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友達にゲイだと告白された話


「俺、実はゲイなんだ」

この言葉を聞いた瞬間、僕はなんと声をかけたらいいのか分からなかった。そして、頭ではLGBTについて理解した気になっていても、本当の意味では何も分かっていなかったことを思い知らされた。悔しくて、情けなくて、自分が犯してきた過ちの大きさを、そして今までどれだけ彼を傷つけてきたかを考えるだけで、僕は友達失格なんだと、心の底から自分の今までの行いを恥じた。

先日、大学の友達と2人でご飯に行った際、僕は彼からゲイであることを告白された。彼とは2年くらいの仲で、共通の知人を介して出会った他大の学生だった。大学の友達が少ない僕だが、彼とは定期的に連絡を取り合い、よくご飯に行っている。そして僕がブログを書いていることも知っている。僕は執筆活動していることを本当に親しい友達にしか明かしていない。このことからも分かるように、彼は僕にとって大切な数少ない腹を割って話せる友達だった。

そしてこの前会ったときも、いつも通りの近況報告の時間になると思っていた。そんな矢先の彼の突然の告白は、まさに思いがけない突然の出来事だった。

彼の告白は、僕にとっては衝撃的だった。なぜなら僕は彼がゲイであると思ったことが一度もなかったからだ。2年も一緒にいて、一度たりとも。彼がゲイだと気づくことはなかった。それと同時に今までどれほど自分の言葉が無意識のうちに彼を傷つけていたのかを思い知り、胸が張り裂けそうだった。

彼は言った。

「俺、実はゲイなんだ。だけど、今まで誰にも言えなかった。それが辛くて、気持ちが沈んで、何もできない日がよくあるんだ。」

「昔、1ヶ月くらい連絡返してなかったときがあっただろう。あのとき、実はすごい落ち込んでたんだ。どうしても誰かにゲイってことを告白したくて、告白すれば楽になれるんじゃないかって、ずっとそう思ってた。

そこで母親にそれとなく”大学で知り合った留学生の〇〇がゲイなんだ”って言ったんだよ。そしたら”気をつけてね”って言われたんだよ。親に。

でさ、"気をつけてねって、何を?って、思わず聞き返しちゃったんだよ。そしたら”だって危ないでしょ”って言われたんだよ。ショックだったよ本当に。危ないって何だよ。何が危ないんだ?そんなこと思ってる親に、その危ないやつが目の前にいる自分の息子だなんて、口が裂けても言えないよ。

自分を一番理解してくれるはずの親が、そんなこと言っちゃうんだぜ。さすがにあのときは辛かったなあ。」

僕は何も言えなかった。何も言えないまま、身動きもできず、ぐっと彼の話に耳を傾けた。彼は続ける。

「この前もさあ、サークルの友達と飲んでて、それとなくゲイの話題になったんだよ。で、”もし自分の友達にゲイがいたらどうする?”って、聞いてみたんだよ。そしてらそいつら、”うーん、さすがに気持ち悪いかなあ。無理。”って言うんだぜ。そのゲイがまさか目の前にいるなんて、誰も思ってないんだよ。

そして普通に俺に聞くわけよ。”お前ってまだ彼女いないの?”って。違うんだよ、俺の恋愛対象は女じゃないんだよ。男なんだよ。でもさ、そんなこと、絶対言えないんだよ。だってみんな、ゲイなんて、男が男を好きだなんて、そんなの認められないって、心の底では思ってるんだから。」

「それで今も、気持ちが沈んでなかなか戻ってこれない日があるんだ。僕はゲイだ。恋愛対象は男だ。今も周りに好きな男がいる。でもさ、彼に好きって言ったら、どうなると思う?彼の恋愛対象が女性だったら?それ以前に、ゲイなんて気持ち悪いって思ってたら?とてもじゃないけどカミングアウトなんてできないよ。

