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就活を終えてゆたかさとはお金ではないことを再確認した

「ゆたかさ」とはなんだろうか。この問いは僕自身小学生くらいからずっと考え続けているものであり、いつか自分の考えを書きたいと思っていた。そんな先日、ちょうど僕の就活が終わった。

僕の就活は、おそらく多くの人とは考え方が違っていた。というのも「就職しなくても全然OK」というマインドで受けていたからだ。僕は自分で商売をしてきた。大学2年の冬からブログを書き始め、読んでくれる方が増えるとともにイベントを全国で開催したり、企業さんに営業をして仕事をいただいたり。そんなに大きなものでもないが、自分の学費を払うため、家賃を払うため、何より好きなことにお金を使えるようにするため、自分で商売をしてきた。もし就職しなくても、なんとかもっと自分の活動を広めていって、事業を大きくしていくのもありなんじゃないかと、そんな中途半端な気持ちでいた。

ただ「就職しなくてもOK」というマインドでありながら、面接を受けるにあたっては何が大切かを意識して臨んだ。ただ適当に受けてしまったら時間の無駄だからだ。何かに時間を割く以上、それに見合った成果が得られなければもったいない。自分がなぜ働きたいのか、過去の経験やこれからの目標と照らし合わせて、論理的に筋が通った話ができるよう、頭を使った。結果として内定をもらうことができ、僕の就活は終わった。

もちろん内定がもらえて嬉しかったのは事実だ。こんなにひねくれたことばかり書いている僕だが、自分が認められるということはやはり嬉しい。しかし内定をもらった次の日には、いい意味でいつものひねくれさを取り戻していた。

「ゆたかさ」とはなんだろうか。お金のことだろうか。余裕のある生活がゆたかさの象徴なのだろうか。ではそのお金とはいくら以上を指すのだろうか。年収500万円?1000万円?マイホームを持っていること?いい車に乗ること?年に2回海外旅行に行くこと?

就活を終えた僕が真っ先に思ったのは「ゆたかさとはお金ではない」ということだった。これまで僕は自分のお金は自分で稼ぐという経験を積んできた。学費を払うため、家賃を払うため、本を買うため、美味しいご飯を食べるため、旅行に行くため、自分でお金を得なくてはならない。

ブログにGoogleの広告を貼っているので、アクセス数が増えると収益が発生する。その収益を大きくするために誰もが面白い!と思うような最高な文章を書く必要があった。読者の方を集めてイベントをする際にも、参加費をいただいている。そこから交通費や会場費、飲食費を引いた差額が利益になる。不当に参加費が高ければ誰もこない。かといって安すぎては利益にならない。また、利益にばかり目が眩み、貴重な時間とお金をかけて参加してくれる方に楽しい体験を提供できなければ、信頼を失い2度と来てくれなくなる。このような様々な課題に向かい合いながら、僕は明日も楽しく生活するためにお金を稼いできた。

シンプルな話、自分が何もしなければ1円も利益が生まれないのだ。この経験を大学生活を通して得た。アイデアを生み出し、行動し、結果を出さなければ、商売にならない。毎月与えられた仕事をこなし、お金が振り込まれるようになったらどんなに楽だろうと考えていた。

そして就活が終わった今、かつて僕が求めていた「仕事をこなせば毎月お金が得られる生活」が来年4月からやってくることが確約されたわけである。

これはゆたかさに一歩近づいたと考えるべき出来事だ。もう明日を生きるために自分でお金を稼ぐ必要はない。もちろん仕事はしなくてはいけないが、何も成果が生まれなかったといって給料が0になることはない。今まではどんなに頑張っても結果がついてこなければ0だったわけで、もっとひどい場合は赤字、すなわちマイナスなこともあった。

