落花生のように殻がモサモサしていればすぐにわかるが、ピスタチオはつるんとしている。そしたら食べるじゃないか。

「硬さでわかるでしょう!!」

ぐうの音も出ない。たしかにあれは人間が食べるものの強度ではなかった。木材だった。おまけに味もしなかった。
さっき片付けた粒を取り出して殻を取り、食べてみる。
驚いた。噛めるし味がする。食レポとしては最低だ。だが私が最も求めていた要素である。よかった、私の顎が軟弱なわけではなかったのだ。どこにあるのか知らないがバーにも行ける。

この話はしばらく私の持ちネタになっていた。
しかし人間は早く自分の過ちを忘れたい生き物である。そろそろ忘れようと思い、テレビをつけるとお笑い芸人のピスタチオが頑張っている。忘れられるはずもない。

少しするとピスタチオ味のお菓子が流行り始めた。緑色のパッケージに囲まれた店頭で思い出すのは顎の断末魔。つくづく人の失敗を忘れさせない世の中である。

最近ようやく、ピスタチオだけでなくヘーゼルナッツ味なんかも見かけ始めた。ついに長かったピスタチオの世が終わるのだ。このブームが終わると共に今度こそ忘れたい。

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