だからさ、俺はこれからどう生きていけばいいんだ?って、考えちゃうんだよ。親も、友達も、ゲイを認めてくれない。好きな人がいても一緒になれない。俺、何のために生きているんだろうって。何度考えても、ゴールが見えないんだよ。」

少し笑いながら話す彼の目には、うっすら涙が浮かんでいた。


彼の話を聞きながら、僕は自分を恥じた。恥じて、恥じて、自分を責めた。

僕はゲイを気持ち悪いと思ったことはない。LGBTが世の中にいることも理解しているし、それぞれ異なる恋愛対象がいてもそれは個人の自由であり、尊重されるべきだと思って生きてきた。実家にいた頃、LGBTのニュースが流れるたびに、「そうは言ってもゲイってありえないよね」と言う親に、「その考えは時代遅れだ。そういう人もいるってことをなんで認められないんだ。」と本気で怒ったこともあった。

しかし、僕は考えたことすらなかったのだ。一度たりとも。まさか自分のすぐ近く、手の届くところに、本当にLGBTの人がいるだなんて。

僕はまるで、遠い発展途上国で飢餓に苦しむ子どものニュースを、ビール片手に見ている大人のようだった。地球のどこかに苦しむ子どもが存在することを頭では分かっても、自分とは縁のない、関係のないことだと決め付けて、ニュースの間にCMが流れればそんなことはすぐに忘れてしまう。それと全く同じだった。LGBTの存在は頭で分かっていても、自分のそばにいるなんて、思いもしなかったのだ。


僕の言葉は、どれほど彼を傷つけてきたのだろうか。

「彼女いないの?」と言ったこともあった。

「お前、もしかして男が好きだろ」と冗談で言ったこともあった。

僕のその何気ない一言が、どれだけ彼を悲しませてきたのだろうか。


「違う、俺の恋愛対象は男なんだ」「そうだよ。俺はゲイなんだ。」

なんて、僕に言えるはずがなかったじゃないか。

僕の心ない一言を聞くたびに、彼はどれだけ不安になっていたことだろう。

「もしかしてゲイなのがバレたのかもしれない」と、周りに合わせて顔は笑っていても、心の中で苦しんでいたんだ。ゲイだとバレたら友達でいられない、もうおしまいだと、動揺して、でも悟られないように、必死に笑顔を作っていたんだ。

僕はそんなことに一切気づかず、彼の前で好きにお酒を飲み、食べ物をつまみ、ゲラゲラ笑っていたのだ。

彼が、僕の大切な友達が、本当の自分を伝えられずにもがき苦しんでいることなんて、知りもせずに。


そんな僕に、彼はこう言った。

でも今日、中島に俺がゲイだって言えてよかった。俺は中島なら受け入れてくれると思ったんだ。実はこの前も信頼してる友達に打ち明けたんだけど、すごい心が軽くなったんだ。これからは、こいつの前ではありのままの自分でいられるって。だから、俺が信頼する人にはどんどん打ち明けようと思うんだ。」

「中島、お前、ブログ書いてるだろ。俺の話を、書いてくれないか?俺と同じく悩んでいる人たちに、誰かに打ち明けるだけで、人によってはこんなに楽になれるんだってことを伝えてもらいたいんだ。

本当は自分の名前で、自分の言葉で伝えるのが一番なのは分かってる。でも未だにLGBTに否定的な人がいる以上、俺が表立って何かを言うことはできないんだ。だから中島、俺の話を、俺と同じく悩んでいる人たちのために書いてほしいんだ。」

そして今、僕は彼の話を文章にしている。

ゲイだと誰かに打ち明けることで、どれだけ心が軽くなるのか僕には分からない。しかし彼の心の荷が降りたことは、涙を浮かべながら笑顔で語る彼の顔を見れば分かった。

ありのままの自分で人と話せることに彼は喜びを感じていた。僕にできることは、彼の話に真剣に耳を傾けることだけだった。そしてもし自分が同じ立場にいたら、どれほど苦しかったか、告白することでどれだけ心が晴れるのかを想像しながら、ひたすらに耳を傾けた。それが今までの罪滅ぼしになるなんて思ってもいなかったけど、僕にはそうすることしかできなかった。でも、それが僕にできる最善の選択だったのだ。