しかしどうだろう。もう頑張っても0になったり、マイナスになることもない安心な未来が約束されたにも関わらず、心が踊らないのだ。

そして就活が終わった次の日の朝にはまたいつものように新聞を読み、読書をし、執筆をし、新しい商売のアイデアを出し、その下準備を粛々と続けている。そして、これこそが僕にとってのゆたかさだと再発見したのだ。

僕にとってのゆたかさとは「自分で商売をすること」なのだ。自ら文章を書いたり、役に立つ情報を発信し、人を幸せにし、その対価としてお金をもらう。この商売の王道を歩んでいるときにこそ、僕は幸せを感じている。つまり、自分が好きなことをしてお金をもらえることこそが僕にとってのゆたかさなのだ。もちろん就職という未知の世界にもワクワクしている。そして働く以上誰よりも成果を上げたいという野心もある。ただ、安定した環境に飼い慣らされることだけにはなりたくないのだ。どこにいっても、自分で好きなことを見つけ、アイデアを捻り出し、手を動かし、泥だらけになれる人間になりたいと、僕はそう思っている。

ただ、お金を稼げるということも絶対に外せないゆたかさの条件だ。好きなことができるならお金もいらない、なんてことは全く考えていない。お金が得られることは最低条件だ。僕は、どうせやるなら、100億円くらい稼いでみたい。1000万とか、みみっちいことを言っていてもつまらない。どうせ商売をするなら、100億円くらい稼いでやろうじゃないかという突拍子もないことを考えている。(本人は至って真面目であるが)

じゃあ100億稼ぐにはどうしたらいんだろうか。会社を作って何かの分野でトップのシェアを取るとか?それか売却とか?その前に1億稼ぐには?例えば本を出版して、1冊売れると印税が100円入るなら、1億になるには何冊売れればいんだろう?あと、毎日いくら稼げば1億円になるんだ?あ、1日30万円でも365日稼ぎ続ければ余裕で1億円を超えるぞ?これならハードル低そうに見えない?じゃあ1日30万円稼ぐにはどうすればいいんだろう?

こんなことを僕はずっと考えている。ずっとだ。突拍子もないように思えるかもしれないけど、頭の中で考え続けて、行動に移し続けていれば叶う可能性が高い。何もしない人よりはずっと高い。何もしないより何かした方が成功確率が上がるのは、夢とかの綺麗事ではなく事実だ。

つまり、僕にとってのゆたかさとは、就職してそこそこのお金をもらい続けることではない。内定をもらっても、次の日には自分の商売のことを考えていた。もらえる金額がゆたかさの尺度ではない。自分の好きなことをして、人を幸せにして、その対価としてお金をもらう。そしてそのお金の総額を可能な限りドデカくしていきたい。小さくまとまらず、志は高く、それでいて勝率を上げるために緻密に論理的に頭を働かす。こうして動き続けること、それ自体が僕にとってのゆたかさなのだ。

「結局、あんたのゆたかさってなんなんだ?よく分からないぞ」と思う人もいるかもしれない。それでいいのだ。分かりやすいものが良いだなんて価値観は間違っている。人には人のゆたかさに対する考えがあり、それを完全に理解する必要はない。これはあくまで僕の価値観であり、この23年の人生を経て今なお形を変えているものだから、僕ですら完全には理解していない。

ゆたかさという抽象的な概念は、みなさんひとりひとりが自分と向き合って、なんとなくフワッと考えていればいいと思う。ただ頭の片隅には置いておこう。定期的に自分の頭でゆたかさについて考えないと、言葉だけ荒い人たちに流されてしまう。年収がどうとか、そんなものは他人の価値観で、流される必要はないのに、自分に軸がないと最も簡単に流されてしまう。うまく言葉にできなくてもいいから、ゆたかさとは何かを定期的に思い出してみることが大切だと僕は思う。

僕の就活はこれにて終わったが、やりたいことはまだまだその先にある。これはゴールでもなんでもない。自分にとってのゆたかさを見失わぬよう、これからも志高く生きていこう。

最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!