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【思い出作文】般若『何者でもない』を読んで pt.2

そんな僕もずっと般若のことがずっと好きだったわけじゃない。むしろ嫌いな時期も結構あったように思う。前述した通り、出てきたときの生意気な発言やリリックは癇に障ったし、インタビューで変なキャラクターを演じて質問をはぐらかす態度は真摯でないように映ることもあった。好きだったからこそ、「なんで中途半端に斜に構えるんだ、本気でぶつかれよ」と何度も思った。そんな中、SEEDAが現れる。妄のソロ作が続々とリリースされる傍らで試聴器に並んでいたSEEDA『Green』は僕にとって決定的な作品になった。英語と日本語をミックスさせたファストフローに、ストリート感満載のヒリついたリリック。特に歌詞は非常にリリカルでアメリカのラップのようだった。僕の母も「偽」のリリックには舌を巻いていた。普段ヒップホップを聴かない層まで唸らせる表現力とI-DeA氏のプロデュースワークは殆ど完璧で、般若を初めて聴いたときと同じぐらい強烈に惹きつけられた。その後続く、Scars『The Album』, 『花と雨』、そして『Concrete Greenシリーズ』といった一連の流れは、日本語ラップを振り返る上で避けては通れないムーブメントとなった。SEEDAは当時ブログでアメリカのラップを日々紹介していて、USのヒップホップを聴く比重が、僕の中で再び高まっていった。徐々に僕は般若と妄走族の音源から離れていった。

 これも余談だが、SEEDAがヒップホップゲームの中心から退いてから、日本語ラップ自体にも少しずつ興味がなくなってしまった。これを書いている今も、7:3ぐらいの割合でUSのヒップホップを多く聴いている。はっきり言って、2013年ぐらいからの日本語ラップは本当に停滞していると思う。リスナーは増えたかもしれないが、シーン自体は確実に停滞している、と思う。一方で、アメリカのラッパーは変化を恐れない。マーケットも変化を促したラッパーを受け入れ、そして称賛する。時には過去を強烈に否定して、全く新しいものを作り出す。50Centはゴシップを巧みに使い、Kanye Westはエスタブリッシュメントにまでヒップホップを届けた。00年代後半にもなると、Lil Wayneはスケートやロックカルチャーまで飲み込んでしまった。現在台頭しているトラップ勢もそう。Lil Uzi Vertを初めて聴いたときは、本当に衝撃的だった。

 一方で、日本語ラップは全然変わり映えがしない。未だに90年代のブーンバップサウンドがもてはやされる風潮があるのには本当に驚く。日本語ラップシーンでよく「お前はヒップホップじゃない」とか「黒さがない」とかいう自称本格派の殆どは、きっと今のヒップホップを聴いてすらいない。僕からすると、代わり映えのしない彼らのラップこそ、ヒップホップじゃない。新しいアーティストを批判して、やたらとNASやJay Zを持ち上げる。僕もNASやJay Zは大好きだ。だからこそ昔はよかった、なんて絶対言いたくない。なぜなら彼らの新しいものに挑戦し、それを成功させる姿勢が好きだったから。昔話に浸ることは、飲み屋のくたびれたサラリーマンのおじさんたちとほとんど同じ。安住の地に停滞して、変化しようとしない文化を僕はとにかく嫌いだったし、そういう日本の日常をぶち壊してくれたヒップホップが同じ道を歩んでしまうのは、許せなかった。新譜も全然聴こうとせず、新しいことにチャレンジしない、売れなくても良いと宣言するなんて信じられない。「やりたいことをやれば売れなくてもいい、売れてるやつはダサい。俺たちはリアルヒップホップ!」そんなこというお前らなんか、ヒップホップじゃないと言ってやりたくなる。今流行っているバトルについても同じ。MCバトルの基礎を気付いたMC漢は尊敬するが、曲も作らず、海外から何も学ぼうとせず、ただただ即興ラップに興じる若者たちにも腹が立った。10年以上前にZEEBRAが完成させたフローを、なんで今やるんだよ。

 話が逸れてしまった。元に戻す。きっと、僕は日本語ラップを象徴する存在にまでなっていた般若に対しても同じような気持ちを感じていたんだと思う。特に長淵剛の影響が色濃く出始めてからは、音源やライブ自体にも興味が少しずつなくなっていった。Tシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になってエアギターの構えをとって説教臭いリリックでまくしたてる。そんな般若に僕は白けていた。代わり映えしないどころか、変な路線に舵を切る(ように見えた)般若には減滅したというか、聴いてて辛くなってしまった。もう、般若には熱狂できない自分がいた。「グランドスラム」は一応買ったけど殆ど聴かなかったし、今年発売された「話半分」は発売日すら覚えてなかった。僕は、とうとう般若のアルバムを聴かなくなった。

続く

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