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頭で理解するのと、実際に体験して理解することの間には乗り越えられない壁がある。LGBTが存在することは、今では多くの人が理解している。テレビやニュースでLGBTという言葉を聞かない日はない。誰もがLGBTが存在し、彼らがありのままの自分で生きていける社会の必要性を感じている。

しかし、頭で理解するのと、実際に体験して理解することは本質的に全然違う。恥を忍んで言おう。僕は自分を、教養もあり多様性への知見も深い、思慮深い人間だと思って生きてきた。LGBTへの理解もあり、まさに令和という新時代の価値観に誰よりも精通した人間だと自負していた。

なんてひどい勘違いをしていたのだろか。思慮深いはずの人間が、自分と一番近いところにLGBTがいることなんて露知らず、心ない発言で彼を苦しめていたのだ。

とはいえ「彼女まだいないのかよ」と言った類の会話を今から無くすのはかなり難しいのも事実だ。ごく普通のコミュニケーションとして既に定着しており、全ての場所でLGBTに配慮して会話をすることは難しいかもしれない。

しかしLGBTの人たちがいつでも告白しやすいような場所を作ることは僕たちにもできる。彼らがいつでも打ち明けられるように、「あり得ない」だとか「理解できない」だとか言わず、もし言ってる人がいたら注意をするだけでも、告白しやすい環境ができるのではないだろうか。

「僕はゲイを気持ち悪いと思ったことはない。」と冒頭で言ったが、それは真実ではない。中学生の頃まではゲイに対してネガティブなイメージを持っていた。自分とは違った恋愛対象を持った彼らを、当時の僕は理解できない異質な存在として避けていたからだ。しかし時は経ち、高校、大学といろんな価値観に触れるうちに自分の誤った認識を正すことが出来た。そして今回、友達から告白されたことで「LGBTは存在していても、自分の周りにはきっといないだろう」という誤った認識をまた一つ改めることが出来た。

頭で理解するのと、実際に体験して理解することの間には乗り越えられない壁がある。自分と異なる立場にある人を、全て理解するのは不可能かもしれない。しかし同じ立場になって考えることで、距離を縮めることはできる。彼らと同じではなくても、受け入れることはできる。そして受け入れるだけで、彼らの多くが告白できない悩みから解放され、ありのままの自分で生きることができるようになるのではないだろうか。


「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」

ウィトゲンシュタインは論理哲学論考の最後にそう語った。哲学的な解釈は一旦横において文字通りにこの言葉を理解すれば、僕はゲイではないのでゲイについて語るべきではないのかもしれない。

しかし文章を書く者として、発信を続ける者として、未熟で荒削りでも自分の実体験を通して痛感したことを誰かに届けることはできる。僕の理解が浅くても、語り得るほどにまで達していなくても、だからと言って沈黙することはできない。

この文章を読んだ皆さんには、どうか自分の周りにも確実にLGBTの人はいて、ありのままの自分を告白できず悩んでいることを知ってほしい。そして彼らLGBTのなかには、ありのままの自分を告白するだけで今までの悩みから解放され気持ちがスッと楽になる人もいるということも知ってほしい。そして彼らが告白しやすいような、そんな環境を作ってもらいたい。もちろん告白することで全ての人が楽になるとは一概には言えない。でも、そうすることで楽になる人がいるということは、紛れもない事実なんだ。

そしてもしLGBTであることを告白できず、辛い日々を送っている人がいたら、信頼できる友達に告白することも選択肢の一つとして考えてみてほしい。僕の友達は、信頼できる友達に告白することで絶望から復活することができた。誰かに告白するだけで、信じられないくらい気持ちが晴れたと彼は語った。これは、僕が彼から託されたメッセージだ。どうか参考にしてくれると嬉しい。

それでは素敵な1日を。



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最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!