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人は「ひとり」を超えられるということ。
小さな経験になりますが、僕の心に残っている、スポーツでのある経験について、書かせていただきます。
そのスポーツというのはラグビーで、僕は高校から始めました。
始めてみようと思ったのは、お正月にテレビでやっていた大学ラグビー選手権と、夕方に再放送でやっていたドラマの「スクール☆ウォーズ」の世界にあこがれて、という、ちょっとミーハーな動機からでした。
僕もああいう熱い世界に触れてみたい、と思ったのです。
ケガに泣いた高校時代
でも、少し張り切って始めたラグビーでしたが、中学時代にやっていたのは卓球で、経験がなかったのと、どこか身のこなしがよくなかったせいだろうと思うのですが、高校時代はずっとケガばかりしていました。
そして、ケガで休んで見学している方が多かったんじゃないか?というくらいでしたが、最後の花園を目指す大会にはレギュラーとしてなんとか試合に出られて、一回戦は不戦勝、二回戦は優勝候補の学校に敗れる、という結果でした。
チームの足を引っ張ることも多く、納得するプレーができることはないままに、僕の高校時代のラグビーは終わりました。
大学のサークルでのある試合で。
そしてそのあと、大学では、サークルでラグビーをすることにしました。
体育会系のクラブの練習には、ついて行ける気がしなかったからでした。
サークルは大学の授業後の夕方に週1~2回集まって、練習をして、ときどき練習試合や大会に参加するという、そういうサークルでした。
試合のあとには飲み会があって、ワイワイ過ごして、また次の練習で、というふうで、そんなにハードな感じではなく、楽しみながらラグビーをする、という雰囲気でした。
そして一年が過ぎて、僕が大学2回生のときにみんなで参加した、ある河原のグラウンドでの試合のときでした。
今でもそのときの体の感じを思い出すことができるような、感動的な一つのプレーを、僕はすることができたのでした。
それは次のような体験でした。
コンビの選手の走ってくるコースと抜ける穴が見える!
僕はその試合で、バックスのインサイドセンターというポジション(フォワードから出てきたボールをパスを回しながら走って前に進めていくポジション)に入っていました。
そして、ゲーム中の何回かの味方の展開の後で、フォワードからボールが出て、自分の内側にいるスタンドオフからノーサインで僕にボールが回ってきて、前を見て走り出したときのことでした。
突然、ここを走って、このタイミングでボールを放せば、絶対にアウトサイドセンターの先輩が走りこんできて、パスがつながって抜ける!というのが、一瞬にして「見えた」ような気がしたのでした。
そして、そのあとそのイメージ通りに動いて、コンビだった先輩の選手のことをほとんど見ることもないままに、パッとボールを放した瞬間でした。
そのアウトサイドセンターの先輩がまさにそこ!という場所にすごいスピードで走りこんできてくれて、ボールを受け取って抱えると、そのままの勢いで相手のディフェンスをかわして、一気にインゴールに飛び込んで、見事にトライが決まったのでした!
後ろからは、まるで映画のコマ割りのようにゆっくりと先輩が突き進んでいく姿が見えていて、相手は全然止められない、という感じのトライでした。
そのあと、トライをして戻ってきた先輩は興奮して、「ナイスパ~ス!!」と雄たけんでいて、僕もすごくうれしくてものすごくテンションが上って、その先輩のところに駆け寄ったのを覚えています。
そのときに感じたものすごい一体感。
そのプレーのときに僕が感じたのは、ものすごい「一体感」というものでした。
前もって打ち合わせていたわけでもなんでもないのに、プレーの中でお互いに相手の動きが手に取るようにわかって、以心伝心によってパスがつながったような。。。そういう感じがしたのでした。
実は僕はそれ以前にある本で、「野球では、ピッチャーとキャッチャーが目を合わせた瞬間に、ノーサインで『次はここに投げる』ということがテレパシーのように伝わってお互いにわかることがあって、そういうときの球というのは不思議なことに絶対に打たれないのです」という文章を読んでいたことがあったのですが、そのことが自分のラグビーのプレーの中で、実際に起こったような気がしたのです。
他人であり、別々であるはずのお互いの動きがわかって、あとはただそのイメージ通りに動くだけで、二人で一つのことが思った通りに成し遂げられるという、まるで相手のことが自分の一部であるかのように感じられて、溶け合っているような感じ。。。二人でしているのに一人でしているような。。。そういう不思議な感覚を、僕は体験することができたのでした。
そして、「こんなことが、ほんまにあるんや~」「生きてるって最高やなあ~!!!」と、すごく幸せに思ったのです。
人は「ひとり」を超えられる。
そして、その体験を通して僕が知ることができたのは、「人と人というのは、個人の壁(境界)を超えて、つながることができる」ということだったのではないかと思っています。
「ああ、人っていうのは、ひとりじゃないんだな」「この世界には、お互い通じ合って、お互いの思いを汲んで、助け合って生きられる仲間というものがいるんだな」ということを、一つのスポーツのプレーを通して、学ぶことができた気がしたのです。
なぜそのとき先輩とそういうプレーができたのか、理由はわかりません。
先輩も僕もラグビー経験者で、ラグビーというスポーツのコツを少しつかんでいたところがあった、ということはあるかもしれませんが、おそらくこれはだれにでも、どんなスポーツを通してでも、経験できることなのではないかと思うのです。
人と人はある目的を共有しながらともに生きているときに、「ひとり」という閉じられた世界を抜け出て、人とつながり、「ひとり」ではできないことを成し遂げることができる。
人は「ひとり」を超えて「ひとつ」になれる。
そういう生き物なのではないでしょうか?
すべての人と息があって、うまくいく、ということは、なかなかむずかしいことなのかもしれません。
でも、すべての人間には「ともにつながっていく能力」というものが備わっていて、それはときを経て、どんな人との間でも発動してきて、いつか実を結ぶ可能性のあるものなのではないか。。。
そんなふうに思うのです。
そして、こういうふうに思えるようになったこと。
こういうふうに思いながら、いま、いろんな人とかかわらせていただきながら、生きていられる自分がいること。
それが、僕にとっての「スポーツがくれた、かけがいのないもの」なのではないかと思います。
スポーツをやっていて、よかったです。
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